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【記紀の矛盾】消された倭国の歴史【出雲王国と秦王国】〜古書から日本の歴史を学ぶ〜

※この文章はYouTubeで動画で見ることも出来ます。

こんにちは、今回も引き続き倭国についてお話させて頂きます、宜しくお願い致します。

これまでの動画では倭王と天皇の関係から7世紀以前には大和朝廷は存在していなかった、という考察から[北史]と[隋書]にあった秦王国とは記紀だけを読むとわかりませんでしたが、出雲口伝と宮下文書を見たらどうやら日本列島に秦国に繋がる王朝があったらしい、というお話をしました。


では隋書のいう秦王国はいつまで日本列島に存在してたのでしょうか、また、記紀には無かった秦国や倭国の歴史はいつ消されてしまったのでしょうか。


この謎を解くのに重要になるのが“白村江の戦い”です。この戦いについては以前動画にしていますが、日本列島の歴史を紐解くうえでとても大事な戦いなので、もう一度この海戦を軸に歴史を見ていこうと思います。


隋書の秦王国がいつまで存在していたのか、という問題ですが、恐らく白村江の戦いまでは日本列島に存在していた王国だと思います。

記紀ではこの戦いで敗戦したことにより、中央集権体制が強化され軍事整備を行ったとあり、その後古事記日本書紀の編纂が始まります。

この国内体制の変革と歴史書編纂の2つの事業は単独で進行し始めたものではなく、セットで動き出した政策です。明治時代に富国強兵とセットにして始まった天皇神格化や、太平洋戦争後の国内体制の整備、変革と歴史教科書の廃止・処分などと同様に、国内体制の変革と歴史書は切っても切れない関係にあります。


古事記の序には天武天皇の言葉としてこの様なことが書かれています。

《諸家の持っている帝紀と本辞は偽りが多いと聞く。故に帝紀を撰録し旧辞を討覈して、偽りの部分を削り、事実を定めて後世に伝えるために稗田阿礼に帝紀と旧辞を誦み習わせた》とあります。

この古事記の作成において、邪馬台国を含む倭国の歴史書である[旧辞]と秦国徐福を含む歴史書、つまり[本辞]が消えてしまうのですが、この記紀編纂の過程は出雲口伝にも伝承があるので、[出雲と蘇我王国]を見ていきます。
《722年頃、出雲国府東北の太ノ屋敷から、向家に逢いたいとの知らせがあった。向家の当主に太安万侶がこっそり話を伝えた。内容は右大臣の命により、古事記と日本書紀を作ったことなどであった。イズモ王国の歴史は、出雲国造の要望により、神話に書き換えられたが、太安万侶がイズモ王国の王の個人名を古事記に書き加えたことを告げた。出雲神話の中に、イズモ国王の実名が書かれているのは不釣り合いである。しかしどうしても書きたかった、と言った。向家は太安万侶にイズモ人を代表してお礼を述べた。古事記は柿本人麿が書いたと言う。
記紀は右大臣の独断で編集方針が決まり、製作が始まったから秘密にする必要があった。それが終わったから、わたしは監禁されたと太安万侶が述べた。》とあります。

《記紀は右大臣の独断で編集方針が決まり、製作が始まったから秘密にする必要があった》という部分ですが、天武天皇が[帝紀][本辞]から偽りの部分を削って事実を定めた、と古事記にあるのは天武天皇にとって"偽り"としておきたい部分であり、これが独断で秘密裏に行われたことが出雲口伝からわかります。



白村江の戦いですが、この海戦以降、古代の日本が所持していた大型構造船の造船技術や航海技術が突如衰退する、という謎の現象が起きています。
[魏志倭人伝]には卑弥呼が魏に対して生口10人と班布を二匹二丈(約23m)奏したことが書かれています。さらに卑弥呼の後継者壱与が送った使節団は「使節20人、生口男女あわせて30人を献じた」とあります。これらの使節団の船には乗組員や護衛兵を加え、食料や飲料水、さらに貢物を厳重に保管しながら海を越えなければならず、大型の帆船くらいは必要だったと考えられます。

[日本書紀]によれば663年の白村江の戦いで倭国は百済救援に向かっています。倭国軍は第一派だけでも約1万人の完全装備した兵士、プラス馬を170隻の船で出動させています。
これらの中には輸送船団を護衛するための強力な艦隊も存在していた可能性があります。
このように、倭国は九州の港から帯方郡の仁川港や錦江辺りまで航海できる技術を持ち合わせていたことがわかります。
ところが白村江の戦いから約40年後の日唐交渉が再開されてからは、渡航自体が生きるか死ぬかの命がけの航海になっています。
白村江の戦いであれだけの艦隊を駆使して交戦していた倭国の航海技術が、急激にレベルが下がったのはなぜでしょうか。


[日本書紀][旧事紀]では白村江の戦いで敗戦後、阿曇水軍が全滅し後軍の阿部水軍はそれほど損害が無く、戦後すぐに増員補強されたとありました。

そうなると倭国の航海技術は戦後も残存していたことになるので、航海技術が低下することはないと思うのですが、この矛盾はどういうことでしょうか。


ここからは仮説ですが、白村江の戦いを指揮していたのは天智天皇の大和朝廷ではなく、邪馬台国につながるアマの姓を名乗る王朝だったのではないでしょうか。
少なくとも隋の時代までは倭国がアマの姓をもつ王朝であったことは[隋書]を見てもわかると思います。
この戦いで倭国の水軍は壊滅し、唐・新羅との講和条約の一つとして水軍や船艦の保持と造船を禁止されたのではないか、という仮説です。

戦勝国が負けた国に対して軍備制限を強制することは古代の世界史を見てもよくあることですし、太平洋戦争後の日本の航空技術を見ても明らかです。戦後日本の航空機はGHQによって製造を禁止され、世界トップレベルだった日本の航空技術は1945年以降失われました。さらに航空機の研究や教育も禁止され、技術者が国内からいなくなります。

これと同様のことが白村江の戦い後、水軍艦隊で行われていたとすれば、わずか40年後には東シナ海を安全に航海できる航洋船がなければベテランの航海士もいないという謎の現象が説明出来るのではないでしょうか。
敗戦後に生きるか死ぬかの遣唐使を出航させていたのはアマを名乗る倭人ではなく、大和朝廷の官僚達です。
倭国は主に海洋民族で構成されていたので、造船技術はもちろんのこと潮の流れや天気、星を読む能力に長けており、間違っても風任せの一か八かの航海などはしていなかったのです。

倭国の人々にとって船がどれほど重要な存在で尊重していたのか、[日本書紀]の仁徳記・応神記に登場する枯野という大型船の記述を読めば理解できると思います。
この船は長い間官船として用いられた船です。この官船の実績を讃え枯野の名を後世に伝えるため、枯野船の廃材で塩を焼いたとあります。できた塩は500籠にもなり、500の諸国に配ったとあります。
枯野船の焼け残りで琴を作ればその音は七里に響き渡った記述からも、役目を終えた大型廃船は解体され、木材は他の用途に供せられ、無駄なく再利用されていたことがわかります。倭人の船に対する感謝の念はこの様な供養方法からも察することができます。
以上の様な解体を行なっていたとしたら、古代の出土品の中に帆船の遺物が存在しないという疑問も理解出来るのではないでしょうか。

古代の船といえば丸木舟や刳船などの原始的な船だけだったと思い込んでしまいますが、縄文時代の日本列島には海洋民族の殷人や倭人が入っていたという情報からも造船技術は大陸の民族よりも進んでいたことが十分に考えられ、倭人が漢の造船技術を輸入したのではなく、むしろ逆だったのではないでしょうか。
丸木舟や刳船は一般庶民の移動や漁などには重宝されていたと思いますが、遣隋使が貢物を乗せて運ぶには相応しい船とは言い難いです。

白村江の戦いについて記紀の内容が史実だとするなら天智天皇は戦勝国側の唐・新羅から見たら戦争犯罪人のトップです。当時の天皇は太平洋戦争時の天皇とは違って事実上の陸海軍の最高司令官です。その天智天皇が敗戦後正式に即位して日本列島の支配を続けるというのは少し不自然です。

以上のことを加味すると、唐・新羅との戦いを白村江で遂行していたのはやはり邪馬台国に繋がるアマの王朝だったということです。白村江の敗戦によって、アマを名乗っていた王朝は滅び去り、隋書のいう秦王国もこの頃に姿を消します。
出雲族や秦国の徐福に繋がる一族が歴史のわき役となったことからもこの王国は事実上滅亡したと言えると思います。
天武13年684年には物部氏は石上氏に名を改めていて連から朝臣の姓を与えられたとあります。八色の姓では7番目から2番目にランクアップした訳ですが、名を改めるというのは一族の名を捨てた、とも取れます。上手く生き残った物部氏の一派は大和朝廷に石上氏として残留し、各地に潜伏した物部の一派もいたのかもしれません。

今回は白村江の戦い後、航海技術が著しく低下したという謎の現象から、敗戦後の古事記日本書紀編纂の流れを見ていきました。
古代史は膨大な学説がありますので、今回の内容はその内の一つだと思って頂いて、是非みなさんも調べてみて下さい。最後までご覧いただきありがとうございました☆

📖この動画の参考書籍📖
鹿島曻著書「倭人興亡史」「倭と日本建国史」
石原道博著書「新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝」「新訂 旧唐書倭国日本伝・ 宋史日本伝・元史日本伝」
斎木雲州著書「出雲と蘇我王国」
佐治芳彦「邪馬臺国抹殺の謎」
三輪義熈著書「神皇紀」
岩間尹著書「開闢神代暦代記」
鈴木武樹著書「消された帰化人たち」「日本古代史の展開」
宮崎康平著書「まぼろしの邪馬台国」
吾郷清彦他17名著書「神道理論大系」
藤間生大著書「日本古代國家」
東洋文庫「三国史記1新羅本紀」
家永三郎著書「日本書紀」
富士林雅樹著書「出雲王朝とヤマト政権」
浜名寛祐著書「契丹古伝」
浜田秀雄著書「契丹秘伝と瀬戸内の邪馬台国」
東洋文庫「三国史記1新羅本紀」
中村啓信著書「古事記 現代語訳付き」
黒板勝美著書「国史大系 日本後紀」

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