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辻仁成④(番外編)~LOST CHILDの聖地巡礼 

 前回の記事から反応を多くいただき、非常に驚いております。
 X経由で公式のTSUJIVILLE & 地球カレッジ(@chikyuu_collega)様を始めリポストしていただいた方々、リポスト経由で記事に辿り着き読んで頂いた方々、皆様に感謝申し上げます。
 宜しければ、今後の励みとしてスキ&コメントを残して頂ければ幸いです。
 さて、今回は趣向を変え番外編として、最初で最後となったECHOESのライブに行った時の思い出を語りたいと思います。


 中二の時にオールナイトニッポンでDJ辻仁成に出逢い、そこからECHOESのCDを買い集め、今みたいにネットが無い時代なので、本屋にあった各音楽雑誌を読み漁っては情報を仕入れていた。そして買った雑誌や友達の家にあった雑誌からECHOESの記事を切り抜いては、ノートに貼り付けスクラップ帳を作っていた。
 
 そんなことをして過ごしていた91年の2月だったと覚えているが、いつものように立ち寄った本屋で、『ECHOES解散!』と小さく書かれていたロッキンオンジャパンの表紙が目に飛び込んできた。
 「はぁ!?」
 本当にその場で声が出て、そのまま買って家に帰って真っ先に読み込んだ。
 いやいや・・・マジかよ・・・
 そんな感情が渦巻くのと同時に、一回もECHOESのライブ行けずに解散かよ・・・と数日うなだれた。
 
 その後、いつだったのかは覚えていないが、何かで1991年5月26日に日比谷公園で解散ライブを行うという記事を読んだ。そして次の瞬間には「行くわ!」と決意した。
 「行くわ!」といってもハードルはいくつもあった。まず第一にチケット取れるのかよ、という最大の難関。ファンクラブに入っていない北海道の片田舎の高校生に何のツテも無い。今みたいにネットでチケットを購入する手段などあるはず無いこの時。もう発売日にチケットカウンターの前に並ぶしかないだろうと腹をくくったが、一般発売日は土曜日。当時の学校は土曜日も午前中だけ授業をしていたので並べないし、サボって並んだ日にゃあ小さい町だからすぐにバレてしまう。
 そこで親に頭を下げて頼んだ。「この日は朝10時きっかり、いやその前からチケットカウンターに並んでECHOESのチケットを買ってきて!」と。
 チー牛の必死な願いに圧されてしまったのか、何とか了承してくれた。
 
 そして一般発売日。学校からダッシュで帰ってきたチー牛に親の一言。
 「10時ちょっきりに行ったけど売り切れてたわ。でも一応、キャンセル待ちはお願いしておいた」
 
 そりゃそうだ。解散ライブだもの、行きたい人は山のようにいるわな。
 取れなくて当然、取れりゃラッキーと、アントニオ猪木が聞いたら「やる前に負けること考える馬鹿がいるかよ!」とビンタされるくらい弱気だったので、ショックは無かったがECHOES見れずに終わるのかという残念さが心にずっと残ってた。
 
 そしてさらに数日後、学校から帰宅したら親から一言。
 「この前のキャンセル待ちが取れたって連絡来たからお金払っておいたぞ」
  「はぁ!?」
 解散記事を読んだ時と同様の声が出た。でも意味が違う。
 解散ライブのチケットやで!?ほんとに取れたん!?
 という驚愕の声だ。
 「良かったな」
 そう言われながら差し出された先にはチケットが。

  やっとECHOESが見れる。生の演奏が見れる。しかも解散ライブ。
 いろんな思いが湧き出し、この時は本当に膝から崩れ落ちた。チケットを手に入れてこんなに嬉しかったことは初めてだった。

 チケットを手に入れた。次にやることは往復の飛行機代の捻出だ。
 今みたいにLCCも無い時代、北海道から東京まで片道平均で4万円前後だったと記憶している。いや、それより安い便が無いのだから当然。それが往復となれば8万円以上だ。社会人になった今でもすぐにポンと出せるほど裕福ではないLCC愛好家なのに、チー牛高校生がどうやって稼ぐというのか。
 自分の好きで行くのだから親に旅費などねだれない。そうなったら手段は限られる。校則で禁止されていたアルバイトを2か月間こっそりと働き詰め、何とか飛行機代と諸経費分を捻出できた。

 前日から東京入りし、日比谷野音までの道のりを下見し、5月なのに何だよコレ・・・と暑さと湿気、さらに人の多さという東京の洗礼を受け、迎えた1991年5月26日。
 野音の周りには様々なファッションに身を包んだ人々、ECHOESライブの名物ともいえるアコギで弾き語りする人、そしてダフ屋が至る所に。
 そんな中、『Live at 武道館』ビデオのプレゼントで当選したECHOESのスタッフジャンパーを着て汗だくになっているチー牛こと俺。何かECHOESのグッズを身に着けねばという思いで持って来たは良いが、北海道と東京の温度差を知らなかったのがダメだった・・・

こんなん5月の東京に着てったらそりゃ汗だくになるわ

 開場時間になり、野音の中に入る。
 まずはチケットを見ながら自分の座席を確認。
 前方ではないがちょうど野音のど真ん中、PAブースのすぐ近く。キャンセル待ちで取ったチケットなのにこんな見やすい席なのか!とびっくりした。
 その次には場内3か所にあるグッズ売り場へ。
 最後だからと過去のツアーグッズも販売しているがほぼ完売間近。列に並んでいると、自分の番が来た。
 「全部ください!」
 選ぶこともなくそのまま言ってみると、過去のツアーと今回のパンフの合わせて4冊、灰皿、タオル、Tシャツ、ピンバッジ6種類、キーホルダー1個で全部合わせて一万円とのこと。え?安くね?在庫決算セールか福袋みたいなものかしらと思いながらも受け取り、自分の席に戻った。

LIVE RUSTのタオルとTシャツ並べるの忘れた・・・

 席に戻り早速Tシャツを着替えながらふと横を見ると、PA席の横らへんに座っている丸坊主にサングラスの人・・・あ、サンプラザ中野だ! 東京に来て初めて見た有名人がサンプラザ中野(当時はくん無)になった瞬間。

 そんなこんなで午後6時の開演時間を10分ほど過ぎ、スモークがたかれる中メンバーが登場してきた。
 ーああ、やっとECHOESに会えた、ECHOESの曲が生で聴けるー
そう思いつつステージを凝視していると、勉のドラムから始まる聴いたことのないメロディが演奏された。こんな曲あったっけ?とずっと聴いていたら、仁成の口から出てきた単語でこの曲が何か分かった。
 「これがWarriorか!」

  この曲はECHOESのデビュー前から演奏されているが、デビュー後は数回しか演奏されていない幻の曲扱いのWarrior。後にNHKのトップランナーに仁成が出た際、デビュー前の映像としてWarriorが流れたのだけど、それはアップテンポで攻撃的な歌詞だった。見ながら「LIVE RUSTで聴いたVer.は1stアルバムに入れようと歌詞とテンポとアレンジを変えたけどお蔵入りになったんだな」と、一人答え合わせみたいなことをしていた。

 Warriorが終わると同時に聴こえてきたのはMy protest songのイントロ。
 空間を切り刻むかのような浩樹のギターがものすごくかっこいい。浩樹とトシはこのライブのためだけにボディが黄色のギターとベースをお揃いで新調していた。
 
  次は「俺達と組まないか」と手を差し伸べる、恐るべき子供達へ。
 いや、今日で終わりやん、切ないぞそのセリフは、と聴きながら思った。

 畳み掛けるように始まったのは、トシの唸るベースから始まるカッティング・エッジ。この曲と『HURTS』に収録されているMoneyのトシのベースのカッコ良さたるや。
 カッティング・エッジはライブだとアウトロが2分近くあって、サポートキーボードの横田龍一郎も含めた各楽器の演奏が、セッションとも鎬を削ってるとも例えられる、カッコ良さと緊張感の溢れた一曲になっていた。

 その後も名曲は続き、二時間近く経過して、仁成の「Come on! Bad Boy!」でBad Boyが演奏され、続けざまの「Come on! 」で観客席はだいたい気付く。あ、あれだ、と。
 そして絞り切るような声で仁成が叫ぶ。
「JACK!」

 JACKはECHOESの代表曲とも言える、ライブで最高潮の時に演奏される曲。しかし同時にJACKが演奏されると、あ、もう終わりが近いのか・・・ともなってしまうのだった。
 愛を切らしている君に と、PAに片足を乗せて前かがみで手を客席に差し伸べながら歌う仁成。これもECHOESのライブビデオや雑誌で幾度となく見た風景だ。最後の最後に見れて、ECHOESに間に合って良かった。
 そんなことを思っていると、JACK終わりに龍ちゃんのキーボードから始まった Border Line。これもまたアルバム未収録の名曲なんだよなあ。

 Border Line で本編が終わりアンコール突入。
 ここで勉のハーモニカから始まるハミング・バード・ランド。ZOOの元ネタともいえる、ZOOよりも寂しさと悲壮感に溢れている初期の名曲。
 そしてZOO。でも、ここで終ったらまだ心残りがあるよなあ。あの曲もあの曲もやってない・・・

 観客席から再度アンコールの声。
 それに呼応して出てきたメンバー達。
 しんみりした空気を切り裂くかのような浩樹のギターから始まるSTELLA。
 次も浩樹のギターから始まった。仁成をECHOESを知ったきっかけの曲であるOneway Radio!
 最後はAlone。泣いている人が周りにたくさんいる。
 
 終わりを告げるアナウンスが流れても鳴り止まないアンコールの大合唱と、メンバーを呼ぶ声が入り混じり、小さくなるどころかどんどん大きくなっている。

 三度ステージに登場したメンバー達。
 仁成が呟く。「どうもありがとう」
 その声に続き始まったのはSomeone Like You。
 もうこれが本当に最後の曲なんだというのはみんな理解していたと思う。
 自分も含め、周りは泣きながら一緒に歌っていた。

 そしてメンバーがいなくなったステージ上。Goodbye Blue Skyが流れる中、スクリーンにECHOESの活動の歴史が写真として映し出されている。
 が、機械の不具合か途中で何度も映像と音が途切れてしまい、最後は音も流れなくなった。
 流れなくなった音の代わりに観客席がGoodbye Blue Skyを大合唱で歌い切った。そして再びスクリーンに映し出された
【どうもありがとう ECHOES】
の文字。

 これでECHOESは解散となった。
 

 ここまでは覚えているのだが、野音から宿までどうやって帰ったのか、そして地元に帰った過程が全く頭からなくなってしまっている。

 その後ECHOESは単発のような形で再結成を数回行なっているが、少なくとも自分の中でのECHOESはこの野音で終っている。

 でも、純粋に4人だけで再結成した福島は見たかったなあ・・・ 

 解散後にファンクラブの【ECHOES OF YOUTH】に入り、会報のバックナンバーをある分すべて購入したのだけれど、LIVE RUSTのセトリが記載されていたので上げときます。

ECHOES OF YOUTHに入会して、実は最終号って届いていないんだよね・・・単純に配送漏れだと思うのだけれど、これはECHOESは終わらないのだ・ずっと忘れないために届いていない、と自分の中で消化しています。


 本当は仁成のソロライブに行った時のことも一緒に書こうと思っていたのだけれども、LIVE RUSTだけで4,500文字超えたから、次回に回します。

 よろしければスキとコメントお願いいたします。


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