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小川糸 『ミ・ト・ン』

なにか読みたいのに、読みたいものがない。
そんなときに読みはじめ、ぴったりはまって気に入っている一冊。

最近、春のおとずれを感じながらも、はじめてミトンを編んだ。
いろんな気持ちが交錯する今、編みものをしているとその手元に集中できて助かった。編みながら思い出したのが、小川糸さんの『ミ・ト・ン』。


主人公はマリカという女の子。外であそぶのがだいすきで、はじめは編みものを好きになれず苦戦する。でも彼女が住むルップマイゼ共和国では、願いや想いをこめてミトンを編む習慣があり、ミトンを編めることが大人になったしるし。
そんなマリカがはじめて自らミトンを編みたいと思い立ったのは、ヤーニスという彼と出会ったとき。彼のミトンを編み上げて想いを届けたときから、ミトンを編むことがすこしずつ好きになっていく。


わたしは最近、はじめてミトンを編んだ。
難しそうな編み図にひるんでも、やっぱり編みものが好きだと思えるのは、祖母や叔母にベストや靴下を編んでもらったことがうれしかったから、そして、小学生のとき「手の仕事」の時間があったからだと思う。棒針もかぎ針も、基本的なことはその時間に教わった。当時低学年だったわたしは、廊下に飾られた高学年の「手の仕事」の作品に心からあこがれていた。校舎の入り口の下駄箱から見上げるように眺めた作品が並ぶ風景は、今でも思い出すことができる。色づかいがグラデーションになっている、バッグや帽子。

あの頃のあこがれは、とても純粋で、まっすぐだった。


いまだって、いろんなあこがれを感じる。あこがれは、ないよりある方が日常の差し色になって張り合いがでるのかもしれない。でも、ねじれてこじれたあこがれは、自分も苦しいし相手も周りもうれしくない。

大人のあこがれが小学生のときのと根本的に違うのは、その複雑さだ。いろんな価値観、選択肢、生き方があることを知り、その先にあるものがすこし予測できてしまったりもする。頭が言葉を駆使するようになって、ねじってこじらせてしまうのだろう。

ほめられたり、できた!と達成感を感じることがあっても、どこかすっきり喜べないのは、こころのどこか隅っこで、比較したり、裁いたりしてしまうからだと思う。
できた!うれしい。とはいえ、
あの人はもっと上手だろうな。こんなこと大したことないんだよな。というように。

まっすぐなあこがれを抱いてひたすらに追いかけることは、もうできないのだろうか。そして、あこがれを掴んだときのすっきりしたよろこびは、もう味わえないのだろうか。

編みものは、大人になったわたしにもすっきりしたよろこびを味わわせてくれる。かわいい編み図をみつけて、編んでみたいとあこがれがうまれる。編みはじめたら、集中。余計なことを考えた瞬間、どこを編んでいたかわからなくなったり模様を間違えたりするから、頭にもこころにも余計なことを考えるスキマはなくなる。そうして編みあがった、できた!の瞬間。

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わたしにとって編みものをしている時間は、瞑想に近い。
瞑想のプロみたいに頭もこころも空っぽにするなんて、邪念が多すぎて無理だけれど、編みものをしていると余計なことを考えないでいられる瞬間がある。

『ミ・ト・ン』の主人公マリカは「心のでこぼこをたいらにならすようなイメージを浮かべながら」ミトンを編む。編んでるうちに、波立ったりささくれだったりした心が、おだやかにたいらにならされていく。
一目ひとめ編み重ねているうちに、わたしの心もすこしはたいらに、そしてあったかくなっているのかもしれない。だから、編み目がそろっていなくても、見本のような出来栄えではなくても、すっきりとうれしい気持ちで完成したものを受け止められる。


「そのものと、まずはまっさらな心で向き合うんだ。ミツバチならミツバチ、アリならアリに敬意をはらって、心から、うそいつわりなく、あなたのことが好きです、って伝えるんだよ。人間の方が上だっていうおごりを、一切すててさ。生き物は、すべて対等なんだから」
(中略)
「言葉というよりは、その思いだけを届ける感じかな。沈黙の言葉とでもいうのか、無言の会話なんだよ」

マリカに夫のヤーニスが教え、いつしか彼らふたりのものになっている価値観。価値観というより、世界とのかかわりの距離感かもしれない。

比較も差別も優劣もなく、互いに敬意をもっていられたら。
あなたのすばらしさとわたしのすばらしさを比べる必要はないはずだし、ほんとうは比べられるはずがない。

いつからかつけてしまった、ねじってこじれた癖、すこしずつ、すこしずつ、とかしていこう。わたしは、まっすぐに、あこがれたい。


小川糸『ミ・ト・ン』(幻冬舎文庫)


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はじめて編んだミトンは、三國万里子さんの編み図。
三國さんの作品は、かわいくてかっこよくてとても丁寧で、編みたいという気持ちをかきたてられます。見惚れてあこがれていた何年かを経て、編めた!というよろこび。つい、ふたつ目に手をつけています。
あまいあこがれにはじまり、雲ひとつない青空のようなスカッとした達成感におわる、そんな編み図たち。

三國万里子『編みものこもの』(文化出版局)

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