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ウエディングドレス

「背中に傷がある」と聞いて、あなたはどんな傷を想像するだろう。針と糸で縫い合わせたような、1本の傷だろうか。

私の背中にある傷は、直径10cm。
丸く、赤黒く、えぐれている。
月のクレーターに似ているな、といつも思う。

25歳の3月、隆起性皮膚線維肉腫という病気で手術を受けた。摘出しないと、少しずつ大きくなるらしい。まったくピンと来なくて、「仕事があるから手術の時期を遅らせてほしい」と医師に言ったら、低く小さな声で「癌なんですよ」とたしなめられた。手術後、初めて傷跡を鏡で見た日、あまりの大きさと醜さに1人で泣いた。

それから12年。
ジムのロッカールームで着替える時。温泉で裸になる時。海に行って水着を着る時。 私の傷はグロテスクだから、見た人が驚かないように、なるべく隠して生きてきた。そういう努力の隙間を縫って注がれる、好奇の視線にも耐えてきた。

そんな私が、結婚式でウエディングドレスを着ることになった。
手術を受けてから、心に決めていた。
私が着るのは、背中の傷が隠れるドレス。
背中が隠れるデザインのドレスは多くない。
結婚が決まるずっと前から、何度も検索していたから、知っていた。

初めての試着の日。
お店の人にも事情を話して、4着試した。長袖のドレスもあった。背中がレースで覆われたドレスもあった。なのに、私が1番気に入ったのは、傷が隠れないドレスだった。

2回目の試着の日。
いいドレスが見つかった。オーダーメイドかと思うくらい、ピッタリと傷が隠れていた。デザインもよく似合っていた。なのに、なぜか物足りない。前回着たドレスが忘れられなかった。
気に入ったドレスを着るか、傷が隠れるドレスを着るか。迷う私に、付き添いに来てくれていた会社の先輩が言った。

「あなたは自分の結婚式に、花嫁の背中の傷を凝視して、後ろ指を指すような人たちを呼んだの?人生で1番、あなたが主役のおめでたい日に、そんな人たちを呼ばなくていい」

ハッとした。そんな人、誰も呼んでなかった。
みんな私の笑顔を楽しみに会場にやってくるのだ。私の結婚式で背中の傷を気にするであろう人物は、唯一私だけだった。

私の内面からはずっと声がしていた。
このドレスが着たい。これを着ると心が高鳴る。
その声に耳を塞いでいたのは私だった。
自分には結婚式やウエディングドレスへの憧れはないと思っていた。だけど、ちゃんとあった。これまで蓋をしてきた「愛するパートナーの隣で美しく輝く1日にしたい」という憧れの気持ちが。

3回目の試着の日。
大好きな母と2人で行った。自分の気持ちを確かめるために、気に入ったドレスと、傷が隠れるドレスに袖を通した。もう迷わなかった。

結婚式が終わった日、母がLINEをくれた。
そこにこう書いてあった。
私が忘れていたエピソードだった。

手術を受けて、退院した日。
自宅に戻ったあなたは、泣きながら「お母さんは手術を受けたことがないから私の気持ちはわからないんだよ。もう、水着も着れないし、結婚もできないよ。」
傷は、心も大きく深くえぐった。どんな言葉も虚しいだけで、かけてあげられる言葉が見つからなった。代われることなら代わりたかった。
お母さんには目に見える傷はないけど、心にはあるよ。一緒に受けた傷だよ。
絶望の涙を流しながら、猛然と仕事に打ち込んで、グアムへのインセンティブツアーを勝ち取ったあなたは、真っ青な海と空を背景に、ネイビーに小花模様のビキニ、上着を引っ掛けて、弾ける笑顔の写真をLINEで送ってくれたよね。
そして、不思議にも(手術から)丁度10年の節目に入籍ですか。途方もないよ。いい意味で。

人間は時々、他人の目を気にして、自分が本当に望むことが何かを見失ってしまうことがある。
傷ついた経験は、自分がありのままでいることや、自分らしさを表現することを踏みとどまらせる。
たかがドレス選びで大袈裟な、と思われるかもしれない。だけど私はこの話を通じて「人生の選択をする時に、自分の内面の声に耳を傾けることが、幸せであるために不可欠だ」と伝えたい。

前を向いた時、寄り添ってくれる人の存在に気づいた。一緒に悩んでくれた夫。私の背中を押してくれた同僚。「傷を気にせず1日中笑っていられるように」と一生懸命サポートしてくれた美容のプロたち。何年も心を痛めながら見守ってくれていた両親。

昨日、カメラマンから結婚式当日の写真が届いた。どの写真の私も、大好きなドレスを着て輝いていた。周りの人もみんな、笑顔だった。

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