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偽神の帰還 - 第二章「氷解」

"氷のようにただ溶けていく無色透明な日々。"

そんな言葉が頭をよぎる広介は、自分の日々を無駄に過ごしていることに気づいていた。大学の講義は退屈で、毎日の生活は単調な繰り返し。何もかもが無味乾燥で、何一つ変わることのない日々。その全てが、彼にとっては氷のように静かに溶けていく時間だった。

彼は友人たちとの飲み会での無意味な笑い声や、アルバイト先での繰り返される作業、そして講義での教授の単調な声。全てが彼にとっては無色透明で、ただただ消費されていくだけのものでしかなかった。自分自身がただ存在するだけで、何も生み出せないことに、彼は深く焦燥を感じていた。

彼にとって唯一の慰めは彩香だった。彩香とは同じ大学の同じクラスで、彼女は広介が唯一真剣になれる存在だった。彩香の美しい姿、聡明な頭脳、そして何よりも彼女の持つ輝くようなオーラ。それら全てが、彼にとっては遥か遠く手の届かない存在だった。

その日の夜、彩香が指定した場所に向かった。その場所は市街地から少し離れた静かな場所にある大きな建物だった。大きな鉄製の門を開けると、中からは様々な人々の声が混ざり合って響いてきた。そして、その声とともに一緒に溢れ出てきたのは、人間の体液と香が混ざり合ったような異様な匂いだった。その匂いはあまりにも強烈で、広介は少し喉を詰まらせた。

彼が中に足を踏み入れると、そこには彼が想像していた以上に奇妙な光景が広がっていた。大勢の人々が同調したリズムで手を振り上げ、何かを唱えていた。その人々の表情は一様に恍惚としており、その異質な空気に、広介は一瞬逃げ出すことを考えた。

しかし、その後方に立つ彩香の姿を見つけた瞬間、逃げ出す考えは吹き飛んだ。彼女の存在感は周囲の人々とは一線を画すような優雅さと美しさを放っていた。彼女のその姿はまるで、彼女自身が何か特別な力を持つ存在のように思えた。彼女の魅力が一層増したその瞬間、広介は自分が何を目の当たりにしているのかを理解した。彼は何か特別なものの一部になるチャンスを得たのだと思った。

その特異な空間の中で、広介は初めて体験する経験に自分自身を任せた。初めて聞くような奇妙な儀式、どこか異質な雰囲気の中での共有体験、それらが広介の中に新たな感情を芽生えさせた。彩香の姿がその全ての中心にあることは、彼にとって否応なく魅力的に映った。

彩香は一段高い場所で、信者たちを見下ろしながら祈りを唱えていた。その姿はまるで女神のようで、広介は彼女の美しさに圧倒されてしまった。彼女の言葉は広介には全く理解できなかったが、その声は彼を引きつける魔力を持っていた。彩香が口にするそれぞれの言葉が、広介の心を打つ音楽のように響いていた。

その集会が終わると、彩香は広介に近づいてきた。「どうだった?」と尋ねる彼女の目は純粋な好奇心で輝いていた。広介は彼女の目を見つめ返し、「何か特別なものを見せてもらった」と答えた。それが真実であったかどうか、彼自身もよくわからなかった。

それからの日々、広介は自分が何を感じているのかを探りながら、彩香とその信者たちの集会に参加するようになった。毎回違う人々が彼を新たな経験に誘い、その経験は彼の中で新たな感情を引き起こした。そして何より、彩香への感情が彼を更に深くその世界へ引きずり込んでいった。

日々、広介は新たな経験と感情の中で変化を感じ始めた。かつての退屈な日常が徐々に遠くなり、その代わりにこの新しい世界が彼の心を支配していった。その中心には常に彩香の存在があった。彼女の目が彼を見つめるたび、彼女の声が彼の名前を呼ぶたび、広介は自分が何を求めているのかを実感した。彩香という女性と、彼女が中心となるこの信仰の世界に魅了されていく自分自身を、広介は否応なく受け入れていった。

彼が信者としての儀式に参加するようになったのは、それから数週間後のことだった。広介は彼らと一緒に祈り、唱え、沈黙することで、彼は自分自身の中に新たな一面を見つけ出すことができた。それは彼がこれまで経験したことのない、全く新しい感覚だった。

ある日、広介は彩香に自分の感情を打ち明ける決意をした。彼は彼女に対する自分の感情を、言葉にして彼女に伝えた。彩香は彼の言葉に少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐに優しく微笑んで広介に返答した。「それは素晴らしいことよ。だってそれがあなたの真実なんだから。」

その日から、広介は教団の一員として認められ、信者としての生活を始めた。そして彼の日々は、新たな挑戦と感情で満たされ、かつての無色透明な日々からはほど遠いものとなっていった。彩香への愛情が彼を変え、彼の日々を彩る新たな色となった。そしてその新たな人生の始まりは、彩香への告白から始まったのだった。

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