音楽史年表記事編18.モーツァルト家のペットのムク鳥・シュタールとクラヴィーア協奏曲第17番ト長調K.453
モーツァルトはハイドンが1781年に作曲した弦楽四重奏曲ハ長調「鳥」Op.33-3、いわゆるバード・カルテットをハイドンとともに演奏して深い感銘を受け、いつかは鳥のさえずりを音楽にしたいと思っていたのでしょう。プロイヤーのための2番目のクラヴィーア・コンチェルトでは木管楽器で鳥のさえずりを奏でることを考えました。そのためかもしれませんが、モーツァルトはムク鳥を34クロイツァー(約5700円、1グルデン1万円として)で購入し、シュタールと名付けてペットとしました。クラヴィーア協奏曲第17番の第3楽章ではペットのムク鳥シュタールが木管楽器でさえずりますが、ピアノと木管のための五重奏曲変ホ長調K.452では鳥のさえずりである木管楽器とピアノのアンサンブルを試した可能性もあります。
ペットのムク鳥がモーツァルトにアンサンブルの革新をもたらしたと言えるかもしれません。クラヴィーア協奏曲第17番以降、モーツァルトの音楽は木管楽器のそれぞれの楽器はひとつの声部として、その重要性を高めました。
【音楽史年表より】
1781年11/23初演、モーツァルト(23)、2台のクラヴィーアのためのソナタ ニ長調K.448
ウィーンのアウエルンハンマー邸で行われた私的演奏会で初演される。弟子のヨゼファー・アウエンルンハンマーがプリモ、モーツァルトがセコンドを弾く。この演奏会では2台のクラヴィーアのための協奏曲第10番変ホ長調K.368も演奏された。ウィーンではモーツァルトとアウエルンハンマーの結婚話がうわさされたが、彼女の厚かましい言動に閉口していたモーツァルトは父への手紙でこれをきっぱりと否定している。(1)
1784年2/9、モーツァルト(28)、クラヴィーア協奏曲第14番変ホ長調K.449
モーツァルトは1784年2月から「自作品目録」を作り始める。これは作曲家としての活動を再確認し、自作品を記録に留めておこうとするモーツァルトの積極的な態度の現れととれよう。以後、作品の記入は死の直前まで続くが、その巻頭を飾るのがこの変ホ長調協奏曲である。この協奏曲はバルバラ・フォン・プロイヤーのために作曲された。バルバラはウィーン駐在のザルツブルク宮廷連絡官ゴッドフリート・フォン・プロイヤーの娘で、1784年から85年にかけてモーツァルトにクラヴィーアと作曲を師事していた。なかなか優れた弟子で、彼女のためにクラヴィーア協奏曲第17番ト長調K.543も書かれているし、作曲の練習帳も遺されている。(2)
1784年4/10作曲、モーツァルト(28)、クラヴィーア協奏曲第17番ト長調K.453
モーツァルトの有能なクラヴィーアの弟子であったバルバラ・フォン・プロイヤー(愛称バベッテ)のために作曲される。第3楽章はウィットに富んだ主題と5つの変奏からなっているが、この主題はモーツァルトが34クロイツァーで買い求めたムク鳥の「シュタール」がさえずることができた旋律とされている。モーツァルトはこの作品がとりわけ気に入っていたらしく、5/15の父宛ての書簡には「プロイヤー嬢のために書かれた変ロ長調とト長調の協奏曲は、ぼくと彼女以外のだれのものでもありません。したがって間違っても他人の手に渡ることは許されません。」としたためており、この作品を大切に思っていたことが推察される。(1)(2)
6/13初演、モーツァルト(28)、クラヴィーア協奏曲第17番ト長調K.453
ウィーン近郊のデーブリングでバルバラ・フォン・プロイヤーの独奏で初演される。モーツァルトの6/12の書簡には次のように記されている、「明日、ぼくはデーブリングにある宮廷連絡官プロイヤー氏の邸の田舎の音楽会に出席し、バベッテ嬢が彼女のためのト長調の新しい協奏曲を、ぼくは五重奏曲(クラヴィーアと木管のための五重奏曲変ホ長調K.452)を、そしてぼくたち2人で2台のピアノのための大きなソナタ(2台のクラヴィーアのためのソナタニ長調K.448)を演奏するでしょう。」(1)
【参考文献】
1.モーツァルト事典(東京書籍)
2.作曲家別名曲解説ライブラリー・モーツァルト(音楽之友社)
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