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#16 イタリア・サルデーニャ ウルルン滞在記③『えっ?また さらわれる?』

「キミコ! サルデーニャ島で教師をしている友人が、夏休みを利用して外国人向けにイタリア語のレッスンをするんだって、どう? 興味ある?」(詳細はウルルン滞在記①→
 
 当時、日本に留学中のマッシモさんの一声で、私とクミコは、ここサルデーニャ島の小さな町トルトリに来た。
 本音をいえば、私はイタリア語レッスンに興味などなかった。中学から大学まで真面目に取り組んだ英語ですら、流暢に話すこともできない。 そんな私に、イタリア語なんて土台無理な話だ。自身の絶望的語学力には、自信がある。なのになぜ、ここへ来たか…。
 それは、マッシモさんがこんな話をしたからでもある。
「サルデーニャ島のカリアリという町は、景観を大切にしていて、建物の外壁に使える色を限定しているんだよ」
 
 そんな話をしてくれたのは、その頃(1994年6月に)私は、まちなみの色とインテリアカラーを設計する会社を立ち上げたばかりだったからだ。
 当時の日本は、「美しいまちなみ景観」という意識そっちのけで、商業活動が優先された。「目立てば売れる」と、ドでかい看板を競い合い、なかには、赤や黄色、紫などの色で外壁全体に色を塗りたくる、派手な商業ビルも出現していた。日本のまちなみは、まさに騒々しい色の「騒色公害」と化す現状だったのだ。
 そこで私は、その分野がまだ確立していなかった「環境色彩」をデザインする会社を立ち上げた。
 そのことを知ったマッシモさんが、イタリア・サルデーニャのまちなみの色の状況を私に話してくれたのだった。
 
 彼の話は続く。
「たとえばね、自分の家の外壁を塗り替えようと思ったら、まず、市役所に行くんだ」
「えっ? なぜ?」
「市役所の建築課の窓口に行くと、塗ってもいい色が数色、決められているから、その中から選んで色を塗るのさ」
「自分の家なのに、好きな色を使えないの?」
「そうだよ、美しいまちなみ景観が重要なんだ。まちの資産だからね」
そう言って、カリアリのまちの風景と、役人が提示する10色程度の色サンプルをスライドで見せてくれた。
 その瞬間、私は色めき立った。
「そのまちなみをこの目で見てみたい!!」
これがサルデーニャに来た、私の本当の目的だったのだ。
………………………
「早くまちなみを見たい。まちの色を見て歩きたい」
着いた時からソワソワしていた私は、イタリア語レッスンの合間を縫って、まちに出ることを考えていた。
 幸いここでは、シエスタという昼寝の習慣がある。日射が厳しい13時から15時頃までの昼食後の時間帯は、まち中がこぞって昼寝をする。店だって一旦閉めて昼休みをするのである。スペイン同様、そんな習慣がここにはあった。
 
 その日も、
「キミコ、クミコ! シエスタの時間よ。さぁ、部屋に戻って昼寝をしましょう」
 午後の、かったるい空気が重々しく体にまとわりつき始めると、ヴィラは眠る。物音ひとつしなくなるのだ。
 そんな様子を見計らって、私たちはそぉーっと表へ飛び出した。
「うっ! まぶしい!」
目をしょぼつかせながら、通りを右に曲がる。歩道のない狭い車の道の両側を、ぶどう畑かオリーブ畑だったかが続いていた。
 誰ひとり、歩いちゃいない。1台の車さえも走ってない昼下がりの道を、首から一眼レフを下げ、帽子をかぶったショートパンツ姿の日本人がたったふたり、頭上から照り付ける日差しを跳ね返しながら、心躍らせ、てくてく歩く。
 15分も行けば、まちなかに出るのは知っていた。少しずつ家々が増えてくる。それらの外壁の色は淡いピンクやイエローだ。
 そうした色を眺めながら、あの日のマッシモさんとの会話を思い出していた。
 
「ねぇ、マッシモさん、市役所が指定した色を見ると、淡いピンクやイエロー系が多いけど、どうしてブルー系が少ないの?」
「だって、サルデーニャは島なんだよ。青い空と海に囲まれているまちだから、それら自然の色が映えるように、人工的な色を決めているんだよ」
 感動した。衝撃的でもあった。景観の「主」と「従」だ。その言葉を反芻しながら、ここトルトリのまちをゆっくり見て歩いていた。

景観の「主」と「従」 海と空の色が映えるように、建物の色に制限を決めている


 
 何時間、歩き回ったことだろう。まだまだ歩き続けたい気持ちを抑えながら、ヴィラへと引き返しはじめた。その時である。
 遠く後方から、ガガガガガーとエンジン音を唸らせて、小さな車が迫ってくる。体を路肩に寄せて、道をあける。しかし、車は通り過ぎて行かない。それどころか私たちの横でピタッと止まるではないか。
「えっ? なに? どうしたの?」
 年配の女性(いや、はっきりいって “おばちゃん” )が、窓を全開させて大声でまくし立てる。何が起きたのだろう。 私たちがいったい何をしたというのか。
 するとクミコが
「ねぇ、「車に乗れ!」って言ってるよ」
「えーっ、いやだよ。いくら気の良さそうな おばちゃんでも、知らない人の車になんか乗らないよ」
 私は、覚えたてのイタリア語で、
「ノー グラッツェ、ノー グラッツエ」
と、手を横に振りながら返した。
 けれど、断れば断るほど、おばちゃんは興奮してまくしたてる。「ノー グラッツェ」しか言えない私に、ちんぷんかんぷんのイタリア語を弾丸のように浴びせかけてくる。
「ノー グラッツェ」「ノー サンキュー」「結構です!」知っている言葉を並べ立てても、耳を貸すはずもない。
 一方的な勢いに辟易し、
「わかったよ。負けたよ、おばちゃん! 乗るよ、乗るよ。乗ればいいんでしょ?」
観念して私たちは、後部座席に乗り込んだ。
 あぁ、どこに連れていかれるのだろう。このおばちゃん、人さらいか? えぇ~い、どうにでもなれ~! 好きにしたらいいさ。
 
 頭上に輝くギラギラの太陽だけが、そのすべてを見ていた。人も車も何もかも、いまだ眠りから覚めようともしなかった。
 
つづく

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