![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/71594761/rectangle_large_type_2_6e217e7f8457839b59faa242b5197100.jpg?width=1200)
来店者
「今のひと、知ってる」
「どっち」
「男のひとの方」
「同級生かなんか?」
「ううん。あのひと、バンドやってるの」
「え、そうなの。知らないなあ」
「インディーズバンドだから。一部では有名だけど、普通は知らなくて当たり前」
「ふうん、そうなんだ。慥かにそういうことやってそう、細くて髪が長くて。あれは一般人でもモテるよね」
「熱狂的なファンが居るよ」
「居てもおかしくないかな。でも、彼女と凄く仲が良さそうじゃない。ネックレス買ってあげたりして。しかもつけ方が殆ど抱き締めてる状態で」
「木下さん、普通のことあんまり知らないみたいなの。後ろで留めるって知らないんだと思う」
「前からつけようとしてあんなに覗き込んだら、抱き竦めるみたいになるよね」
「目が悪いから留め金が見えなかったんじゃないかな」
「眼鏡掛ければいいのに」
「嫌いみたい」
「変わったひとなんだ」
「そこが良いってみんな云ってるけどね」
「彼女のことはみんな知ってるの」
「知ってるよ。ライブにいつも来るし、あんな風にべたべたしてるし」
「普通、ファンの前では控えることない? 人気商売なんだから」
「自分のことミュージシャンだなんて思ってないし、ちゃんと就職してるし」
「何処?」
「図書センター」
「ああ、彼処か。上条グループじゃん」
「うん」
「じゃあ、バンドマンって云っても稼ぎはいいんだ」
「そうだと思う。彼女の服とか靴とかしょっちゅう買ってあげてるみたいだし」
「いい彼氏じゃない」
「そこがむかつく。他のバンドマンみたいにヒモ状態ならざまあみろって思えるけど、あれじゃあ普通の男より良いじゃない。みんなあのひとに嫉妬してるし、頭に来てる」
「それは逆恨みじゃない? あのひとは何も悪くないし、彼氏の方がもの凄く大事にしてるのは見てて判るもん」
「だって、ロックのことなんかなんにも知らないし、あんな調子だよ。木下さん、女のひとのこと知らなすぎるんだよ」
「バンドマンで女に疎いなんてある?」
「高校の時、つき合ってたひとが居たらしいけど、その子も音楽に興味がなくて卒業と同時に別れたって。そのあとはあのひとだけだもん。親しく話したりはするけど、女に興味がないみたい」
「ゲイって訳じゃないんだよね」
「絶対違う。おかまのひとから逃げ廻ってるもん。純情なんだよ」
「あの年で純情ってないでしょ」
「無垢な感じがする」
「それはバンドマンじゃなくても珍しいね」
「うん」
「どんな音楽なの」
「うーん。歌の部分はメロディーが平坦で、歌詞は文学的で、演奏はデスメタルみたい」
「なにそれ、判んない。近いバンドとかないの」
「ないなあ。もの凄く個性的だから」
「喋ってる声が小さかったけど、ボーカルじゃないよね」
「ボーカルだよ。ギターも弾いてるけど」
「声、出るの」
「唄う時はちゃんと出してる。掠れるけど」
「ふーん。よく判んないなあ。ライブハウスで演るようなバンド、知らないから」
「大学に入る前は路上でライブしてたんだって。ライブハウスに出演して一年くらいで看板バンドになって、それでも就職して、そのあとすぐに同棲始めちゃった」
「バンドやってるひとってそんなもんじゃない。普通と違うから」
「木下さんはそんなんじゃないよ。清世さんが云い出したって話だし」
「清世さんって、さっきの彼女?」
「うん」
「あんなおとなしそうなのに。敵が多いから見張ってたいんじゃないの」
「見張らなくたって木下さんは浮気しないよ」
「そんな感じだけど」
「ほんとむかつく。美人だったら諦めもつくけど」
「可愛いひとじゃない」
「それだけでしょ。そんなひとなんか幾らでも居るよ。なんの取り柄もない癖に」
「本人にとっては魅力があるんだよ。就職したばっかで同棲するって、相当なことだよ」
「だから、それはあのひとが頼んだんだって」
「頼まれたって経済的なこととか心構えとかあるじゃない。特にバンドなんかやってたら傍目も気になるのに、特定の彼女を作るんだから本気なんだよ」
「本気なのは判ってるよ。あのひとじゃなきゃ納得する。ファンの女の子で親しいひとが居て、そのひとは音楽に詳しいし、木下さんのことも路上時代から知ってるのにまったく気にしてないんだもん。名前覚えてるかどうかも怪しい」
「大勢相手にしてるんだから、名前なんかいちいち覚えてらんないって」
「でもファンは大事にしてるんだよ」
「ならいいじゃん」
「人気が出てこれからって時なのに、デビューの話も断ってさ。就職したのだってあのひとの為なんだよ。足引っ張ってる」
「それは本人たちの問題じゃない。男としてちゃんとしようとしてるんだから、責める筋合いはないと思うな」
「だって音楽の道を閉ざしたんだよ。悪女じゃん」
「そんな云い方するのやめなよ。それが表に出たら嫌われるよ」
「あたしのことなんか覚えてないもん。毎回ライブに行ってるのに、気づきもしなかった」
「それは仕方ないって。大勢来るひとのこと、ひとりひとり覚えてられないよ」
「話したことだってあるのに」
「ファンサービスでしょ。喋ってもらえただけでもありがたく思わないと」
「ただのアマチュアバンドじゃん」
「それを特別扱いしてるのは自分じゃない。云ってることが矛盾してるよ」
「自分でも混乱してるのは判ってる。うちの店に来るとは思わなかったから」
「お洒落だけど、服は古着みたいだしね。彼女はいい服着てたけど」
「だからあれ、木下さんが買ってるんだって」
「あのひとも働いてるんでしょ」
「そうだよ。木下さんより年上だもん」
「えー、年上なの。そんな風に見えなかった」
「年下だから頑張ってるんだと思う。可哀想」
「だからさー、本人が良けりゃそれでいいじゃん。他人がどうこう云うことじゃないよ」
「むかつくの」
「焼きもちは醜いよ。気持ちは判るけど」
「判ってる」