文明つくリズムでいこう!僕らは文明つくる主体者なんだから
自分の身の回りにあるものをていねいに確認していくと、気づくことがありますよね。
「あ、コレぜんぶ、誰かが作ったモノじゃん!」
って。そうなんすね。われわれの日常は、誰かが作ったモノで囲まれてます。
パソコン、スマホ、Tシャツ、メガネ、テーブル、マグカップ、本、サンドイッチ、ボールペン、蛍光灯、マンション、舗装された道路、駅ビル、などなど。
このうち、自分で「買った」モノは分かりやすいですよね。だって買ってるし!明らかに自分で作ってないことが分かります。
でも、自分で「買ってない」モノに関しては、「誰かが作ってくれてんだな〜」って臨場感は、だいぶ低いと思うんすよ。
たとえば、「電気」っすね。
電気はかなり微妙なラインじゃないっすか?「蛍光灯」なら、スーパーとかアマゾンとかで買ったモノだろうから、分かると思うんですけど、電気は目に見えないし、支払いも「電気代」として月一の引き落としとかだと、あんまり「買ってる感」ないですよね。
でも、電気も買ってます。
つまり、その対価によって、誰かが労働してくれてますよね。そのおかげで、こうして光ってくれてるわけで。ピカピ〜カしてくれてますね。
このピカピ〜カの向こうで、誰かが働いてくれているのは間違いないんですよね。
次に分かりにくいのが、「道路」ね!
道路って、自分で「買う」モノじゃないからね!
なかなか「誰かが作ってくれてんだな〜」とは思いづらい代表格っすね!
でも本当は、お金払ってるんですよ。税金として。道路を作るために!道路ってのは「公道」ですから。小学生とかでも、駄菓子屋で消費税を払ったことあれば、実質は「オレ、道路買ったことあるぜ☆」って言っていい、みたいなもん。
あとガソリン税とかも数年前までは国土交通省の予算になってたみたいですね〜。
だから間接的にですけど、「道路」も「買って」ますね。われわれは。
「買って」るってことは、「誰かがそこで労働してくれて作ってくれてる」ってことですね。
「商品」ってのは、誰かの「労働力」なしには生まれませんから。
でも、これだけ広〜い日本(ニッポンと、あえて脳内再生してくださいここは)の、いたるところに道路ってあるじゃないっすか?
それがぜ〜〜〜んぶ、誰かの手によって張り巡らされたモノである、って、単純にちょっと想像しただけでヤバくないっすか?
日本ってめちゃくちゃ広いし、人口だって1億2000万人とかいるんですよ?その全員が通れる道路が、張り巡らされているわけじゃないっすか?
それ、ぜんぶ人力ですよ?
なんかバビってきませんか?
今ある日本中の道路って、ぜんぶ誰かが作ってくれたんですよ?
手作業でつくったんですよ?
想像力の限界に挑んでる感じがしてくるのは、私だけでしょうか?
頭がクラクラしてきます。
昔、警備員のアルバイトをしたことがあって、道路をつくる現場に行ったことがあるんですよ。
その時に、いわゆる「道路が作られる一部始終」を見てたんですけど、道路を作るのってめちゃくちゃ大変なんですね。
アスファルトって、原油の残りカスみたいなのが、砂利状になってて、それを道路に流していくんですけど、
けっこう人力なんですよ
僕のイメージでは、なんかもっとこう、ダンプカーとかでザザーッといって、その後なんか名前も知らないデッカイ重機で押し固めてるみたいな気がしてたですけど、
全然ちがった。
けっこう簡単に「3分クッキング♪」的なノリで、スムーズに作られてるんだろうな〜21世紀だし〜って思ってたんですけど
そんなことはなかった。
衝撃的でした。
めっちゃ手作業。
重たい袋を運んで、開けて、中身を出して、平らにして、それを何回も繰り返して、広げていく。
日焼けした、ガタイのいい、おっちゃんやお兄ちゃんたちが。
そんでつぶすの。平らにするために。
ボム!ボム!ボム!って、地面を叩く機械(R2D2みたいなフォルムの)を、手で押さえながら。
それが小一時間くらい続くの。
たぶん衝撃でいうと、「小象が歩いてる」くらいのパワー。
その機械を人力で押さえてるんだぜ?
おっちゃんが、手で押さえてんだぜ?
小一時間もだぜ?
そうしないと、道路って固まってくれないんだぜ?
車が安全に走れないんだぜ?
子どもも安心して、通学できないんだぜ?
マジかよ!!!!
と、無知な僕は思いましたよ。
道路つくるのめちゃくちゃ大変じゃん!!ぜんぜん知らなかったよ!!!って。
あれは衝撃でしたね〜。
もちろん、もっとデッカイ道路だったら、ダンプとか重機の出番ももっと増えるんだと思うんですけど。
それにしても、想像を絶する労力ですよ。そうやって日本中に道路を通していくのは。
しかもそれを、みんなが寝てるド深夜とかにやってくださってるわけじゃないですか?
昼はみんな道路使うから、っつって。
道路を作ってくださった方々マジでありがとうございます!!!!
おい!駄菓子屋でヘラヘラしてるお前もとりあげず頭下げとけ!ありがとうございます言っとけ!消費税くらいでえらそうにすんな!
って話でね。
本当にね、もう頭上がんないですよ。
それも仕事なんでしょうけど。
すごいですよ。いろんなプロの方が世の中にはいらっしゃいます。
そんなに道路、つくれませんもん、ぼく。
あと、さらにヤバいのがあって……
今のは「アスファルト道路」の話でしたけど、もっとヤバい「道路」があるんですよ……
ん?
お気づきですか?
聞いちゃいます?
これ聞いちゃうと、明日からの日常が、けっこうヤバい感じになると思いますよ?
いいですか?
覚悟できてます?
いきますよ……?
タイル張りの道路まじヤバくないっすか?
あのタイル、一枚一枚、ぜんぶ手作業ですぜ?
駅とかいったら、あそこの床、マジで全部タイル張りだったりしてますぜ?
あれ、ぜんぶ人力ですぜ?
ヤバくないっすか?
耳、キーンとしますよね。
最近まで、僕の最寄駅の地下道がずっと工事中で通行禁止だったんですけど、ようやく工事が終わって歩けるようになったんですよ。
で、歩いてみたら、床がタイル張りなんですよ。
しかもタイルの形が、正方形じゃない!
なんていうのかな〜、ほら、キリンっているじゃないっすか?
あのキリンの模様みたいな、一枚一枚が不揃いのタイルが、細かい目地で割と均等に並んでるんですよ。
こんな感じで。
伝わります?
結構でかい駅なんで、地下道も全長100メートルくらいあるんですけど、その床ぜ〜んぶ、キリンのタイルっすよ。
もうね、
震えましたよ
すげー平らで、全然つまづかないけど、これって全部、人力で埋め込んだんだろうな〜って想像するだけで、
もう、足元ふるえてきますよ。ありがたすぎて。ありがたすぎてありがたすぎて震える。
タイルって、あまりにも普通にきれいに並びすぎてるから、なんか初めからそのように綺麗に並んでたかのように錯覚しがちなんですけど、ぜんぜん違うんですよね。
壁紙みたいに、全体を一枚としてぺら〜っと貼れるわけじゃない。
元々は、一枚一枚なんですね。
だから、要領としては「瓦」に近い!!!
あれを、手作業で、めっちゃ綺麗に、並べてくわけです。キリンの模様で。水平になるように。おばあちゃんとか転ばないように。しゅんごい労力でしゅんねえぇ?(衝撃的すぎて日本語がおかしい)
で、話が長くなってますけど、要は、
「俺たちって、誰かが作ってくれたものに囲まれて生きてるよね〜」
って話で、
だから「それに感謝しようよ〜」っていうのは、まず基本だし、めちゃくちゃ大事なことだと思うです。
でも、そこからもう一歩進んでみると、
「てことは、目の前のモノすべてが、こうじゃなかった可能性もあったよね?」
ってことに、気づくと思うんですよ。
こっちがむしろ本題なんですけどね。
つまりですよ!
目の前の道路が「キリン柄のタイル張り」だってことに気づくじゃないですか。
で、「うわ〜これぜんぶ手作業で作ってくれた人いるのめっちゃヤバ〜〜、歩けるのマジ感謝〜〜」って気持ちが湧き上がりますよね。
すると今度は、
「そもそもなんでタイル張りなんだろう?」
・景観のため?
・耐久性のため?
・材料コスト削減のため?
・作業効率のため?
とか、いろいろ考えが進みますよね。
すると、「そもそも道路ってなんじゃい?」みたいな、千鳥の大吾さんみたいなキャラが脳内で呟きだします。
「ワシがほんまに歩きたい道路は、これなのかのぉ?」
みたいな。
これが、「目の前の常識を疑う」ってやつっすよね。
目の前の当たり前の世界を、違った視点で見てみる、ってことだと思うんです。
そうすると、なにが起きるか?
近い将来、イノベーションが起きます。
イノベーションってなんやねん?というと、「みんなが『これめっちゃええやん!!』って感じるけど、まだ誰も作ってないし、知られてもいないアイデアとかサービスとかモノの形を生み出すこと」です。
こういうことがあると思うんですよ。
「目の前のモノ」が、「誰かが作ってくれたものなんだな〜」と感じることによって。
まずは感謝することができるんですけど、その次に「でも、これはなんでこの形やねん?」って呟きがやってくる。
「誰かが、この形にした」
ってことは、
「俺なら、別の形にするかも」
ってことになる。
それが行くとこまで行くと、「イノベーション」になって、世界が変わる。
でも、そこまでじゃなくても、もっと身近な現象でいえば、それって「工夫する」ですよね。
たとえば、ちょっと疲れた日の帰り道にラーメン屋に寄って坦々麺を頼みました。
そのときに、
「もっと酸味があったほうがええのぉ」
と脳内で呟く声がする。そんな時には、卓上のお酢を入れますよね?
これも「工夫」です。疲労回復に効果アリなわけです。
これにより、明日の足取りがちょっと軽くなるかもしれません。そのおかげで仕事がうまく行ったり、職場が明るくなったりして、別の誰かが助かったり、知らず知らずの内に笑顔を増やしていたりするかも。
これだって、立派なイノベーションです。
そのはじまりは、ちょっとした「ひと工夫」なんです。
そして、そのひと工夫を生み出すためには、
常に、
工夫の余地ありでしょ!
と、思っておくことが大事だと思うんですよ。
目の前の現実とか、出会う人やモノや場所に対して。
たとえば、それが「ラーメンの味」なら、ラーメン屋の厨房の誰かの味付けですから。
つまりは、誰かによる「人工物」にすぎない。
ならば、この俺によって作り替えることは可能である。
そう考えること。
そのように世界を捉えること。
生きている生活空間を、万事をそのようにとらえる。
そうすると、アガってきます。
なんか「やれそうな気」がしてきます。
そうすると、世界は常に、工夫の余地ありなんですよ。
そしてそもそも、現代のわれわれが採用している政治のルール「民主主義」ってそういう仕組みです。
みんなの「ルール」を、みんなで決めようぜ!っていう。
「資本主義」もそうですね。経済のルールだってそう。
市場は誰にでもオープンだから、好きなもの作って売っちゃいなYO!!
という。そういう世界に、21世紀の僕らはナウで暮らしております。
いつでもどこでも、工夫の余地ありなんです。
ただその権利を、行使するか?しないか?が問われているわけで。
つまりは、この文明は、いつでも作り変えられる余地あり、ってことなんですよ。
目の前の現実は、絶対の決定版じゃない。
いつか、誰かが作った、文明の集積なんです。
それは常に、未完成品だし、暫定的に今はこのカタチだよ〜ってことに、すぎないはずですよね。
ならば、そこにひと工夫を加えることは、今この瞬間を生きているわれわれ全員に許可されている。
それは開かれた可能性として、ずっとあるはずなんです。
そう考えた方が、元気が出る。
目の前のいろんなものに、関心が向く、興味が湧く。
世の中や社会のこと、自分以外の人のことをもっと知りたくなります。そして、そのつながり方を、よりより方向へ工夫してみたくなります。
そういうのがいい。
そういう「文明つくってる感」で日々生きることが、ちっちゃい工夫から、おっきいイノベーションまでを誘発する、基本的なバイブスなんじゃないかと思っていて、
そういう意味で、「文明つくろう主義」=「文明つくリズム」ってのが、日々のバイブスとしてあるといいんだと思ってます。
「感謝」からの「ひと工夫」の余地あり!ってのが、いいっすね。
生きるのに望ましいバイブスだと思うのですよ。
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