ノリウツギ
青春前期、あの頃の山好きな若者は誰もが一度は信州の高原に憧れた。
串田孫一や尾崎喜八が謳い上げる信濃の高原旅情。「山のパンセ」や「たてしなの歌」は表紙がボロボロになるまで読まれたものだ。
ある年の6月、念願かなって美ヶ原から霧ヶ峰へ3泊4日の山旅に出かけた。来る年も来る年も三重県内の山ばかり登っていたので、いわば初めての遠征登山である。当時は交通事情ふところ具合も悪く、戦後復興の時代をやっと抜け出そうとしているとき、いまのヒマラヤ遠征に行くような気持ちの高ぶりだった。
国鉄の夜行を乗り継ぎ松本からバスで美鈴湖へ。そこから延々9時間半の登りで、思い出の丘、王ケ頭にようやく到着する。そして大草原を俯瞰すると、まさに尾崎喜八が
「世界の天井が抜けたかと思うような…」
と形容した美しい広大な高原が広がっていた。そして中央にはポツんと「美しの塔」が見える。
“あれが憧れの塔なのか…”あまりにもひろい原っぱなので、霧に巻かれると目標になるものがない。方角を失ってリングワンデルグに陥る。事実、松本の学生が霧の中で方向を失い倒れている。それがきっかけとなって塔が建てられ、緊急避難所と非常連絡用の鐘が付けられた。
放牧の牛は草原の若草を口ばみ、通りすぎる私たちを怪訝な目でジッと見詰めている。ここは彼らのテリトリーで、私たちは他所からきた侵入者だった。高原を横断し日没前にようやく米軍兵舎を利用した山本小屋に到着した。まだ自動車の道はなく、松本側からも上田方面からも歩いて登るしかない。まったくの登山者の世界だった。
この夜、同室になった人が武蔵野市から来たとう女性、我々よりはいくらか年上と思われた。
“素晴らしい美人(と思われた)なのに、一人で山旅とは…”
私たちは顔を寄せてヒソヒソ、
“たぶん失恋の傷でも癒やしにきたんだろう…”
翌日、私たちが
「和田峠を経て霧ヶ峰まで縦走します」
と言うと、その人は
「ぜひ同行をお願い…」
ボストンバック姿に不安を感じたが、私たちは
「ぜひご一緒しましょう」
美しい女性がいることで男どもは元気になる。
うどんを作ったり紅茶を沸かしたり、やたらカメラのシャッターを切る。まるで女王蜂に仕える働き蜂である。その途中、扉峠から少し下ったあたりで
「まあきれい!」
道端に咲いていた白い花、いとおしむようにそっと摘んで手帳に挟みこんだ。
美しい標準語が発散する大都会の匂い、こちらは伊勢弁しか使えない田舎者。私たちは軽いカルチャーショクを覚え、女性への憧れを隠そうともせず、その人の白い指にじっと見とれるのだった。
そのときの花が忘れもしない
「ノリウツギ」
12年後、この美人と東京で再会を果たしたが、期待した結果は…書かない。