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音楽史年表記事編89.モーツァルトの歌劇「魔笛」(1)シカネーダーと庶民のオペラ

 モーツァルトは1791年亡くなる年に、音楽史上初めての庶民のための本格的オペラ「魔笛」を作曲します。モーツァルトは1779年23歳のときに、ザルツブルクで旅回りの一座のシカネーダーに出会い、シカネーダーはその後ウィーンの城壁外にある庶民のためのヴィーデン劇場の支配人となり、モーツァルトとは1789年頃に再会します。モーツァルトはシカネーダーのために1790年にはジングシュピール「賢者の石」の音楽を作曲し、翌年にはジングシュピールである「魔笛」を作曲します。ドイツ語オペラであるジングシュピールはイギリスの「乞食オペラ」などバラッド・オペラやフランスのオペラ・コミックのドイツ語訳上演が起源とされ、庶民向けの娯楽劇であったようです。シカネーダーはこれらのドイツ語劇の上演のために、ドイツ・オーストリー各地を旅していました。モーツァルトはシカネーダーの依頼によって「魔笛」を作曲し、亡くなりますが、「魔笛」はウィーンで空前の大ヒットとなり、ヴィーデン劇場では10年にわたり当時としては異例のロングラン公演が行われ、その聴衆の中にはウィーンに音楽留学したベートーヴェンがいました。ベートーヴェンはボンのマクシミリアン選帝侯のモーツァルトびいきの影響から、ボン宮廷楽団ではビオラ奏者としてオペラ「フィガロの結婚」など多くのモーツァルトの作品を演奏しており、のちに「魔笛」をモーツァルトの最高傑作のひとつと述べています。子供から大人まで世代を超えて楽しめる「魔笛」は現在でも多くの歌劇場の人気の演目となっています。
 モーツァルトとシカネーダーの再会は、おそらく、シカネーダー一座のバイオリン奏者ホーファーの妻となったウェーバー家の長女ヨゼファーとの関係からと思われます。

 モーツァルトは「魔笛」で妻のコンスタンツェの上の姉のヨゼファーに、夜の女王役を与えています。マンハイムでアロイジア・ウェーバーのコロラトゥーラに魅せられたモーツァルトは、ザルツブルクでの奉納ミサ曲ハ短調K.427で妻のコンスタンツェにソプラノを歌わせ、おそらくウェーバー家の姉妹のコロラトゥーラを確信し、「魔笛」ではシカネーダーの一座でソプラノを歌っていた一番上の姉のヨゼファーに難しいコロラトゥーラの役を任せます。シカネーダーは「魔笛」の作曲のために作曲小屋を提供していますが、この作曲小屋でモーツァルトはヨゼファーに、アロイジアやコンスタンツェに行ったと同様に発声などのレッスンを行ったものと思われます。
 なお、「魔笛」が初演されたヴィーデン劇場があったフライハウスは大規模な共同住宅であったようで、この時期モーツァルトの家をたびたび訪問していたコンスタンツェの妹のゾフィーは、母親とともにヴィーデン地区に住んでいたところから、フライハウスに居住していた可能性も考えられます。

【音楽史年表より】
1779年、モーツァルト(23)
モーツァルトは旅回りの一座を率いるシカネーダーとザルツブルクで出会った。(1)
1789年9/17作曲、モーツァルト(33)、ソプラノのためのアリア「やさしい春はもうにこやかに笑いかけ」K.580(未完)
人気の衰えないパイジェッロ作曲のドイツ語版ジングシュピール「セビリアの理髪師」のロジーナ役で歌う予定であった義姉ヨゼファー・ホーファーのために作曲された。(1)
1790年9/11作曲、モーツァルト(34)、シカネーダー一座のジングシュピール「賢者の石」第2幕ソプラノとバスの二重唱「さあ、いとしい妻よ、一緒に行こう」のオーケストレーションK.625
モーツァルトは1779年ザルツブルクにおいてシカネーダー一座との交流があったが、この当時シカネーダーはウィーン郊外のヴィーデン劇場を拠点にしており、9/11自ら台本を書いた2幕のジングシュピール「賢者の石」を初演する。モーツァルトは第2幕のソプラノとバスの二重唱のオーケストレーションを行ったと思われる。歌詞は「魔笛」のパパゲーノとパパゲーナの二重唱と同じ趣向のもので、ルバーノとルバーナの2人の掛け合いで歌われる。演奏者も同じくシカネーダー自信とゲルル夫人が務めた。(1)
1790年9/23、モーツァルト(34)
シカネーダー一座のバイオリン奏者で義兄のヨゼファーの夫を連れてウィーンを発ち、レオポルト2世の神聖ローマ帝国皇帝戴冠式が行われたフランクフルトを目指す。(1)
1791年9/30初演、モーツァルト(35)、歌劇「魔笛」K.620
アウフ・デア・ヴィーデン劇場で初演する。義姉ヨゼファーが夜の女王役を演ずる。「魔笛」はウィーンで大ブームとなり、初演後1ヶ月で20回の公演が行われ、さらに1800年までに200回の公演が行われた。ヨハン・エマヌエル・シカネーダーの台本による。モーツァルトが最後に完成した作品で、この世紀のみならず全オペラ史を通じた最高峰に位する曲の一つ。モーツァルトとシカネーダーはザルツブルク時代から交流があったが、この時期シカネーダーがウィーンを拠点にしたことからシカネーダーが台本を書いたオペラの作曲を依頼される。6月にモーツァルトの妻コンスタンツェが温泉地バーデンに保養に出かけてからは、モーツァルトに劇場近くのあずまやを提供し、集中的に作曲できる環境を整えた。このあずまやは現在ザルツブルクに移され、モーツァルテウム音楽演劇大学の中庭に置かれ「魔笛の家」と名付けられ、公開されている。(1)
1791年12/5、モーツァルト(35)
モーツァルト死去する。(1)

【参考文献】
1.モーツァルト事典(東京書籍)

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