「会いたい」から、その数百メートルが遠い
大学の入構禁止が解除されるまであと2週間弱(いまのところ)。
見事なまでに会いたい人たちに会うことができないまま時間が過ぎていきます。スマホに浮かぶラインやSNSを開いたって、zoomを開いたって、なんとなく「これじゃない」感じが拭い去れないまま、でもゼロよりはずっといい、と 家にいる時間中なんとなく通知を期待している自分がいます。
自分の住んでいるところは学生がおおいアパートでっし、近くに友達が住んでいるのも知っているし 自転車で数分坂を登ればいろんな会いたい人のもとへいくことはできるはずです。
こんな状況でさえなければ。
Twitterをぼんやり眺めていてもラインを開いてもそこにはたくさんの「会いたい」が詰まっています。「落ち着いたら会おうね」「一緒にギター弾こうね」「一緒にお昼ご飯食べようね」「パンケーキ食べいこう」「カラオケ行こう」…… 今まで○○がしたい!と言えば「いつならあいてる?」と話を進めることができたものがこんなに難しくなるのかとちょっとうんざりしてしまいます。
先日、このノートを読みました。
https://note.com/momoxpeach/n/n80cf9d64b55c
わたしは今日も、みんなに会いたい。
正直、このnoteを読むまでは この時期みんな苦しいのだから 自分が「会いたい」なんて口にしてはいけない、と思っていました。
会いたいと思うし、会いたいって画面にうちもきながらどこか「でも、本気で会いたがってはいけない」と思っていたんです。だって、「みんな我慢している」し、近くに住んでいる人たちは特に「本気で会おうとすれば会えてしまう」から。 アルバイトで外に出ている自分が 1人勝手に死ぬならまだしも すきな人を苦しめかねない状況で会うことなんて絶対にしてはいけないし 「会いたい」って心から言ってはいけないのだ、と思っていました。
花見をしながら友人を会う約束だって、できなくなってしまった。これだけが悲しかった。
共感の塊みたいな文章のなか、一番刺さったのはこの文章です。春になったらここへ行こう、これをしよう、と大事にかさねていた大切な約束たちが次々になくなっていくことが悲しくて 「どうすることもできない」のが苦しくて でもなんとなく「わがままを言ってはいけない」気がしていたけれど、悲しいものは悲しいんです。会いたいものは会いたい。
まだ連絡がこないだけで、きっと大学に入構することができるのはもっと先になるのだろうなあ、と思います。課外活動だって、今以上に「例年通り」はなくなるのだろうと思います。どんなに家が近くたって、「会いたい」をかなえる距離は遠いままなのではないかと思います。
会いたいのはすきだから、それ以上でもそれ以下でもないけれど、「会えない」のは苦しくて悲しいけれど この数百メートルがぐっと近づくまではいくつもの「悲しい」をこえていかなければならないのだろうと思います。
でも、だからこそ本気にし続けたい。
「会えない日があるから会える日を大事にできる」なんて言葉はもうお腹いっぱいです。今会いたいんだ。
数百メートルが大切な人を苦しめない手立ての一つになるんだ、と思います。これを当面守り続けていくのはもちろんだけど、会いたい気持ちは確実にあるし膨れ上がっていく。
やっぱり「会えないこと」ってすごく苦しいなと思うんです。まあ文明のありがたみというか 電話で声を聞くことも「元気?」とか声をかけあうことはできるんです。でもどんなに電話やSNSで声を聞けたって連絡を取れたって、温度が違うんだと思います。
やっぱりわたしも、みんなに会いたい。