楽しみなことは憂鬱でもある
「楽しみなことは憂鬱」
題名からばりばり、憂鬱質×粘液質を感じますね〜。
さて。今週末、イタリアの義実家に行きます。
そして今回は大勢で集まるパーティーに参加します。
アンソーシャルなので本当にドキドキです。
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私はイタリアという自分にとって非現実な場所がとても大好きで、
同時に、予定が近づくととても憂鬱に感じます。
(私はドイツに住んでいますが、イタリアの義実家に一年に3〜4回ほど帰ります。夏は長期。)
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とにかく自然(海!)が美しく、
自分の内面はのびのび自然の中で解放できるけれど、
自分の心のうちを100%話せることは一生ないんだろうなと
なんて勝手に思い、ぎゅっと悲しくもなってしまいます。
そんな自分の複雑な心の内を分析・noteに書いてみます。
<言語>
なんといっても言語でしょう・・・
私の日々使う言葉たちが全く通用しないイタリア
家族は涙が出るほどに本当に優しく、
言葉がわからなくても全く気にせず関わってくれる。
でも、私は気にします。日々向き合っているドイツ語が誰にも使えない。
英語も日本語も・・・と思うと
自分という存在が小さく小さくなってしまいます。
子どもでもわかるようなことも返せない。家族なのに・・・
私たち夫婦がイタリアに住むことはありません。
そう思うと、日常で使うことのないイタリア語を頑張ろう!となれないので
モチベーションがなかなか上がらず。
気にせずどんどん話せばいいのに、頑固なものです。
<コミュニケーション>
夫婦の旅ではなく、人との関わり(密で濃い!!)の世界なので
コミュニケーションが求められます。
イタリアは家族愛や結びつきがとっても強い。濃い。
そして愛が深い。
愛が深すぎて、あぁ自分はなんてドライな人間なんだろうと思ってしまいます。
毎回帰る時は、楽しすぎて幸せすぎて、
あぁやっぱりもう少しイタリア語を勉強しよう!と思うのですが
自分の中で変わる時が来るのでしょうか。
自分の心と向き合い、無理せず進んでいきたいものです。
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そんな感じで、実は腰が重いこと・楽しみだけど憂鬱なことが人生で他にもあります。
好きな場所でゆっくり好きな仕事をして、
ただただ知っている世界で平和に過ごしたい〜!という自分もいますが、
きっと挑戦し続けたい、プライドの高い自分とが共存しているのでしょう。
今日も、楽しみと憂鬱の混ざり合った感情を味わっています。
Ai