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音楽史年表記事編49.バイオリン協奏曲創作史

 バイオリン協奏曲はトレッリが1709年にバイオリン協奏曲集を出版し3楽章の協奏曲の様式を確立し、また、1714年にはイタリアのコレッリによって合奏協奏曲集が出版され、合奏協奏曲の様式が確立されたとされています。協奏曲はひとりのソロ奏者とオーケストラで構成されますが、合奏協奏曲では複数の奏者がソロ群としてオーケストラと協奏し、5楽章から6楽章で構成されます。
 セバスティアン・バッハはバイオリン協奏曲の他にブランデンブルク協奏曲は合奏協奏曲の様式で作曲しています。ヘンデルの合奏協奏曲はオルガン協奏曲と同様に、歌劇やオラトリオの上演の幕間に演奏されました。また、ヴィヴァルディはベネツィアで多くのバイオリン協奏曲を作曲していますが、当時からオランダのアムステルダムで「四季」などが出版されており、多くのヨーロッパの宮廷で演奏されていました。
 古典派期ではウィーンを中心としたウィーン古典派のハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンによってバイオリン協奏曲やチェロ協奏曲が作曲されています。ベートーヴェンのバイオリン協奏曲は1806年の末にフランツ・クレメンティのために短期間で作曲されましたが、その美しさ、品格と規模の大きさからバイオリン協奏曲の王者と言われるようになりました。この時代のイタリア生まれのヴィオッティは多くのバイオリン協奏曲を書いていますが、第22番はブラームスが愛聴しており、ブラームスのバイオリン協奏曲のモデルになったといわれています。
 また、1800年代初めにはパガニーニが超絶技巧を駆使したバイオリン演奏で多くの聴衆を引き付けています。その中には歌曲王のシューベルトもいましたが、ウィーンでもパガニーニが絶大な人気を得ています。ロマン派期にはメンデルスゾーン、ブラームス、チャイコフスキーなどがバイオリン協奏曲の名曲を作曲しています。一方のフランスのパリではヴュータンやサン=サーンスの他、スペインのラロがバイオリン協奏曲を演奏しています。1890年代以降ではチェコのドボルザーク、北欧のシベリウスやロシアの作曲家が民族的な作品を残します。ショスタコーヴィッチは現代音楽において調性が失われて行く中、調性音楽と無調性音楽の対比を作曲のテーマとし、最後まで調性を守り抜きました。

【音楽史年表より】
1725年出版、ヴィヴァルディ(47)、協奏曲集「和声と創意への試み」Op.8全12曲
アムステルダムのル・セーヌ社から作品8として出版される。作曲時期、初演時期は不明。モルツィン伯ウェンツェスラウに献呈される。曲集の最初の4曲にはそれぞれ「春」「夏」「秋」「冬」という題がつけられており、それら4曲を総称して「四季」と呼ばれる。独奏楽器を中心とする新しい協奏曲形式すなわち独奏協奏曲の開拓者として国際的な名声を獲得しつつあったヴィヴァルディは、この四季でもう一つの新しい試みに着手している。それはソネット(定型抒情詩)にかなり忠実に音楽をつけた標題音楽を書くことであった。(1)
1792年から93年?作曲、ヴィオッティ(38)、バイオリン協奏曲第22番イ短調
29曲のバイオリン協奏曲を残したイタリアのバイオリン奏者、作曲家のヴィオッティは、ベートーヴェンやブラームスにかなりの影響を及ぼした。1878年6月ブラームスはクララに宛てて、ヴィオッティが幻想にひたり、それを音にして響かせているかのようで、すべては大家らしく作られているとし、この曲を愛好していることを述べ、協奏曲から交響曲への接近をみせるこの曲によってブラームスのバイオリン協奏曲が生み出されたともいえる。(2)
1806年11月下旬~12/23作曲、ベートーヴェン(36)、バイオリン協奏曲ニ長調Op.61
この協奏曲は初演者のフランツ・クレメントの依頼で作曲されたものであることは、自筆譜の上にベートーヴェンの手で記された「お情けのためにクレメントのために」という献呈の辞からわかる。クレメントは当時バイオリンの名手としてその名が知られていたが、このかなり嘲笑的なベートーヴェンの言葉はクレメントだけではなく、名人芸だけの協奏曲に対する彼の批判が込められている。作曲時期については使用したインクなどの研究からも、1806年下旬に作曲に取りかかり、わずか5週間の間に完成されたと考えられる。スコアの下にさまざまなスケッチが書き込まれている。ウィーン国立図書館所蔵の自筆譜の状態から極めて短期間のうちに仕上げられたことがわかる。この作品は当時の人々には著しく脈絡が捉え難いものと映り、不評であった。しかし、この難解さはある意味でこの作品の本質をついている。というのは、この作品は独奏楽器を含む管弦楽の編成の新しい可能性の追求の場であったからである。作品が今日の高い評価を得るのは1844年にメンデルスゾーンの指揮で、ヨアヒムが取り上げてからのことである。曲は1808年にボン時代からの親友シュテファン・フォン・ブロイニングの結婚のお祝いとして献呈される。(3)
【参考文献】
1.作曲家別名曲解説ライブラリー・ヴィヴァルディ(音楽之友社)
2.最新名曲解説全集(音楽之友社)
3.ベートーヴェン事典(東京書籍)

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