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音楽史・記事編136.古代ギリシャと音楽史

 西洋文明は古代ギリシャに始まります。ギリシャ神話、ギリシャ悲劇のほかギリシャ神話にもとづく大理石の彫像の数々や神殿造りの建造物の遺構、そしてソクラテス、プラトン、アリストテレスなどの哲学者たちは西洋文化の根幹を創り出しています。音楽においてもギリシャ神話の吟遊詩人が音楽を奏でていたことから、音楽は大古からの歴史を持っており、紀元前5世紀にはピタゴラスが音階理論のもとになる音程に関する数比を発見し、その後の音楽発展の経緯は分かりませんが、古代エジプト、古代ローマにおいても引き継がれたものと思われます。ルネサンスのギリシャ文芸復興以降、ギリシャ神話を題材としたオペラや演劇、ギリシャ悲劇が広く上演されるようになります。本編ではキリスト生誕に至るまでの古代ギリシャ、古代エジプト、古代ローマ、ローマ帝国時代の物語を題材とした音楽史を見て行きます。

〇古代の楽器の発掘
 音楽学者礒山雅氏の古代ギリシャの音楽(ビクターLP)(5)によれば、古代ギリシャの遺跡からは弦楽器、木琴、水オルガン、多種の打楽器などの楽器が発掘され、復元が行われているようです・・・
・エピゴネイオン・・・膝の上に乗せて弾く40弦を持つ弦楽器、40もの弦を持つことから現代のハープやピアノの原型と思われます。
・アウロス・・・もっとも代表的な管楽器で2本の管が一体をなし、それぞれにダブル・リードと4~15の指穴をもつとされます。
・シリンクス・・・パンの笛、フルートなどの管楽器の原型で、モーツァルトの歌劇「魔笛」ではパパゲーノが吹いています。
・ヒュドラウロス(水オルガン)・・・パンの笛を並べて水圧で風を送り、音を出す構造で、パイプオルガンの元祖といわれています。

〇ピタゴラスが音階を創る
 古代ギリシャの数学者ピタゴラスは、音楽史において音階の原理を発見しています。弦の長さを2:1として弾いた時にオクターヴに響き、3:2とした時には完全5度、4:3とした時には完全4度とし、9:8とした時には全音とし、これによってオクターヴの12音を演奏することができます。ピタゴラスによる調律では長3度は厳密には4:5にはなりませんが、中世のころまでには長3度を純正な4:5とする純正律で調律されるようになったようで、さらにルネサンス期には限られた範囲での純正3度を保って転調が可能な中全音律での演奏が一般的となり、バロック後期のバッハの時代にはオクターヴの12音を均一に調律する平均律が現れます。平均律では調律することなくいつでもいかなる調性への移調、転調が可能となり、音楽は劇的に多様性と可能性を高めることとなります。

〇ギリシャ神話の音楽
 ギリシャ神話に出てくる太陽神アポロンの子とされる吟遊詩人オルフェウスは竪琴を携え美しい音楽を奏でたとされ、イタリアのフィレンツェで興ったルネッサンスでは古代ギリシャの吟遊詩人の音楽の復興が試みられ、音楽史上初めてのオペラが上演されるようになります。
 16世紀後半、ルネサンス後期にイタリア・フィレンツェのカメラータとして知られる知識人、貴族、そして音楽家からなるグループはバルディ伯爵の邸宅で集会を開き、ギリシャ悲劇を上演していました。そして、1597年にはヤーポコ・ペーリによってギリシャ神話を題材とした「ダフネ」が1600年頃にはやはりギリシャ神話の「エウリディーチェ」を作曲し、これが最古のオペラとされ、1607年にはマントヴァでモンテヴェルディが「オルフェオ」を作曲し近代オペラの扉が開かれました。
 バロック時代、イタリアでは爆発的に多くの歌劇が上演されそれらはギリシャ神話を題材としていました。古典派期に入り、グルックはフランス悲劇の復興とともにオペラ改革に取り組み、ロマン派期に至ってドイツからフランスに渡ったオッフェンバックはギリシャ神話を社会風刺のパロディとして用いて、カンカン踊りの音楽は今でもあらゆる場面で使用されるオペレッタ「地獄のオルフェ(天国と地獄)」や、ギリシャ神話の絶世の美女の女神ヘレネ、年老いたヘレネの夫のスパルタ王メネラウス、若く美男子の羊飼いのパリス、英雄のアガメムノンやアキレスが登場するオペレッタ「美しきエレーヌ」を作曲しています。羊飼いのパリスは実はトロイの王子であり、パリスがスパルタの妃ヘレネを連れ去ったことから、やがてトロイ戦争が始まったとされます。
 七夕のこの時期、北アルプスのキャンプ場などでは天の川など満天の星空が広がっています。吟遊詩人オルフェウスはその死を悼んだアポロンによって天上にあげられ琴座となり、また、多くのギリシャ神話の英雄たちが数千年の時を経てなお永遠の輝きを放ち続けます。

〇古代ローマの音楽
 音楽史において初めての近代オペラとして「オルフェオ」を上演したモンテヴェルディはマンドヴァからベネツィアのサン・マルコ寺院の楽長となり創作活動を続け、70才を超えた晩年には古代ローマの皇帝ネロを主役とした大作オペラ「ポッペアの戴冠」を作曲します。皇帝ネローネは周囲の反対の中、将軍オットーネの妻ポッペアを皇后に迎えます・・・
 また、ヘンデルは1724年ロンドンのヘイマーケット・キングズ劇場でローマの英雄ジュリアス・シーザーを主役としたイタリア語のオペラ「エジプトのジューリオ・チェーザレ」を上演します。ファルサリアの戦いでエジプト軍を打ち破ったシーザーはエジプトに進軍しますが、野営地で変装したエジプト王クレオパトラが現れ、シーザーはその美しさに魅せられます・・・

〇古代エジプトの音楽
 モーツァルト最晩年の歌劇「魔笛」は古代エジプトを舞台としており、タミーノとパミーナの試練の場では古代エジプトの神イシスとオリシスをたたえる合唱が歌われます。
 1868年の日本の明治維新の年に、地中海と紅海、インド洋を結ぶスエズ運河が開通し、このスエズ運河の完成を記念してカイロ歌劇場でオペラの上演が企画され、ヴェルディは名作オペラ「アイーダ」を作曲します。しかし、記念公演に作曲は間に合わず代わりに歌劇「リゴレット」が上演され、「アイーダ」は3年後の1871年にカイロ歌劇場で初演され大成功を収めます。6週間後にはミラノで、73年にはニューヨークでも上演され、世界中の歌劇場の人気演目となります。・・・エジプト軍の隊長ラダメスは奴隷の姿に変装したエチオピアの王女アイーダと相思相愛であり、しかしラダメスはエジプト軍の行軍に関する最高気密をエチオピア軍に漏らした罪でとらえられ石牢に閉じ込められる。しかし、そこには密かに忍び込んだ愛するアイーダが・・・第2幕の凱旋行進曲とバレエは一番のハイライトで、日本でもJFAサッカー日本代表の応援歌として歌われます。

【音楽史年表より】
1607年2/24初演、モンテヴェルディ(39)、歌劇「オルフェオ」
マントヴァの公爵の宮殿で初演される。(1)
1600年にはペーリやカッチーニのオペラ「エウリディーチェ」が現れ、言葉の抑揚を尊重したレチタティーヴォを主とする様式を示した。その後7年を経て現れたモンテヴェルディの「オルフェオ」はだいたいにおいてこの様式を継承しつつも、ともすれば平板に流れるこの様式に音楽的な豊かさを与え、音楽による劇の形成という近代オペラの理念を初めて示すものとなった。彼は新しい単声楽様式の言葉に密着した感情表出の理念を踏まえながらも、従来の音楽的伝統であるマドリガル合唱曲の豊かな音楽性や、オペラの前身の一つであるインテルメディオにおける管弦楽や舞台装置などをこれに加え、全体を大規模な音楽的舞台芸術に統一した。(2)
1643年秋初演、モンテヴェルディ(76)、歌劇「ポッペアの戴冠」
ベネツィアのサンティ・ジョバンニ・エ・パオロ劇場で初演される。(1)
老年の叡智と衰えを知らぬ生命力の結合であるこの作品はモンテヴェルディの最晩年の傑作に劣らぬ巨峰として、オペラ史上まれにみる高みに到達している。(2)
ローマ皇帝ネロとポッペアの恋愛、オクタヴィアの亡命、セネカの死を題材にした歴史オペラ、レチタティーヴォ、アリオーソ、アリアなどを通して、ドラマ性とコミック性が隣り合っている。(3)
1724年2/20初演、ヘンデル(38)、歌劇「ジュリアス・シーザー(エジプトのジューリオ・チェーザレ)」HWV17
ロンドン、3幕のドランマ・ペム・ムージカ、ロンドンのヘイマーケット・キングズ劇場で初演される。チェーザレ役にはアルト・カストラートのセネジーノ、エジプト王クレオパトラにはソプラノのフランチェスカ・クッツォーニ、このオペラは壮麗な音楽と豊かな旋律でセンセーショナルな効果をあげ、セネジーノとクッツォーニにはその声楽的、演劇的才能を十分に発揮できる役が与えられた。(1)
1858年10/21、オッフェンバック(39)、喜歌劇「天国と地獄(地獄のオルフェ)」(初稿)
パリのブフ・パリジャン座で初演される。ギリシャ神話のパロディというアイデアは新しいものではなかったが、オッフェンバックがそこにもたらした過激さ、なかでも品格高いメヌエットをカンカンに転換したことは大いに批判を招いたが、しかし、そのことが国際的名声をもたらし、彼の作品が受け入れられるスピードを早める結果につながることとなった。(1)
1864年12/17初演、オッフェンバック(45)、喜歌劇「美しきエレーヌ」
パリのヴァリエテ座で初演される。「美しきエレーヌ」は6年前に作曲された「地獄のオルフェ(天国と地獄)」に続いて、古典を風刺的に扱い、フランスの第二帝政の社交界の様相をおおぴらに批判した作品であり、オッフェンバックの最も成功したオペレッタのひとつとなる。この作品ではホメロスのギリシャ神話が台本上のパロディの対象になり、トロイのヘレネ(エレーヌ)が素材となっているが、そこにはフランスの第2帝政時代の社会と、そこに活躍する為政者に対する攻撃的な風刺が織り込まれている。この作品では荒廃状態の中に置かれている社会の没落的気分がさらに明確に示唆されている。(1)(2)
1871年12/24初演、ヴェルディ(58)、歌劇「アイーダ」
カイロ歌劇場で初演される。15年の歳月をかけて1869年に完成したスエズ運河開通の記念に、エジプトの太守イスマイリはカイロに大歌劇場を作り、そこで初演するためにヴェルディ、グノー、ワーグナーのいずれかにオペラを委嘱することにした。当初ヴェルディは依頼を断ったが、カイロ歌劇場のためにエジプト学者のマリエットがメンフィスで神殿発掘の体験から考えた筋書きを、デュ・ロークルが書き直したものをヴェルディは受け入れ、ロークルのフランス語の台本をアントニオ・ギュスランツォーニがイタリア語の韻文に翻訳し作曲を行った。カイロ歌劇場は1869年11/1にヴェルディのオペラ「リゴレット」で開場したので、こけら落としには間に合わなかったが、70年7月の普仏戦争により更に延期され、71年のクリスマス・イヴの日曜の夜に、各国からの招待客などを集め、全世界の注目を浴びて初演された。初演は大成功を収め、6週間後にはミラノで、73年11月にはニューヨークで上演された。(4)

【参考文献】
1.新グローヴ・オペラ事典(白水社)
2.最新名曲解説全集(音楽之友社)
3.ブノワ他著・岡田朋子訳・西洋音楽史年表(白水社)
4.作曲家別名曲解説ライブラリー・ヴェルディ(音楽之友社)
5.礒山雅著、ミューズへの讃歌・古代ギリシャの音楽(ビクターLP解説)

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