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余裕のなさだけが問題じゃない気がする。

子育て中のママで

イライラとは無縁です

という人は
ごくごく稀な存在かと思います。

イライラするよ。
人間だもの。


先日ある人から、

子どもにイライラしちゃう時って
100%、
自分に余裕がない時なんだと発見したのよね

と言われて
はて?
と少し心に引っかかりました。

彼女いわく
子どもにイラついてしまうのは
決まって余裕のない時で

自分自身に余裕さえあれば
何をされても

はい、可愛い!

で片付けられるのだ、と。

だから
自分に余裕がなくなる仕事の仕方とかは
改めていったっていいんじゃないのかしら、
という話に繋がるんだけど


わたしにとっては、
それ、逆のことの方が多いかもなーと思いました。

例えば。
時間がなくてカリカリしながら
支度していたりすると

「見ぃて〜〜〜!!!」

なーんて言って
なんとも呑気な新発見を教えにきてくれたりして

そういうの、
邪険にしないで
拾いたいなって思うし

拾っているうちに、
あ〜カリカリしてたなーってる

平常心に戻れたりもする。


子どもの視点って、めちゃくちゃ可愛い。
その場でうまく拾えなかったとしても
後から思い出してほっこりしたり

また違うタイミングで
子どもとの会話で話題に出したりする。
(これは子どももたいそう喜ぶし、楽しい)

わたしにとって子どもたちは
自分の余裕有無とは無縁のところで

イライラの元凶にもなれば
イライラを去なすこともできる
唯一無二の存在なわけですな。

(もちろん、余裕がないときにイライラしやすいこと自体は否定しないけどね)




そんなわたしですが
昨日は、まあーーーイライラしてたわけですよ。

いつもならこんなにイライラしないのに。

5歳と7歳相手に
何をこんなに膨れているんだろう

自分でも呆れちゃうくらい。
悲しくて、腹が立ってる自分を
傍観することしかできなかった。

別に忙しくて余裕がなかったわけでもない。
生理前でもない。

でも突如として、
抑えきれない何かがわたしの中ではじけてしまった。



レトルトのご飯だけ用意すると
一人でお風呂場に逃げ込んだ。



多分わたしは、恐れているのだ。
わたしの声が届かなくなる日が来てしまうことを。
わたしの存在が彼らの中から消えてしまうことを。

成長期におけるそれとはまたちょっと違って
わたしの居場所がどこにもない感覚。

その片鱗を感じ取ってしまった時に、
決まって
過敏に反応してしまう気がする。


かつて若かりし頃、四面楚歌で身動きが取れなくなってしまったあの経験が
まだ心の内でくすぶっているのかな。

それがわたしのイライラのトリガーになってる。


そんな自分を見つけ、言語化できた頃合いに
息子が眉毛をハの字にして
わたしを迎えに来てくれた。


この愛に、わたしはどれだけ甘えているんだろう。





あの日、四面楚歌を作り上げていたのは
他でもない自分自身の思考であって

視点を変えるスキルを持てば
どこにだって進めることを、
わたしはもう、知ってる。

疲れてるとか、余裕がないからとか、
そんな単純なものだけで
イライラを収めることなんて、できない。

つまりわたしの場合、
仕事をやめたり変えたりしたからって
イライラのない理想的なお母さんにはなれんのですよ。
また新たな課題でイライラするのが関の山。

だから、
自分自身にあるトリガーを丁寧に紐解くこと。

これが、すごく重要になってくると、
そんな気づきになりました。


おしまい。

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