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百名山病

1991年4月、定年退職記念登山を九重山に選び、5人の山仲間と坊ケつるの法華院温泉山荘へ泊まった。このころ九重山の最高峰は大船山だった。翌日はひどい風雨で地元の岳人は誰も登らない。だが私たち同行の中に1人だけ百名山を目指している人がいて
「どうしても九重山最高峰の大船山に登りたい」
と訴える。とうとう根負けし雨具をつけて出発した。だが登るにつれますます風と雨が強まる。大船山頂上手前9合目の段原で登頂を断念して引き返した。下山して法華院温泉山荘へ戻ったとき、この人は
「今日は登頂したことにしてください」
必死に訴えるではないか。どうしてそんなことにこだわるのか?と聞くと
「百名山を完登したと自慢したいから」
「日本百名山は深田久弥の随筆だけど、この本を読んだの?」
と聞くと
「そんな本は知らない。百名山のリストを友人から貰った」
剣沢山荘でも同じよう経験をした。夕食のとき団体登山グループのCLらしき人が立って
「△△さんが今日の劔岳で日本百名山を完登されました。皆様もご一緒に拍手でお祝いをお願いします。ハイッオメデトウ!(パチパチッッ)」


誰がいくつの山を登ろうと、それは個人の目標であり個人の自由である。他人に祝福を強いるものではないだろう。深田久弥も後書きで「これはあくまでも私が選んだ百名山である。

私は一つの山をコースを変え季節を変えて登っている方を尊敬する。自分なりの百名山を選んで登ったらいかが」とも。


人は言う。百名山病に陥った登山者の頭の中には百名山だけらしい。一度登った山には「済」の印がつけられる。
“今度は別のコースから登ってみよう”とか“違う季節に登ってみたい”
そんな欲求は生まれない。頭の中は次のターゲットとなる山のことだけである。こんな登り方では、せっかくの百名山もその魅力を堪能できない。著者の深田久弥もこの種の病人を嫌っていたが、この病にかかると百名山リストを潰すだけが目的だから、それでいいのであろう。
だが深田久弥の百名山だけが名山ではない。彼は「101番目になる山も百名山に少しも衰えない名山だ」と言っている。日本には他にも素晴らしい山はたくさんあるし、低山の中にも山の醍醐味はある。山を愛する者であれば、自分の心の中に、 “私の百名山” があってもいいはずである。更に云いたい。深田久弥の他の山の随筆や小説を読んでほしい。彼が百名山を執筆した胸中がはっきりと理解できてくる。


九重山で完登にこだわった人。この人は結局百名山を完登した後に登山を止め、山の会を退会てしまった。 百名山に連れていって貰えると入会した人も何人かいた。だが目的を終えるとさっさと退会する。こんな登り方は山に対して失礼なことだと思っている

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