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noteはじめまして。

 このnoteを今日から書こうと思います。

 noteを書くことを勧められたのは、今から約1年ほど前に大学の友人と話しているときに、本を読むのが好きならばnoteを書いて欲しい。どんな考えをしているのか、どんな文章を書くのか読んでみたい。と言うふうに言われたから。そのとき、「何者でもない自分が書いたって誰も読まないし自分のつたない想いを書くのは恥ずかしいから嫌だ。」と答えた。
 友人は「誰も読まないから書かないのは違うと思う。たとえ誰もよまなくても自分だけはその文章を読むし、日々の煮え切らない想いを言葉にすることは無意味なことではないと思う」というふうに言われて、僕はそのときあまりピンときていなくて適当な返事をした。そのときは「まぁ、書くことはないだろうな」と思っていた。

 その後、僕は休学をした。理由は主に2つ
1.潰瘍性大腸炎という病気になったこと(現在は、投薬や脂質の制限で日常生活に問題はない)
2.就活(大学3年生の時に自分が進みたい道、やりたいと思えることが芽生えてこなっかた)

 そんなこんなで今は休学をしてから半年ほどが経つ。 この半年で僕は失恋を2回、入院を1回、本を70冊 トーイックのスコア350点アップ。これがこの半年で起きた主な出来事だと思う。
 毎日毎日、過ごしていてもなにか満たされない。友達もいる、好きだと思う相手もいた、辛いことがあっても落ち込みすぎないメンタルも持ち合わせているのになんだか寂しいと感じる。その答えが知りたくて図書館や書店に行ってそれっぽい本を読んでみるがどこか違う。自分の心は綺麗で、美しく比喩で表現できるようなものではないと思った。

 だから、この自分の中にある得体の知れない何色なのかもわからない想いを言葉にしようと思った。 この文章は経済的にも社会的にもきっとなんら価値はない。けど友人が言ったあの言葉のように無意味なことではない気がする。

 言葉はとても不思議だと思った。その時はなにも響かなくても、自分が必要だと感じた時にフラッシュバックされる。人に傷つけられた時に”人に優しくしなさい”と先生に言われてたことを思い出したり。好きな人と別れた時に、幸せは身近にあるというフレーズを思い起こしたり。
 だからこそ、その言葉の魔力に賭けてみたい。自分の使う言葉が誰かの心に残り、いざと言う時に言葉を思い起こし、行動に移すための背中を押せるように。
 友人のおかげで今日、noteを書こうと決意した僕のように。

僕のnoteはきっと数人の友人と奇跡的にたどりついたnoteのユーザーしか見ないと思う。だからこそしっかりと書き留めたい。”狭く深い”僕の交友関係をより美しいものにするために。

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