伊木山
犬山城から木曽川を見ると川向こうに秀麗な里山がある。これが夕暮れ富士と呼ばれる 伊木山173.1m である。この山一帯は各務原市の「伊木の森」として整備され、四季を通じて散策する人々が多い。里山ではあるが古い歴史を持ち、また岩場にはクライマーが張り付いている。大変変化に富んだ魅力ある低山である。
徳川園の蓬左文庫に所蔵されている古文書に、朝岡宇朝という人が記述した「袂草」がある。その中に「伊木山に登る」という一節があり、興味があったのでメモし現代文に翻訳してみた。
内藤源右衛門は尾張藩の学者、内藤丈草の兄で犬山に居住していた。ある日彼は友人と一緒に伊木山へ行った。屏風岩と言う岩場は昔から一人も登ったことがないと言い伝えがある。それを無視してこの険阻な岩場を登った。登ったことは登ったが上には道も何もない。これにほとほと困り果て、「ここで切腹する」といい出した。
友人はそれを見て「神さまにお願いして降りてみなさい」。
「切腹したと思えば、たとへ落ちて粉々になっても良いじゃないか」
と提案した。 源右衛門は“それもそうだ”と思い。伊勢大神宮へ願を立て “エイッ”と一息に飛び降りた。
幸いにも少し傷を負った程度で命に別状はなく、気絶さえ起こさなかった。連れの友人は大変喜び、「緒に帰ろう」と誘った。 だが彼は「拙者はこれから直ちに伊勢へお礼参りに出かけるから、親に伝えてほしい」と言って出立してしまった。 この一事を見ても勇気がある人と知る。
この屏風岩と継鹿尾の犬帰り岩は犬山二箇所の大難所である。いま屏風岩を見るといくら勇気があっても、とうてい登れそうにない。岩にはイワヒバの生えている所がある。これを採る人は長い竹でつついて落とすという。この屏風岩はいまの岩場である。岩を登ったのは尾張の有名人だ。この事実は犬山や尾張藩内では当時勇敢な出来事として知られていた。
私がこの岩場にきたのは40才少し越えたころ。子育てと転勤で山から離れていたが、もう一つの趣味アマ無線で知り合ったUさんが松本近郊の出身、私が無線技術を教える代わりに彼は岩登りを指導してくれた。 秋の初めだったが、岩場下部のハングが中々超えられす、彼に引っ張り上げられる体らたく。なんとか登っていったが、彼は突然「少しそこで止まってッ!」大声。何事かと上を見上げえいると、やがて血まみれの動物の臓物が落ちてくる。驚いて声が出ない。「よシッ」の声で彼のいる岩に昇ってみると、彼はマムシをその皮を剥いて丸め、草で結んで手にしているではないか…。
「これで夜はマムシ飯が食えるわい」。彼は素手でマムシを掴み、口に咥えて皮を剥いだという。信州の人は何と豪快なのだろうと本気で思ったものだ。
山中に槍ヶ岳開山の播隆上人、親鸞の師法然上人、松島雄島の見仏上人の石碑もある。