子供の頃、辛くて苦しかった自分を救いたい。
私は学生時代とにかく学校に馴染めなかった。
辛い思いも沢山してきたし、意地悪されることもままあった。
小中なんて特に真っ黒でただただ辛い日々だった。
最近は、そんな思い出も薄れてきて、自分の人生楽しもうとシフトチェンジができてきた。
ただ、今日ふと思い出してしまったので、そんな思い出に一区切りつけたくて、ここに置いていくことにした。
給食着袋の紐が切られていたこと
まず思い浮かんだのがこれ。
小学生のころ、なぜか私の給食着袋の紐が切られていた。
給食着袋や筆箱、手提げ袋など家から持ってきたものは当時私の心の支えになっていた。私は小学生になるのと同時に引っ越しをした。仲のいい友達が誰もいない環境、慣れない小学校の生活、知らない土地、全てが私を不安にさせ、心細くさせた。小学生の頃は、早く家に帰りたいとばかり思っていた。そんな私の心を守ってくれた物の一つが、母が縫ってくれた給食着袋だった。それを傷つけられ、脆く不安定な心は一気に崩れた。
とにかく泣いた。涙が止まらなかった。でもそんな私を同級生は冷ややかに見ていた。声もかけず、何事もないように、私なんか居ないように振る舞われたことが、更に私の心を抉った。(もしかしたら、どう対応したらいいかわからないだけかもしれないが…)
そんな事があって学校がますます嫌いになった頃、今度は体操着袋の紐が切られていた。
そしてその事件から何日も経たないうちに、今度は私の給食の配膳だけしてもらえなかった。
ただでさえ心細いのに、何度も持ち物を傷つけられ、挙句の果てに給食の配膳をしてもらえず、疎外感を強く感じた。心細さ、寂しさに拍車がかかる。更に周りの子達は何もしてくれない。励ましたり、声をかけたりもされなかった。唯一先生が、泣いている私を宥めようと話しかけてくれたが。結局犯人もわからず、助けてくれる人もおらず、独りぼっちだな、辛いな、学校嫌だな、でも行かなきゃいけないんだよなぁ…という苦しみが増しただけだった。
私、可哀想。なんであの時誰も手を差し伸べてくれなかったんだろう。助けてくれなかったんだろう。酷いよな、冷たいよな、周りの人。あんな嫌な事があって、なんでそれでも学校に行かなきゃいけなかったんだろう。私が辛くて泣いて苦しくても、誰も、「学校休んでいいよ」と言ってくれなかった。
あの辛くて苦しい空間から、ついに逃れられなかった。
私が何をしたっていうんだ。
ただひっそりと、不安と孤独に耐えながら頑張って学校生活を過ごしていただけなのに。
それを誰も気づいてくれないし、褒めてもくれないし、同情してもらえるわけでもなく。
一人で戦ってきた。
可哀想なわたし。辛かった、苦しかったよ。
私は、私みたいな思いをする人を助けてあげたいと思う。
仲間外れになっている人には声をかけるし、しんどそうな人にはどうしたのと声をかける。
頑張って日々を生き、向き合っている人たちに、私みたいな思いをして欲しくない。
私にできることは限られているかもしれないけれど、そういう思いをしてる人達を見つけたら、私がして欲しかったように、救いの手を差し伸べていきたい。
そうすることで、昔、誰にもわかってもらえなくて苦しんでいたあの頃の私が、少しずつ救われるような気がするから。