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禁酒旅行記4
前作はここから
はい。禁酒旅行記も最終回。ここまでお付き合いいただいてて、感謝です。後少しですけど、お手柔らかに。
日曜日の朝!
ホテルでは最終日の朝。もう慣れた朝ご飯をいただく。美味しい。
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そして、この日は日曜日。向かった先は現地の教会だ。
フィリピンはカトリックが多い国なのだけれど、この日はプロテスタントのメソジストの教会に向かった。
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礼拝、始まると言われていた時間に全然始まらなくて、30分くらい遅れて礼拝が始まった。信じられない……。礼拝ってこんなに時間が自由だったのか。
でも、思い出してみると、ギリシャのアテネで教会に行った時は、開始時間と言われている時間に到着したらとっくに礼拝が始まっていた。びっくりした。
なお、その時の記事はここで読めます。
ミトロポリス大聖堂の礼拝に参加した時の話だ。
話を戻そう。現地の教会では、礼拝が始まる前にライブを行なっていた。ドラムやらギター、ボーカルが出て来て主を賛美する。私たちは、ライブ形式礼拝前前奏(?)に慣れていないので、とりあえず身体を揺らしながらノッておいた。(ちなみにノリノリの歌を歌うことに関しては、教会の中でも賛否両論あるが割愛する。私はたまにこういうライブ形式の礼拝に参加するのは好きだ。楽しいし。)
次第に人が集まってくると、日本から来た私たちを現地の教会員は歓迎してくれた。みんな握手をもとめてくれるので、私も笑顔でシェイクハンズしていく。
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私たちが来たことで、普段はタガログ語でしか礼拝をしていない教会だが、英語も交えて説教をしてくれた。
が、あまりにタガログ語と英語の切り替えがスムーズすぎて何を言っているのかほとんどわからなかった。申し訳ない。聖書箇所的に雰囲気だけは伝わって来たが……。
聖餐式にも与った。これは、パンとぶどう酒をいただくっていう儀式なんだけど、多くの教会では受洗した人(キリスト教徒になった人)しかもらうことができない。けれど、この教会では、誰でもオッケーだった。
まず、子どもたちが他の部屋から連れてこられて(礼拝は難しいから参加せずに別室で過ごしているみたい)、順番にパンとぶどう酒をもらう。その後大人が続いた。
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これ、かなりの時間がかかった。効率が悪いわけではなく、礼拝の参加者が単純に多いからだ。子どもも結構な数がいたし。日本の教会は高齢化が進むばかりだからとにかく羨ましい。
そして、献金の時には、オンライン決済ができるところが面白かった。
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普通は、礼拝では現金を集めるのだが、この教会では現金を集めると同時に手軽に振り込みも提示しててよい。うちの教会はまだなので、尊敬する。正直、献金とかペイペイで支払いたい。日曜日にむけて現金を手に入れるの大変なので。
礼拝の後は、バナナケチャップのパスタがでてきた。
……が、私たち、次の予定がある……。
ご好意に甘えて、爆速でパスタを食べて、教会をあとにしたのだった。
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その後、トライセクルで移動して、ICANというNGOを訪問。
ここは、路上生活をしている子どもたちの支援を中心に行なっているNGO団体だ。1993年に、トヨタの開発部に所属していた人がフィリピンを訪れて、その貧困に気付き、数人で5万円ずつあつめて設立したのがこのICANである。
現在フィリピンには37万人のストリートチルドレンがいる。まあ、それくらいいるだろうなというくらいには、町中にストリートで生活している子を目にした。
彼らにとっては、「物乞い」は仕事だ。窓を拭いて、お金をもらう。花を売って、お金をもらう。友達の赤ちゃんを「借りて」、その子を抱きながら、道路に出ていってドライバーからお金をもらうのも、彼らにとっては「テクニック」だ。
彼らはお金を稼ぐと、みんなで集まってギャンブルをしたりするらしい。コインの裏表を当てて遊ぶゲームだ。そして、稼げていない幼い女の子にギャンブルで勝たせてあげてお金を与える。そのようなインフォーマルな相互扶助がある。
(ちなみに、フィリピンでは葬式があると、そこでトランプでギャンブルを行なって、亡くなった人の家族にお金を渡すっていう文化がある。)
セブンイレブンの店の明かりで宿題をしたり、雨が降るとその雨水で身体を洗う。警察が来たら逃げる。そうして生きている。
ストリートチルドレンはよくペットを飼うそうだ。自分が食べていくのでも大変だろうに、ちゃんとご飯もあげるらしい。家族がいなくて、仲間と一緒に暮らしていても、やはり一人だという時に、犬は呼んだら来てくれて、なついてくれるから。私はそれで、フィリピンの街でやけに犬がいることに納得がいった。
ICANでは、そんな子どもたちが、その状況を抜け出すことを手伝う活動をしている。けれど、上から与えるのではない。子どもたちの「路上から抜け出したい」っていう思いが出てくるのを待つ、そして、その気持ちが出て来たら一緒に支援するのだという。
ストリートチルドレンの、なりたい職業は「先生」「警察」「軍隊」くらいしかない。それは、彼らが職業を知らないからだ。夢を語ることは彼らにとっては当たり前ではない。だから、「路上から抜け出したい」という気持ちが出てくるまでには時間がかかり、支援の仕方も簡単ではない。
(私はこれを聞いて驚いたが、窓拭きをしている子どもが、大人になってもずっと窓拭きをしていることはなんら珍しいことではないらしい)
しかし、ICANが支援していくうちに子どもたちが「パンとか作って売ってみたい」と思うようになった。その気持ちをICANは組んで、職業訓練を手伝い、そして、今や、路上生活をしていた子どもたちが、パンを作って売っている。彼らの生活の変化を一緒に支援するのは、時間も労力も半端なくかかるだろう。でも、そういう仕方の支援をしなければ、貧困ってなかなか解消されない。いきなり新しい家をあげたってダメで、ライフフッドに寄り添う仕方で支援をしなければいけない。それを行っているのすげ〜。
あと、ICANはストリートチルドレンの中で新しい若者リーダーを育成することにも取り組んでいた。これがめちゃくちゃ大事だと思う。いつか彼らの中で、貧困を抜け出す道筋ができるのが一番いいからな。
ただ、訪れた施設は、ストリートチルドレンの孤児院になっていたが、やはり限界があった。(これはある意味で、限界があることをわかっていてその範囲で支援をしていて、それはすごいことだ。)
その孤児院は6歳から12歳の子しか入れないし、障害が持っている子も、女の子も入ることはできない。
一方で、フィリピン政府は、社会福祉開発省が2023年から路上生活者を保護して政府の施設に住まわせてあげるというレスキュー活動を行っている。
このシステム、子どもたちからは「逮捕」と呼ばれているらしい。ご飯は美味しくないし、施設は満員でぎゅうぎゅうで、自由がないというイメージがあるそうだ。
正直、フィリピンの政府だって、このほかにも、この現状を変えるためにいろいろ工夫をしている。けれど、それがうまく行っていないように見える。いろいろな利権が絡んでいるのかもしれないし、子どもたちが戸籍登録されていないことも多いから、現状の貧困がインビジブルに留まっているからかもしれない。いずれにせよ、NGOの支援には限界があるし、この現状を変えるためにさらにパワフルな方法が必要だと感じた。
で、これが施設に植っていた木。
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でこの緑のやつが食べれるらしい。
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味が、なんていうか、酸っぱい。顔がキュウ〜〜〜ってなった。今調べてみたら、「生食に適していない」らしい。あと私が苦手なシニガンスープ(全話参照)のベースに使われているらしかった。
なるほどね〜!!!
頑張って何口かたべたけど、これ以上食べると顔がシワシワになってしまうので諦めて大地に返した。
そして、この大きな木からも果物が取れた。
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そう、スターアップルだ。指で割ってかぶりつく。すっっごくおいしい。
売店で買ったやつよりもおいしい!甘さが全然違うし、じゅくじゅくしておいしい、もうめっちゃ美味しい。手がべったべた!でもおいしい!あまい!果汁が新鮮!語彙がたりない!
口から種を吐き出しながら、こういう生活はもう東京ではありえないなと思ったりした。
こうしてICANをあとにした。
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フィリピンの貧困問題は、やっぱりどうしても、フィリピンだけの問題とは思えない。もどかしい思いがいっぱいあるなあ。
って感じで、マニラへと向かった。
観光スタート!ジョリビー!
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フィリピンで人気のハンバーガーを食べる。普通においしい。ただ、ジャンクな感じだったのと、連日とてつもない量のご飯食べてたから、ちょっと足りなかった。
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ちなみにジョリビー、帰国後二週間してもいまだに私のyoutube広告に出てくる。すごい蜂(bee)だ。
サンチャゴ要塞
マニラに戻って、本格的に観光開始。といっても、一週間の滞在のうち、最終日の午後しか観光の時間がないので早足で向かう。
最初に訪れたのはサンチャゴ要塞だ。
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フィリピンの国旗は、この上の青が平和、赤が血を表しているそうだ。(星は島とかだったはず)
戦争が始まると、反対にして、血の赤を上にするらしい。
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それで、サンチャゴ要塞をてけてけ歩きまくった。この場所は、原住民が砦にしていたところ、スペイン人侵略後はスペイン人が要塞にして使い、イギリス、アメリカ、日本がその後使用したようだった。
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フィリピン独立の国民的英雄であるホセ=リサールの処刑が、要塞の近くの公園で行われたこともあり、彼に関わる展示もかなり多かった。ホセ=リサール博物館みたいなのもあったし。(いかなかったけど)
全然関係ないけど、ホセ=リサール、普通のメスティーソかと思っていたが、血が高潔だった。父方には「殷を倒し周を建国した中国人である武王の弟」がいるらしい。
わけわからんけど、そこまで辿れるものなのか? 西周ってことでしょ? 何世紀も前じゃん。中国側だから記録が残っているのか?
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要塞のそばの川。この川から見る景色がほぼ横浜だったので、みんなで笑った。ただ、この上の写真の左側の地域は、壮絶な貧困地域らしい。(この写真のビルの右側はほぼ横浜だった)
その後、ダンジョンに入れるということで中に向かう。
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要塞の地下牢は、結構人がいっぱいいたので写真を載せるとほぼ全部モザイクをかけることになってしまう。が比較的わかりやすいのがこれ。
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先ほど見たパシッグ側の影響で、満潮になるとこの地下牢には水が入る。日本人は第二次世界大戦の時に、反日運動を行うフィリピン人やアメリカ人をここでたくさん殺した。
サンチャゴ要塞の地下牢にはマニラ大虐殺に関することも書いてあって、そこで私はようやく日本がフィリピンに行った残虐な歴史を学ぶことになった。日本による虐殺とアメリカによる砲弾によって、フィリピン市民10万人が犠牲になったとされる大虐殺である。
マニラ大虐殺の背景には、日本による統治がクソオブクソだったことがあるが、それには日本がフィリピンのことを馬鹿にしていたことも大きく関わっている。大東亜共栄圏を掲げる日本は、17世紀から海外の影響をうけ、とっくにアメリカに染まっていたフィリピン人たちを理解していなかった。日本はフィリピンを民族としての文化がないだの、愛国心がないだのと批判したが、そりゃ400年もあればそうなって当たり前だった。このような日本からフィリピンへの理解不足や他の問題が起因し、フィリピン人たちは日本の支配に対して反発をするようになり、ゲリラ活動が激化していった。
このような歴史を学んだ時に、私が全く同じことをここ数日思っていたことに気付いて驚いた。フィリピンを見ていて、「この人たちって統治された側だなあ」とか「自力ではもうどうしようもなさそう」とか思うのも、フィリピンのことを下に見ているからで、この当時の大東亜共栄圏を掲げてた日本人たちと同じようにフィリピンを見誤っていた。私自身が最悪な植民者的発想だった。過去の歴史をそのまま私が繰り返している。
フィリピン観を改めなければいけないなと思った。というか、日本のフィリピンにおける統治は最悪だったのだとようやく理解した。もちろん、どんな統治も正当化されるわけではない。でもそれにしても、フィリピンは日本が統治するよりも先にスペインやアメリカに統治され、教会や道路が作られてなんなら都市部は日本より進んでいたのだろう。この「進んでいた」のがいい意味なのか悪い意味なのかは判断し難いけれど、他国の介入がはじまってから400年も経っている国であるということを、当時の日本人も私もわかっていなかった。
日本は結局フィリピンを最悪に荒らして出て行ったといっても過言ではない。そして、戦後に和解が進んだことで、その最悪な歴史を後世に伝えることを怠り(これにはいろいろな原因と思惑があるだろう)、風化していくのを許してしまっている。いわゆる「国民的記憶喪失(アムニージャ)」が起きしまっているのだ。
もちろん、私が日本の責任を負ってフィリピンに対して謝る必要はないと思うし、フィリピンもそういうのが欲しいわけでもない。ただ、植民地時代以降の、強者の国が他の国に何をしたのかという歴史を知ることは、国際理解のために一番重要な学習なのではないか、と最近は感じる。
私は大学に入るために、世界史を選択して、アホみたいな古代の歴史の年号を覚えさせられたり、どうでもいい陶磁器の名前とかを覚えさせられた。けれど、そういうことってもう趣味でいい。古代ギリシャの歴史がわかって楽しいのは、博物館にいく時とかちょっとマイナーな映画を見る時とかだ。それらが重要ではないとまでは言わないが、より優先して学習させるべきことがあるだろう。いわゆる世界史A(大航海時代以降)にもっと重点を置いたほうが、グローバル社会においていい人材を作れる気がする。
あんまり考えがまとまらないが、グローバル化とか、共同体が大きくと、自分たちが思うような結果がより出にくくなるし、思いも寄らない損害がでやすくなると思う。自分と違う、他者と接するのがそもそもそういうことだと思うんだけど、どうにか人を不幸せにしないために、相手のバックグラウンド、歴史を知ろうとすることは大切だと感じる。
で、お土産さがしにいった。
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これ、不思議な穴がいくつもあって、なんだろうと思って写真を撮ったやつ。フィリピン人に聞いたところ、おじいさんからは「これは種をいれるためのアカシアの木に見える」と返答があった。もう一人のフィリピン人からは「これ、俺が8歳の時にplayしてた」と来たので「あー、楽器ね?」と返事をしたら「いや、sungkaというゲームだよ」と判明。二人でやるボドゲだった。このくぼみに貝を入れて遊ぶらしい。
買って来てないので遊べぬ……。
こういう現地独自のゲームとかをするの好きなので、いつか機会があったらやりたい。
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そういえば、要塞の出口でみつけた出店のアイスクリームを食べようとしたんだけどガイドさんから「何が入ってるかわからないからやめなさい」と止められた。確かにね。
ガイドさん、癖があるひとで、なぜか私は「あなた、ナンシーににてますね」といわれて、その後ずっとナンシーさんと呼ばれた。
私はそのナンシーがよくわからなくて、ググって画像を見せてもらったんだけど、まじで似てなかった。多分、韓国っぽい顔立ちてところしか似てない。人種違う相手への判断基準てガバガバすぎるやろ。
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ガイドさんおじさんなのに、韓流のアイドルまで知っててすごいなと思った。私はKARAと少女時代、東方神起で時が止まっている。
サンアウグスチン教会
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まあまあ古い教会だった。
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短時間での観光を強いられて、ばたばたしていて、あまり内観をちゃんと見てなかった。写真を見てもよくわからないから、もうちょと真面目に 内部を鑑賞すればよかったと後悔。
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教会併設のミュージアムにも訪問。入場料を払ったものの、時間は30ぷんもないとのことなので、走って博物館を蹂躙した。
たしか、入場の時だったか、友達から「カトリックって、いろいろ作るけど偶像崇拝じゃないの?」みたいなことを聞かれて、答えに窮した気がする。
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カトリックは偶像崇拝をしているのか、っていうテーマについてちょこちょこコメントしつつ、ミュージアム中で撮った写真を放出していく。
そもそも聖書には「偶像崇拝をしてはならない」とあって、これは何か彫像を作って崇拝したり、絵を描いて崇めたりしてはいけないという意味だ。崇拝するのは神様だけ。
でも、神様っていうのは目に見えないし全くよくわからない。神様がどんな感じなのかとか、どれくらいどうなのかとか、検討もつかない。そこで、神々しいアイテム(絵や像)を用いることで神様のすばらしさを伝えることになる。特に、識字率が低い時代は、聖書を読むことではなくて、そういったアイテムでの布教がなされた。(カトリック家庭で育った後輩曰く、カトリック世界の中央では、そういうアイテムの使用は嫌がられるが、布教の現場ではアイテムは好まれる傾向にあるらしい)
ちなみに、カトリックでは人間が聖人として讃えられたりするけれど、それも、神様って遠くてわかりにくいけれど、身近な人に話を引き寄せることで、よりわかりやすいイメージにしているのかもしれない(って話をその後輩が言ってた)
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あくまで「わかりやすさ」のためにカトリックはそのような絵や像を用いていて、それらを崇拝しているわけではないのだろう。でも、実際は崇拝しちゃってるように見える。正直、私はプロテスタント(そういう絵とか偶像とかはほぼ廃している。教会には十字架くらいしか像的なものがない)なのだが、そもそもキリスト教徒が踏み絵をなぜ踏めないのかが小さい頃から疑問だった。イエスの書かれた絵はあくまで絵に過ぎない。絵は踏んでもイエスを踏んだことにはならんやろ、って具合だ。
偶像崇拝問題や、聖人とかマリア崇拝・マリア崇敬問題は、信仰に関わる大事な問題だから、こんなふうにラフに話して刺されないかちょっと不安だ。特に読者の信仰にいちゃもんをつけたいとかではなく、そういう教義なの不思議だね、程度なのでそんなに怒らないで……。こういう、プロテスタントとかカトリックを超えたエキュメニカルな関わりでは喧嘩がつきものだ。でも、喧嘩するのではなく、違いを楽しんでわかり合えればいいんだけどね。
ピトスだ!
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この博物館でうれしかったのは、大量の壺をみつけたことだ。
ギリシャ旅行の弊害で、ピトス(甕)系のものをみるとなんだかワクワクする。壺、生活に密着しているからすっげ〜見つかりがちだし。海を越えてくると現地にはない土で作られてたりするし。
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ただ、博物館見る時間が30分しかないから限界壺ランニングウォッチャーだった。文字通り走った。
博物館は教会の2階につながっていて、そこにはこんな楽譜があった。
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まじで全く読めない楽譜だ。fut やmagnificaってあるから、歌詞はラテン語のようだが。
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世界三大の美しい夕日を見に
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時刻は17:46。これはマニラオーシャンパークという水族館の入り口だ。
フィリピンの日の入りはだいたい18:05くらい。それを見に、私たちはここの展望台を目指した。そう、この夕日を見るためにあらゆる観光の時間がギリギリだった。
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マニラの日の入りは綺麗だというが、どんなもんだろうと見ていたら、最初はオレンジ色だった太陽が、赤くなった。
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こんな色の太陽をみたのは人生で初めてだ。びっくりして目が離せない。
昼に比べて、夕日は角度があるから、私たちの目に届く頃には赤より波長の短いオレンジの色は失われてしまうらしい。
おもちゃみたいな色で、笑えた。
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最終ショッピング!
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マニラのホテルに戻ったのち、ここぞとばかりに買い物に出向いた。っていうか、今の所、化粧品と変な髪留めしか買ってない。
お土産的な感じのものも探しにスーパーへ挑んだ。
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ちなみに、ピンクのジュースは、ストリートチルドレンが仕事で疲れた時に飲む栄養ドリンクだというので買ってみたが、科学的な結構やばそうな味がした。今まで飲んだどんな栄養ドリンクよりも、パンチのある甘い味だった。サソリのイラストが入ってるが、そんな感じだ。子どもが夜に飲む味ではない。
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変なワンピースを一応仕入れたので、夏のバカンスに行く時に着ようと思う。一緒に行ってくれる人大募集中。試着はしたものの、似合うかどうかはわからない。
そういえば、ショッピングモールのトイザラスてきなブースでこれを見つけた。
Peppa pig!!!
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思い出して欲しい、この豚のキャラクターを、バスの模様でみたことを。
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こういう、「あそこでみたあれ」が「ここで見つけた!」になると、結構楽しい。Peppa pigのフィリピンでの人気がわかってよかった。
フィリピンの子どもと遊ぶ時は、Peppa pigのイラストとジョリビーのイラストで無双ができるはずだ。
ショッピングを終えてからは、ホテルの周りで少し散歩をした。夜すぎて危ないので、がたいのいい男友達について来てもらう。ひとりで歩いたら絶対にトラブルになることが目に見えている街だった。
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正直、スマホを持っているのもバレると取られそうで危ないので、めっちゃ急いで写真撮った。ら、ブレてた。同行している友達からは「スマホなんか見せちゃダメ」と叱られた。いや、うん、私もそう思う。
危なそうすぎて、肌が見えないようなズボンに長袖で歩く。近くのセブンに入ったが、治安の悪い感じの店員で、なんだか疲れた。治安の悪いっていうのはいい加減な言い方だが、嘘が多かったり、会計でズルしようとしたりするのを見ると、都市の治安の悪さだと感じる。
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歩いてたらたむろしている人たちに、ナイトクラブに誘われた。行かなかったけれど、なんかいい感じの雰囲気だった。
今さっき調べたところ、このレインボーの看板はLGBTを表してるみたい。
求人してるみたいなので、興味があったら働けそうだ。
なんかいい感じでではあるものの、危険っちゃ危険なので行くべきではないが。
最後にローカルフード締めをしようと思って屋台で買ったのがこの卵。
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食べてみたが、尋常じゃなく塩辛かった。これは、食べれる味ではない。
Salted eggという名前らしい。なにかと一緒に調理して食べるのが正解。これだけで食べてはいけなかった。
ようやく帰国
そして、翌朝朝3時、空港へと向かった。(この卵を食べた後そのまま寝てない)
日本はまだ寒いので、冬用の装備だ。
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保安検査まえに水をがぶ飲みした。全然頑張れなかった。
ささっと出国審査を済まし、飛行機を待ち(結構遅れた。が、あんまり覚えてない。眠かった)、無事に出発!
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そして、スーツケースにはフィリピンの国旗が加わった。(友達が9枚入りのシールを買ったので、おこぼれに預かった。ありがとうスターガール)
青が上なので、平和な状態のフィリピンが付け加わったことになる。
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オールしてフィリピンから日本に帰って来たが、強風で電車が動かなかったりして、家に帰るまですごく大変だった。しかもその日の夜にはバイトを入れてしまっていたので、死にそうな思いで出勤した。
ドタバタした一週間だったな。
最後に
適当に買ったお土産を放出する。
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この魚のグッズ、お土産屋さんにめっちゃ売ってた。メイドインフィリピンって書いてて、すごく怪しい感じがしていいなと思って買った。てか、私めっちゃ魚が好き。おいしいから。
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あと、私の家はクリスチャンなので、この変な置物を買っておいた。木彫りかと思ったが、土産屋の店員さん曰く「グラスファイバー」らしい。ガラス繊維は丈夫で強くて壊れにくいということを、他で学んでいたので、店員さんに「じゃあ投げても全然平気ですね!」と言ったらイエスの置物をぶん投げようとしていると思われたのか不審な目で見られた。
父にあげたら、ちょうどレントのシーズンだったので喜んでいた。が、父いわく、重いからガラス繊維ではない。
そういえば、ギリシャ旅行中に「すきぴに本のお土産を買うミッション」をしていたが、もちろん今回も行った。(便宜上「すきぴ」と読んでるが、普通の友人である)すきぴはキテレツな人間で、読めもしない本が本棚にあることにロマンを感じるみたいだ。フィリピンに行く前にお土産なにかいる?と聞いたら、やはり現地の本が欲しいとのことだった。
という経緯で、私はフィリピンでタガログ語の本を探した。
しかし、フィリピンの本屋には、タガログ語の本がほとんど置いてない。私が言ったのがいずれも大きめなショッピングモールだったからかもしれないが、ほぼ全て英語の本が置かれていた。タガログ語の本は、かろうじて子ども向けの聖書物語の絵本でしか使用されていない。
私はこのことに強烈に違和感を感じた。だって、フィリピンの人たちはみんながみんな英語が喋れるわけではない。タガログ語の方がよっぽど国語だった。なのに、本屋にはタガログ語の本が子ども向けにしか売ってないだなんて、いいのか? 私の修論もそんな感じだったけれど、言葉と思考の結びつきは強固で、自分が受け取る言葉の質とか量とかは自分の思想にもつながると思う。ほとんど多くのフィリピン人にとって、タガログ語が第一言語だとしたら、そのタガログ語で物事を考えることを読書において軽視してよいのだろうか。うぐぐ。
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あとこれ。他の友達がお土産に爆買いしていたから私も買った、パパイヤ石鹸。6個買ったけれど今の所、誰にも配れてない。お土産を配る才能がまじでない。
てかんじで、フィリピンへの禁酒旅行は終了。無事に犬に噛まれずに帰ってこれてよかった。
フィリピンという国への理解が、また少し深まった気がする。
次に行くのが楽しみだ。
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ここまでの旅行記、長かったにもかかわらずお読みいただきありがとうございました。
アヘザ拝
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