第5回 ニューシネマパラダイス(1988・伊)
思えばあまり頭の良くない映画ばかり紹介してきました。東映ヤクザ映画なんて頭の悪い映画の日本代表のようなものです。
しかし、頭の良い映画はあまり面白くないのも現実です。最高に頭の良いゴタールの映画を面白いと思って観る人がどれだけいるでしょうか?頭の良さと面白さは両立しにくいのです。頭の悪さとつまらなさは簡単に両立してしまうのですが…
というわけで、ここいらで一発頭の良い、それでいて最高に面白い一本でいきましょう。イタリア映画の最高傑作、『ニューシネマパラダイス』です。
戦後のシチリアの田舎町を舞台に、エンニオ・モリコーネの美しすぎる音楽にのせて映画好きの少年と変わり者の映写技師の絆を描くとんでもなくロマンチックな映画です。正直BLに持って行くのは気が引ける美しい映画ですが、私は容赦しません。
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真面目に解説
最後の一本
こんな美しい映画が世間にどれほどあるでしょうか。そりゃあアカデミー賞も取っちゃいます。宇宙人に地球の映画を見せる機会が訪れたら、きっとこの一本は見せる事でしょう。タコ形の火星人もきっと涙を流します。流さない宇宙人とは対話は不可能なので戦争になることでしょう。
映画が娯楽の王様であった時代が終わる様が描かれていることから、この映画は閉館する映画館の最終上映に選ばれることが多い一本です。大抵今作か『仁義なき戦い』です。それで誰も文句は言いません。それだけ値打ちのある映画です。
イタリアの映画でも見ているような
イタリア映画というのは60年代ごろまではかなりの影響力を持っていました。ヘラクレスあたりに扮した筋肉モリモリマッチョマンが出て殺す「ソード&サンダル」に始まり、イーストウッドがホモホモする「マカロニウエスタン」、その流れで作られた安っぽいけど味のあるB級戦争映画は「マカロニコンバット」と呼ばれていました。これらの作品群は盛んに輸出され、世界中で当たりました。
しかし、今作が作られた80年代にはこれらのジャンルはすっかり衰退し、イタリア映画界そのものが地盤沈下している感がありました。
ところが今作のヒットでイタリア映画界は息を吹き返します。低予算の荒唐無稽な娯楽映画の代わりに、イタリア人の感性を活かしたロマンチックな映画群がイタリア映画の主流になっていくのです。
ちなみにイタリア映画の黄金時代は日本映画の黄金時代でもありました。ニューヨークには日本映画専門館があったくらいです。日本も日本人の感性を活かした映画を撮ってほしいものです。安っぽい実写化ばかり撮っていてはダメです。それが何なのかと言われると困っちゃいますが…
戦後とは
舞台となるシチリアの村は戦争の傷跡が深く残っています。トトは父親が戦死して食べ物に困り、街の人々は字が読めず、教育現場は体罰が横行しています。
戦後の困難は何も日本の専売特許ではないのです。ましてシチリアはドイツ軍とアメリカ軍とマフィアとレジスタンスの乱闘に晒された土地ですから。
70年前のイタリアの日常が切り取られたこの映画にきっとイタリアの人は強烈なノスタルジーを感じる事でしょう。日本人が『三丁目の夕日』でそうなるように。相当美化されているのも同じですが、そこをとやかく言うのは野暮というものです。
イタリア社会の闇
イタリアの南北対立というのは中学校の教科書にも載っているくらいですから有名ですね。イタリアという国は北の方ほど豊かで、そもそもが都市国家の寄り合い所帯なので仲が悪いのです。
この作品にも南北対立はさりげなく、そして当然のことのように描かれています。スパッカフィコに対するナポリ野郎という物言いが、「北部の奴はいつも運がいい」というやっかみがまさにそうです。
ナポリは南イタリアの最たるものですが、何しろ舞台はシチリア。ナポリだろうとタラントだろうとそこは北部なのです。根が深い話です。
ナポリ野郎に学べ
しかし、ナポリ野郎はキーマンです。サッカーくじを当てて卒倒するくらいなのでそもそもが悪人ではないでしょうが、丸焦げのシネマパラダイスの前にさっそうと現れ、あぶく銭を十二分に活用して映画館を再建させるのです。街の人にはこの成金のナポリ野郎が西部劇の騎兵隊のように思われたことでしょう。
そして生活の楽ではないトトを根回しをして雇い入れ、民意をきっちり反映してお色気満載の映画を上映し、人気映画を上映するためにごね、映画の時代が終わっても80年代の頭までは頑張った。最初から最後まで余人に出来ることではありません。彼の生き方には学ぶべきものがあります。
私も初めてこの映画を観た時、競馬で億単位の大穴を当てたあかつきには、落語と講談と浪曲と色物の割合が2:3:3:2くらいで持ち時間が30分の寄席を作りたいと思ったものです。もっとも、私の買い方では友達を誘って一緒に寄席へ行く程度の儲けが関の山ではありますが。
フィルムのあれこれ
昔の映画興行がどういうものであったのかをこの作品はよく描いています。この辺の事情は日本でも変わりませんし、ほかの国でもそうでしょう。
まずはフィルムが燃えるという問題です。昔の映画フィルムはよく燃えるセルロイドでできていました。それはそれはよく燃えました。映画館は消防法で特別な扱いをされ、厳しい規制が課されています。これはフィルムが派手に燃えた名残です。
また、無声映画はほとんど現存していないのですが、これはフィルムが何かの拍子に簡単に燃えてしまうためです。作中描かれたように下手をすれば自然発火するくらいですから、戦時中は火薬の材料として供出されて失われた映画もありました。
やがて安全フィルムという燃えにくい材質のフィルムが使われるようになりますが、アルフレードの言葉を借りれば「進歩はいつも遅すぎる」のです。もはや写真と名声しか残っていない、出演作を見ることのかなわないスターがまさに星の数ほどいます。
そしてフィルムのシェアもあるあるでした。昔はちょっとした町にはいくつも映画館があったので、「掛け持ち」と言って上映時間をずらして一本のフィルムを複数の映画館で上映することはよく行われ、自転車やバイクで自転車を運ぶスタッフが映画館には必ず居ました。
当然映写技師にも特別な技術が要求されます。この時代を知る映写技師は今の基準では信じられないほど腕が良いそうです。悠長にフィルムを取り換えていたのでは街の映画館が共倒れしてしまうのですから。
セルフ絶叫上映
映画館がうるさいのもポイントです。今や映画館は笑い声さえ出すのさえ憚られる時代になりつつあります。
そこへ行くと今作の映画館は煙草の煙が立ち込め、客は何かと騒ぎ、カップルは盛り、少年たちはブリジット・バルドーの濡れ場で怪しい行為に励み、娼婦が客を探しに来ます。現代の感覚ではほとんど無法地帯です。セリフを先に言ってしまうおっさん、二階から唾を吐いて仕返しされる共産主義者。迷惑な客も余すことなく描かれています。
しかし、当時の人にとってはそれが当たり前でした。日本など健さんが殴り込み行けば歌舞伎のごとく大向うが飛んだというくらいです。
今では絶叫上映や応援上映などというものが盛んに行われるようになりました。あの騒がしい映画館こそが本当は自然な姿なのかもしれません。
あなたは神を信じますか?
教会の影響力が強いのも注目すべき点です。イタリアは"本場"だけにカトリックの影響力が強く、今でも離婚には教会のお伺いを立てなければいけないくらいですから。
大半の日本人が教会を意識するのは結婚式の時か救世軍の社会鍋に出くわした時くらいのものですが、当時のイタリアでは教会は街のコミュニティの中心であり、神父様は村長やマフィアのドンと同じくらいの影響力がありました。
映画館が教会に併設されているのも決しておかしい話ではないのです。ナポリ野郎と神父様の運営方針の違いが全てです。教会としては住民が堕落しないようにある程度コントロールする必要がありますし、教会の運営にも先立つものが必要ですから。
というわけで指導者としての立場上、神様の思し召しに応じてキスシーンをカットするのも、今の感覚では横暴ですが当時としては不当な事ではなかったのです。宗派によってはそもそも映画自体がNGという所さえあるのですから。
とはいえ本音と建て前というものがあるので、ナポリ野郎が己の欲望の赴くままに神父様がぎょっとするようなシーンの入った映画をかけ、街の人々が大喜びするのもまた当然の話です。
だめと言われれば見たくなる。ロトの妻が何故塩の柱になったか神父様なら当然知っているはずです。『ソドムの市』はさすがにナポリ野郎も上映しなかったと信じたいですが…
へタリアなんて言わないで
イタリア軍は弱いと日本の若者は広く信じていますが、とんでもない話です。ヘタリア呼ばわりされる程酷くはありません。強いとも言いませんが。
トトの父親はロシアで死んだことになっています。当時のイタリアでは戦死者の息子は徴兵されないことになっていたのですが、何かの手違いでトトは徴兵されてしまいます。これが物語を大きく動かすのです。
エレナの行方を捜して電話をかけるシーンで、ほかの兵士が順番待ちの列を作っているあたりは実に嫌なリアリティがあります。従軍経験のある韓国人の友人によると、韓国でもあんな感じだったというのでどこの国もそうなのでしょう。
中尉が大佐の娘に手を出すので、厳しい訓練を積んでいてもイタリア男の心意気?は抜けないのでしょう。だとしてもあんな日々に耐えた人間をヘタレ呼ばわりする気には私にはなれません。ひとえにドイツ人がハードルを上げすぎたのです。
変なおじさん
あなたの故郷の町にも名物の変なおじさん(おばさん)が一人くらいいたはずです。今作の町にもいます。俺の広場だと謎の領有権を主張し続けるおじさんです。
文字通りの変なおじさんは最初から最後まで徹頭徹尾変でした。30年後、広場が車に埋め尽くされるようになっても相変わらず俺の広場だと言いながらうろついています。
思えばトトが出ていく前も帰った後も、何も変わらなかったのはこのおじさんだけでした。監督がこのおじさんを登場させた意図はその辺にあったのでしょう。
BL的に解説
アルフレード×トト
神父様はショック死しかねませんが、ここまで来た以上後へは引きません。こんな美しい映画はありませんが、尊い映画もまたありません。
トトとアルフレードの絆がこの映画の肝であることに議論の余地はないでしょう。エレナなどコンドームほどの存在でしかありません。ちなみに彼女はイタリアで公開された完全版ではボッチャと結婚します。我々が一般に見ている2時間のバージョンは短縮版なのです。
何故エレナは出征するトトに会いに行かなかったのか?完全版ではエレナはアルフレードの仲介を頼むのですが、アルフレードはトトが何としても街を出ていくようにエレナを説得して無理矢理別れさせたのです。
それがトトの為だとアルフレードは強く信じていたわけですが、果たしてそれだけでしょうか?俺のトトをあんな小娘に渡してたまるかという強固な意志がなかったと言い切れるでしょうか?
二人は友情の一言では済まされない特別な絆で結ばれています。アルフレードの危機をトトは命がけで救うのです。そして二人はいつも映画とお互いの事ばかり話しているのです。これが愛でなくて何でしょうか?
そもそもエレナ登場時点でアルフレードはおかしいのです。女の影を見えない目で座頭市並みに完璧に察知し、不吉な言葉を投げかけて揺さぶりをかけています。地元の娘と引っ付いてしまえばトトは結局町を出ていかないのでそれを危ぶんだのかもしれませんが、そこに嫉妬心がなかったとは思えません。
とはいえアルフレードには素敵な奥さんがあるわけですし、トトは長じて女をとっかえひっかえするようになるわけですが、ここに肉体関係の有無は大した問題ではありません。尊さとはそういうものです。
神父×トト
というよりも、街の大人たちは皆トトの事が好きすぎます。明らかにボッチャに注がれる愛の量を上回っています。
そしてその最たる例が神父様です。そもそも聖職者による子供への性的虐待はいまや世界的な社会問題です。それは長年受け継がれてきた教会の悪しき伝統なのです。プロテスタントの牧師が妻帯を許されているのはそういう裏の事情もあると言われています。
『サウンドオブミュージック』ではありませんが、信仰より愛を選んで教会を去る神父やシスターというのは少なくないそうです。一方、結婚したくないゲイが聖職者になる流れがありました。
つまり、残るのは筋金入りの強固な意志の持ち主か、そんな誘惑をそもそも感じない人物です。一説には最も同性愛者の割合の高い国はバチカンだそうですから恐ろしい話です。
神父様はトトをとても可愛がっています。さほど信心深くもないトトをいくばくかの収入が得られる従者に使い、法律に触れると知りつつもトトが映写技師を務めるにあたって祝福を与え、忙しい中を街を出るトトの見送りに駆けつけてくれるのです。
単純に良い人なのでしょう。この映画には善人しか出てきませんから。しかし、そこに下心がなかったとも言い切れません。
そもそもキスシーンをカットするよりも、最初からそういうシーンのない映画をかければ済む話なのですし、アルフレードが"裏技"で外に映画を映したのを見て入場料を取ろうとする当たり、案外生臭坊主なのかもしれません。
ナポリ野郎×トト
もう一人のトト大好き野郎がみんな大好きナポリ野郎です。他所から雇う道もあったはずの映写技師の口を法に触れるのを承知でトトに与え、出征するトトを励まし、帰って来たトトの出世を喜びます。もっとも、トトの映画はさぞや客を集めたはずですから、その辺の恩義もあるでしょうが。
トトの母親のマリアに手を出すのはイタリアなのにフランス書院ですが、イタリア男ならマンマの手料理以上に未亡人が好物のはずが、そんな気配はありません。ナポリ野郎はいい奴なのです。しかし、本命がトトだったというのはあり得ない話ではありません。
ナポリ野郎は明らかにお色気の多い映画を好んで上映しています。興奮して客席でおっぱじめてしまう街の子供たちの姿が描かれています。その他その場で盛り始めるカップル、客を探しに来る娼婦など、今時ポルノ映画館でしか見られないような光景が余すことなく描かれています。ニューシネマパラダイスは文字通り教会の支配の及ばないパラダイスであったわけです。
その点トトは映写室です。アルフレードのいない日は一人きり。誰憚ることはないわけです。ブリジット・バルドーは50年代の保守的な村の少年にはいささか刺激が強すぎます。そして現場を押さえてしまったナポリ野郎。そのままキックオフとなるのはBL的には自然な流れです。
お勧めの映画
独自の統計(主観)に基づきマッチング度を調査し、本noteから関連作品並びに本作の気に入った方にお勧めの映画を5点満点にて紹介します
エンニオ・モリコーネ追悼特集
『夕陽のガンマン』
『ミスターノーボディ』
『さすらいの用心棒/暁のガンマン』
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』
『アンタッチャブル』
『海の上のピアニスト』
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