夜道雪①~ROLLING STONEの三年間~
1.初めて夜道雪を知り、初めて会った2015~個人的回想
夜道雪の存在を始めて知ったのは、彼女が夜道雪となる以前の名前の2015年春先だった。
Twitterで流れてきた画像を見て、「何この娘、すげえ可愛い、北海道の娘なの?」と気になり、すぐさま彼女のTwitterアカウントをフォローした。
雪のような透き通る白い肌、くりっとした黒目がちの瞳、清潔感あふれるショートカット、大人のようなキリっとしたシャープさと年相応の幼さが混在した顔の造り、画像から見る彼女の全てが我が感性に刺さった。
それからTwitter上で流れてくる彼女の画像をチェックするのが日課になった。しかし、それ以上に俺の心を捕らえたのが、彼女のツイートの文面だった。良く言えば無邪気、悪く言えば無防備極まりなく好き勝手に思ったことを呟いている。仕事のことにおいてもプライベートのことにおいても赤裸々に呟き、その自由奔放さに、この娘本当にタレントなんだよな、と思ったことが何度となくあった。他の同世代のタレントやアイドルと比べても、突き抜けたものがこの頃から見受けられた。
そして少しずつ、タレントとしての活動機会が増えてきた。
2015年の8月、帯広市で行なわれる道内最大級の花火大会である勝毎花火大会の会場ビジョンにCM出演、同10月には第一回さっぽろハロウィンという札幌市の公式イベントのアンバサダーに任命される。
2015年10月3日。
この日は札幌地下街にて10月末に開催されるさっぽろハロウィンに向けてのプレイベントが開催され、初めて彼女に直接会うことが出来た。
地下街にある特設ステージに向かって歩いていたところ、ちょうど向かい側からパイレーツの衣装を身に纏った彼女が歩いてきた。Twitterに上げている画像よりも背が小さくて細い印象を受けた。しかし、くりっとした瞳と透き通るような白い肌は画像のままだった。
恐る恐る声を掛けてみた。
「すいません、○○ちゃんですか?」
見間違える訳が無いが礼儀として尋ねると
「あ、はい、そうです」
少しびっくりした感じで彼女は返事を返してくれた。
「いつもTwitter見てます。あへといいます」
そう言ってみると彼女はさらに目を丸くして
「あー!あへさん!初めまして!いつもリプありがとうございます!握手してください!」
と両手を差し出してきた。
今まで何人ものアイドルやタレントのイベント現場に行ったことや、バッタリ街中で会ったこともあるが、自分からファンに握手してくださいと言ってきたアイドルやタレントは初めてだったため、一瞬フリーズしてしまったが失礼の無いようすぐに手を出して握手を交わした。彼女はしっかりと両手で強めに握手をしてくれた。
「よかったら最後まで見ていってください」
そう言って彼女は打ち合わせのためステージ裏に消えていった。
その後も北海道をベースに活動を続け、2015年の11月には5分の帯番組ではあるがTVで4日間特集が組まれたり、12月には初の対バンライブも経験した。
2.Scrap&Build~2016&2017
2016年~2017年には、2人組のアイドルユニットを結成し、そのタイミングで夜道雪という名に改名し、アイドルユニットを経てアイドルグループへの加入をした。
アイドルグループに在籍中は北海道の各地域でライブを行うも、決して順調にとは言えず、長時間車に揺られイベント会場に到着したら、観客が2~3人なんてこともあったらしい。
そんな日々を過ごす中でメンバーが立て続けに卒業・脱退をし、外から見てても大丈夫かと思う中、2017年8月12日それは起こった。
ライブ当日朝に事務所からのTwitterで、メンバーの一人が体調不良のため欠席となり、夜道のソロステージになると発表がされた。既に一人卒業して二人となっていたグループにおいて、片方が体調不良で欠席となればもはやグループでは無い。
「グループの一員として看板背負っている以上はちゃんとやり抜かないといろんな人にも迷惑掛けるし、何よりグループを楽しみにチケット買って来てくれたファンがいる以上、わたし一人でもやってやるという気持ちだった」
と、この時のことを夜道は後に語っていた。
そして迎えた本番。グループの名前が呼ばれるが、ステージに現れたのは夜道ただ一人。一人のため普段よりだだっ広いステージ。
そんな夜道を救ったのが会場の観客達だった。
当時の夜道のイメージカラーである黄色のサイリウムを手に持ち曲に合わせて口上を送ったり、曲間のMCでもタイミング良く合いの手を入れたり、いろいろあっても覚悟と決意を持ってこのステージに上がった夜道を盛り上げようと声援を送っていた。
ファンの後押しという大きな力を注入され、夜道は他のメンバーのパートも含めて二十分のステージをフルで歌い踊り切った。
翌日のステージもまた一人だったが、前日同様ファンの後押しが夜道に力を与え、無事に二日間のソロステージを完走した。
二日間一人で乗り切ったことは、夜道に大きな自信をもたらしたと同時に、ファンの大切さを改めて思い知らされた。
そしてこのステージを最後にグループは活動することなく休止状態=実質的な自然消滅となり、フリーランスとして再びソロでの活動を決意した。
再びソロで動き始めた夜道であるが、丸腰ではなかった。
当時の情報発信のメインであるTwitterのフォロワーは一万人に届きそうな勢いだった。ローカル活動をしていて約一万人のフォロワーがいるソロのアイドルやタレントは、この時なかなかいなかった。
夜道は大きな支えを持ち、再び動き始めた。
3.BREAK THROUGH~2018
再びソロとなって活動をしていた夜道だが、2018年になったばかりの1月28日、Twitterで初のバズりを経験した。
雪国でもストッキングを履いていく上で、1200デニール(ストッキングの厚さの単位)のストッキングなら外見は普通のストッキングだし防寒も十分出来るしオススメ、といった内容だった。
この何の気無しにしたツイートが、結果11万いいねと4.8万リツィートとなり、いくつものまとめサイトに取り上げられ、夜道雪の名前を一気に広めて知名度を押し上げた。
そして遂に、フォロワーが当時の悲願であった2万人を超えたのであった。
2018年はデニールツイートのバズりから始まり、二輪免許を取得して最初の相棒である390DUKEを購入、自身初となるゲームキャラの声優業に挑戦、短編映画の主演にYouTubeチャンネルの開設…と、今振り返ると現在に通じる多くの出来事があった。
そして何より大きな出来事が、7月9日にTwitterから発表された。
来月か再来月から、東京に暮らす=活動拠点を東京に移すということが明らかな表現。
それに対し、ファンからは
「やった!」
「東京に来る日を待ってます」
「一日も早く東京に来て」
「東京でのイベントは必ず行きます」
「ついに北海道から離れる時が来たのか」
「行かないで」
「この日が来るのは予想していたけど辛い」
「なぜ行くの?北海道にいるままじゃ駄目なの?」
東京へ進出することを祝福する声と北海道から離れることを悲しむ声が交差し、一時カオスと化したリプ欄。
個人的には、「(当時の)TEAM NACSみたいに北海道から全国を席巻する様子が見たかったな・・・」という感想だったが、当人が決めたのだから応援するしかないわな、と切り換えた。
ちなみにこの翌週、クレーンゲームの中に入った画像をツイートしてまたバズり、「これは誰だ?」と夜道雪を知らぬ本州民へ興味を持たれるアピールにもなった。
そしてTwitterでの発表と少しずれたが、10月下旬から東京に主軸を置き、活動を進めていくことになった。
4.終わりに
上京前の3年間は、普通の15歳では味わうことのない様々な出来事に直面し、想像もつかない喜びや悲しみや怒りとそして楽しさがあったことは容易に想像出来る。
この3年間は例えるなら、夜道雪の前身である原石が、自分の意志はもちろん時には環境に翻弄されつつ転がり続けていった中で、自分の気に入った具合や気に入らなかった具合と様々なカッティングが自然に施され、その結果、どの角度から照らされても様々な輝きを放つ現在の夜道雪という宝石に変化する基礎となった3年間だったと思っている。
終わりといっても上京前の時代について終わりということであり、3年間の中でもかなり出来事を削った内容で原稿用紙約10枚分あるんだから、この後2018年後期~現在までどんだけ書くんだという気持ちになってるのが我ながら笑える。
これから続編の構成を考えるところから始めるので、もし続編を期待している方がいたら、いいねを押しつつ、首を長くして待っててください。