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LINE上だと母が褒めてくれる意外性について。

子供の頃から、母に褒められた記憶は、ほぼ無い。
何かしらダメ出しをされて、しゅんとするのがオチ。例えば、国語のテストで100点を取っても、「今回は簡単だったみたいね。でも、算数は75点だったよね」といった具合だ。
100点を取っても褒めてもらえず、苦手なりに努力した経過は認めてもらえず、子供ながらに自分の存在意義について悩んだものだった。自信なんて、カケラも持ち合わせていなかった。

母に、当時の言葉の真意を問うと、「もっと褒めてあげればよかった」「人前で褒めることは、見苦しいことだと思っていた」という答えが返ってきた。
分からない。どうして、母がその様な考え方に至ったのか。どうして?そう問いかけたい反面、その経緯を私は知らない方がいいような気もした。

それが私の母だから、母親ってこういうものなんだろう、そう思って生きてきた。友達のお母さんや、テレビドラマに登場する優しいお母さんとはちょっと違うけど、うちのお母さんは天邪鬼で、きっと私のために、褒めたくてもわざと厳しい言葉をかけているんだ、そう思い込みながら生きてきた。

そんな母が、還暦を過ぎてやっとスマホを持ち、割と難なくLINEを使いこなしている。
老眼だから、文字を打つのはしんどいとか何とか言いながら、会話の流れに沿う心情を表すにはピッタリの無料スタンプを駆使している。

そして、なぜか不思議と、LINE上の母の言葉にはトゲがない。
否定も、嫌味も、呵責もない。
例えば、私が送った写真を見て、「かわいい!」とか、「よかったね!」とか言ってくれる。
この何気ないひと言が、私にとってどれだけ大きな衝撃だったか。
送られてくるスタンプは、クマのキャラクターがハートにまみれていたりする。
とにかく、会話の内容が肯定的。もはや、別人ではなかろうか。

「もっと褒めてあげればよかった」

あの時の母の言葉が、頭の中を駆け巡る。
そして、当時の母と同じくらいの年齢になった今、はじめて母の気持ちに寄り添ってみる。

やっぱり、母の気持ちは母にしか分からないし、私は分からなくていい。

あの頃の母もありのままの母で、今日のLINE上の母も、母であった。
とにかく、どんな姿の母も、嘘偽りないことだけは確か。

親子でも、それぞれまったく違う人、違う人生。意外でもなんでもない。知らなかった母の一面を、今になって知った。

ただそれだけのことだ。

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