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#17イタリア・サルデーニャ ウルルン滞在記④『私たちは 有名人?』
後方から、ガガガガガーとエンジン音を唸らせて向かってきた小さな車が、一本道を行く私たちの横で止まった。
「車に乗りなさい!」そう、言っているらしい。
「ノー グラッツェ」「ノー サンキュー」「結構です!」
必死で断るが、運転しているおばちゃんは、聞く耳持たず一方的にまくしたてる。
根負けした。
「わかったよ、おばちゃん! 乗るよ、乗るよ。乗ればいいんでしょ?」
観念して、後部座席に乗り込んだ。あぁ、私たちはいったいどこへ連れていかれるのだろう。(ここまでの話は→ウルルン滞在記③)
……………
実は、まちなみの色彩ウォッチングをしている途中でも、声を掛けられた。
「ボンジュール、ジャポネーゼ! 一緒にビールをどう?」
初老が3人、家の前に丸テーブルを出し、手にしたグラスを高く掲げて私たちを誘った。
まち中が寝静まっているシエスタの時間に、私たち以外にも起きている人がいる。陽気な彼らの様子に思わず、「スィッ!(yes)」っと答えそうになったけど、いやいや知らないまちの知らない人。ヴィラをこっそり抜け出してきた手前もあり、容易に誘いに乗ってはならぬ。
「ノー グラッツェ」
そう答えて、帰路を急いでいたところだったのに、あともう数分というところで、見知らぬおばちゃんに さらわれてしまうとは!!
そのおばちゃんは私たちを車に乗せると、アクセルを踏み込みながら、なにやらぶつくさ独り言を言っている。
「ねぇ、なんて言ってるの? わかる?」
クミコに聞いてみる。フランス語が堪能なクミコは、イタリア語を話せなくても聞くことはできるらしい。
「んー、方言がきつくて聞き取りづらいんだけど……。なんかね、ずいぶん前に日本人がここに来て、昼間、歩き回っていたら熱射病になって死んだ、とか言ってるよ」
「えっ? そんなことがあったのかぁ」
クミコは、独り言を続けるおばちゃんに耳を傾けながら、おかしそうにニヤニヤしていた。
その様子を見ながら私は、おばちゃんの言ってることを想像した。
「……まったくもう、なんてこった。こんな まっぴるまに、うろつくなんて。死んじまうよ。シエスタを知らないのかねぇ、この娘たちは! こんな炎天下に外へ出ちゃあ いけないんだよ。困ったもんだ。日中の日差しの怖さを知らないね。バカだよ。ばか者だ…」
おばちゃんは、私たちを怒鳴りつけるでもなく、ぶつぶつ小言を繰り返していた。
見慣れた景色の真っ直ぐな道を車は走る。左手に見える建物に、
「あっ、ここが…」
と思った瞬間、躊躇なく車は左に折れた。私たちのいるヴィラだ。
「えっ なんで?」
「どうして私たちがここにいるのを知ってるの?」
私はクミコと顔を見合わせ、目を丸くした。
そういえばいつだったか、彼らに日本食を提供しようと、ちらし寿司の材料を買いにスーパーに出かけたことがある。必要なものをカゴに入れ、精算しようとレジに行くと、店内にいる人が大勢集まって来た。
「ジャポネーゼ、いつ、来たの?」
「どこにいるの?」
「いつまでいるの?」
「サルデーニャはどう?」
「イタリア語はわかる?」
矢継ぎ早に質問する。どうやら私たちが珍しいらしい。
日本人なんて、いまや世界中のどこに行ってもイヤと言うほど見かけるだろうのに、彼らはまだ日本人に会ったことがない、というのか?
結局、何ひとつ返すこともできずに、意味不明の笑顔を浮かべ、スーパーを後にした。
この小さなまちで、私たちは有名人だったのだ。私たちがどこを歩き、何をしているのか、お見通しのようだ。彼らの噂の的になっていたのだろう。
だからなのか。首から一眼レフを下げた「いかにも日本人」らしきふたりが、炎天下を歩いている。その様子を知った気のいいおばちゃんが、「こりゃ大変!」と、すっ飛んできたのかもしれない。
こうしておばちゃんは、私たちを安全にヴィラに届けた。玄関前で軽くクラクションを鳴らし、慌てて出て来たロベルタたちにも小言らしき何かを伝え、誇らしげに帰って行った。
翌日、シエスタの時間になると、ロベルタは自分の車を表にまわして言った。
「キミコ、今日は車で行きなさい」
「でも、国際免許証を持っていないから…」
と断ると、
「大丈夫、大丈夫。日本で運転しているんでしょ?」
「うん」
「だったら大丈夫。平気、平気。ほら、この車に乗って行きなさい」
と、鍵を出す。
「でも、歩いて行きたいのよ。まちなみウォッチングは、歩かないと写真が撮れないの」
と、何度 断っても譲らない。
仕方なく私は、その古ぼけた車のハンドルを握った。初めての外車だ。クラッチを踏んでギアを切り替えると、ガクンガクンと動き出した。
1台として走っていない一本道をノロノロ走り、右に曲がろうとウィンカーを出したつもりが、ワイパーが動きだす。ハンドルを切って、右折すると反対車線に入ってしまう。
助手席で耐えていたクミコが、とうとう声を発した。
「大丈夫?」
「・・・」
その日以降、私たちはサルデーニャの習慣に従うことにした。不思議と午後になると眠くなる。少しずつ、イタリアーノになっていった。
(つづく)