大好きな鳩吹山
※この記事は7年前の81歳の時のものである。
自分が所属していた山岳会で一番人気の鳩吹山。この山を初めて知ったのはもう44年も前の37才ごろだった。住まいに近い継鹿尾山に登ったとき、むこうに美しい緑の山塊がある。地図で調べたら西山、鳩吹山だった。そして秋のある日に鳩吹山~西山、継鹿尾山を縦走してみた。
当時はこのルートを歩く人は殆どなく営林署が刈り払った防火線をたどった。だが変化のあるコースと素晴らしい展望、もっと大勢の人に知ってほしい。そこで「ビスターリ」という山岳雑誌に発表した。後に入会した方や山で逢った 人から「記事を読んでやってきた」と云われ、紹介した甲斐があったと自己満足したものだ。
1979年の御岳山の噴火のときも、毎日のようにカメラをもって登った。もうもうと噴出する煙りをみて、まぎれもなく恐ろしい活火山と知った。しばらくして今度は山火事が発生した。登山者のタバコの火が原因と思われるが、西山から鳩吹山、そして小天神の一帯の頂から山腹一帯が全焼した。あとで地元ボランテアがドングリなどを植樹し再生に取り組んだ。山岳会も三ケ所に記念植樹をしたが、まもなく根元から切り取られた。地元の人の話では苗のすぐ横の会名の入った案内柱が大きすぎ、反感を買ったのだろうとのことだった。
この山は水に恵まれないチャート質、山麓に住んでいた山岳会の部長が
毎日のように水を運んだが、無駄になってしまったのはまことに残念であった。
カタクリの花を最初に見たのは、山岳会の山行のときだった。まだ殆ど人に知られることもなく、まったく自然のまま手入れもされてない。ところが私たちが見ている目の前で6人グループが、スコップでどうどうと盗掘をはじめた。 「止めなさい」 ときつく注意したら、ブツブツ言いながら引 き揚げていった。
翌年、こんどは大きなブルドーザーがカタクリの咲く山肌を削っているではないか…。驚いて役所に通告した。
「よそではカタクリを保護しているのに、そちらではどうして貴重な花畑を破壊するのですか。保護育成すれば観光の目玉になるのに…」
すぐ職員がすっとんできて工事を止めさせ、ロープと看板を立て花畑への立ち入り禁止にした。のち担当者からの手紙では「この工事は同じ役所の隣りの課の仕業だった」と。市も大急ぎで対策を検討し、保護していくことになったという。
知合いの方の話では
「子供のころからカタクリの花は見慣れていた。そんな珍しい花とは知らなかった。これからは地元の人も保護活動する」
いまはカタクリの花の咲くころ、沢山の観光バスやマイカーでやってきた見物人で溢れる。これを見て私たちの行動が少しでも役立ったかも知れないと隔世の感に浸っている。
大好きな鳩吹山が縁となり、自分の父母の墓も山麓に立てた。いまも盆と彼岸のほか毎月のように山に登ったついでに墓参りをする。ときには山岳会の方々も案内して頭を下げてもらう。
また北回りの道標が間違っていたため道迷いが多かったが、これも役所に申し入れ撤去され現在の道標が新設された。
いま鳩吹山での大きな問題は事故である。滑落や急病、道迷いが多く、死者もすでに5人ほど。ヘリの出動も毎年のようにある。だが山岳会が秋に行っている清掃山行、これは地元にもよく知られていて、感謝されているのも事実。
これからも胸を張って鳩吹山に登りたいと思っている。