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#4 「お殿さま気質」の夫を変えた 三毛猫「ラン」

「この先、ランよりも先に自分が死んだら、その時はランを可愛がってくれ。よろしく頼む」

 結婚前の初顔合わせの席で、人払いしてまで夫に伝えた、父の望みだ。
「えっ?「娘を幸せにしてくれ!」じゃなかったの? 私の結婚話なのにねぇ(笑)」
その様子は、#3で記した

 ランと言うのは、東京の実家で父と暮らしていた三毛猫のこと。生後1週間も経たぬ間に公園に捨てられていたところを、甥に保護され、父が「猫かわいがり」して育てた猫のことだ。
 よく「犬は人につき、猫は家につく」と言うが、ランは父にべったりの、いわば「父の猫」だ。

 6年後、父の願いはそのまま遺言になってしまった。遺言執行人となった私たちは、遠く離れたわが家にいよいよランを迎えることにした。私はすぐにランを連れに、飛んだ。
 帰りの移動手段は新幹線。予約していた飛行機をキャンセルしてまで新幹線に変えたのには、訳がある。
「ランちゃんはとても臆病だから、貨物室での飛行機移動は大きなストレスがかかるからやめた方がいいんじゃない?」
「飛行機の貨物室って、犬とか猫とか、いろんな動物がいるんでしょ? もしも他の動物が吠えたり鳴いたりしたら、その声でこの子はきっと怖がるよ」
「飛行機の貨物室は暖房がきいてないから、今の季節は寒いよ。ケージの中にタオルを敷いて、その下にカイロを入れた方がいいからね」
「だからさ、たとえ時間がかかっても、座席の側で互いの顔が見える新幹線の方が安心だろ?」
などなど、愛猫家の友たちのアドバイスを受け入れることにしたからだ。

 新幹線は快適だった。暖房もきいている。最初、ケージの中でそわそわしていたランも次第に落ち着き、ニャンとも言わず、おとなしくしている様子を見て、私も安心した。
 みなの言う通り、たとえ5時間かかっても新幹線にしてよかった。私自身、移りゆく車窓の眺めに、何ら退屈することもなかったもの。

 そうやって、わが家に来たランだったが、到着後数日は、まさに「借りてきた猫」状態。カーテンの内側に身を潜めては、小さく震えていた。
 そんな不安を察することなく、猫との暮らしを待ち望んでいた夫は、ご満悦。上機嫌だった。
「オレは大の猫好きだ。子供の頃からこれまで3匹、猫を飼ったことがあるんだぞ。猫のことはわかっている。任せておけ」
と豪語した。 
 到着後、まだ1週間しか経たなかった頃だったと思う。ようやくわが家に慣れたばかりだというのに、夫は早速、ランの爪切りに取り掛かった。もちろん、ランの臆病ぶりは伝えてある。
「やめた方がいいわよ。怖がりだからこの子は無理。触らせないわよ。爪切りなんて無茶なことはやめてよぉ」。
 何度、訴えても私の声には耳を貸さない。そんなことは馬耳東風。暖簾に腕押し。糠に釘。
「見ておれ。猫好きのオレにかかったら、この子もイチコロ。おとなしくなるぞ」とは言っちゃあいないが、いかにも自信に満ち満ちて嫌がるランを両手でギュッと抑えつけた。ランは滅多に見せない般若の形相になって、一瞬のうちに夫の腕を「ガブっ」と噛んだ。
 その瞬間、彼の自信は粉々に打ち挫かれた。悲しいかな、すっかりランに嫌われてしまったのだ。寄り付きもしない。近づくだけで「シャー」と威嚇する。
 ランはこの時から「ソーシャル ディスタンス」をきっちり維持する猫になってしまった。

 夫は誤算していた。猫は「猫も杓子」も、同じ性格と思っていたのだ。けれど、夫の飼っていた猫はアメリカンショートヘアという猫種で、人懐っこいのが特徴だ。恐怖心が少なく、抱っこされるのが大好き。だれかれ構わず、膝の上に乗っては、喜んで撫でられる。猫のかわいらしさを存分に備えた猫だ。
 その猫を、私が嫁いでくる直前、人間にすれば92歳の老衰で亡くした。19年間、ともに過ごしたという。その歳月は、人生の「相棒」とも呼び合える関係を築いたに違いない。
 けれど、犬は犬種によって性格が異なるように、猫もまた、毛の色によって気質が違うということを、夫はまったく知り得なかった。
 というのも、一般に三毛猫は「お姫様気質」だ。プライドが高く、「ツンデレ」の気分屋。気まぐれで、好き嫌いがはっきりしている。いわゆる「猫らしい猫」といった性格だ。
 その上、「乳母日傘」「蝶よ 花(ラン)よ」と溺愛され、父と私と妹家族の数人しか、人間を知らない。外に出たこともないから、猫同士の接点もない。それゆえ、どんな三毛猫よりも警戒心が強く、臆病になったのだ。

 ともあれ、ランの中で夫は、世界一怖い人になってしまった。ただでさえ、わずかな物音にビクつくランは、このデカい声の〝オトコ〟を、最初から訝しく思っていたに違いない。野生のカンだ。

 こうして始まった臆病猫との同居も、はや5年。「お殿さまタイプ」の夫も、少しずつ穏やかな性格になってきた。歳のせいもあるだろう。居丈高な態度も幾分、和らいで、語気も弱まってきたように思う。
 ランもまた、夫に対する「ソーシャル ディスタンス」の距離を、少しずつ縮めてきた。信頼関係が構築されつつあるようだ。

 そして今日も、「猫なで声」が聞こえてくる。「ランちゃん、ランちゃ~ん」。柄にもない声色だ。ふと見ると、上から目線をグッと下げた夫が、ランと同じ目の位置で呼びかけている。「お姫さま」が「お殿さま」を従えているようだ。
「いいぞ、いいぞ! その調子!」ランが高飛車な夫の性格を和らげた。

 動物写真家の岩合光昭さんは、こんなことを言っている。
「大切なことはね、まずは猫に「おはよう」と挨拶するんです。撮影にあたっては「かわいいね」「いい子だね」と褒める。褒めちぎる。褒めるとね、猫の顔も変わってきます。そして最後に、「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えます」。

 そうよね。猫社会においても、謙虚さは重要。夫がランから学び得たのは、これかもね。
 褒め下手なわが夫。今日もNHK『岩合光昭の世界ネコ歩き』に映し出される猫と人間を見ながら、羨ましげに呟いている。
「いいなぁ、かわいいなぁ」。

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