松山城城山の土砂災害、本当に被害を防げなかったのだろうか
農業は自然相手。雨、風、高温、そして災害は、いつも気にかかる。そんな中、7月12日未明、愛媛県松山市の松山城城山で土砂災害が発生した。「なぜ、松山城で土砂災害が起きたのか」。反射的に抱いた疑問。これまでのニュースを見ていると、松山市の対応が引っかかる。腑に落ちないのだ。
決して「想定外」ではなかった雨量
2024年7月12日午前3時45分ごろ、土砂災害は発生した。愛媛県松山市の中心部にあり、標高132mの山の上に建つ松山城。その城山の北東側斜面が崩れ、住宅が土砂に埋まり、3人の命が奪われた。
7月9日~12日発災時までの48時間雨量は約200ミリ。確かに激しい雨ではあった。しかし、2018年の西日本豪雨では、同年7月6日~7日の48時間に松山市で300ミリ超の雨量を観測していた。災害前日の7月11日の1日降水量は134ミリ。これは、過去19番目の降水量。つまり、「過去、経験のないほどの大雨」「想定外」と言えるほどの豪雨ではなかった。
空撮に映るブルーシート
災害当日、現場上空をヘリが飛び交った。報道された空撮映像や写真には、山頂付近の崩れた斜面に不自然にかけられたブルーシートが映る。発災後ではなく、災害前に敷かれていたものだという。松山市が実施していた緊急車両用道路の災害復旧工事現場だった。
「国史跡」を言い訳に
この現場、1年前に大雨の影響で擁壁が傾いているのが見つかっていた。しかし、復旧工事着手は土砂災害の直前。1年もかかっていた。この点について、松山市は災害当日、こう説明した。
「国史跡で現状変更には文化庁の許可などが必要なため、手続きに時間を要した」
しかし、文化庁が「緊急性がある場合は許可がなくても、相談だけで応急措置をすることを認めている」とコメントしたと報じられた。文化財保護法第125条が裏付けとなる。松山市は文化庁に対して、緊急性を伝えていなかった。
松山市の発災直後の説明は、「国史跡」を理由に、仕方がなかった、市の対応に瑕疵はない、という姿勢が如術に表れている。
「災害」「防災」の観点欠如
ここで着目すべきは、松山市が擁壁の傾きをどう捉えていたかだ。その後の対応が、通常の手続きを取っていることからしても、「災害につながる異常または兆候」とは認識していなかったと言える。
さらに、同じ道路で、2018年7月、西日本豪雨によって、路面に数メートルにわたるひび割れが生じていたことを、発災から約1週間後、市が明らかにした。道路完成から、わずか3カ月あまりのこと。この時も松山市は、「軽微なひび割れ」と判断し、樹脂で隙間を埋める修繕を実施したという。完成したばかりの道路なのに…。
松山市の対応からは、災害に対する危機意識が欠如していたとしか思えない。2018年7月の路面ひび割れ発生。2023年7月に擁壁の傾きを確認。危険を知らせるサインではなかったのか。しかし、防災の観点からの緊急対応はしなかった。
この点について、地元の放送局・あいテレビが野志松山市長の発言詳細をホームページに掲載している。
つまり、松山市は、「道路」しか見ていなかったのだ。この一年、松山市は現場の状況を定期的に観測していたのだろうか。2024年4月17日には、愛媛県で最大震度6弱の地震が発生し、松山も震度4を観測している。その影響は調べたのだろうか。
あいテレビは、避難している地元住民の声を拾っている。その中にこのような声が。
土砂災害リスクを認知していたはずなのに
2023年10月、松山市は「史跡松山城跡樹木管理計画」を作成している。この中で、今回、土砂災害が発生したエリアを含む城山北側について「人命保護の観点から早期に(対策に)取り掛かる必要がある」と明記している。計画では土砂災害の発生リスクを指摘している。
一方、道路のひび割れや擁壁の傾きについては、この計画と結びついて考えられていない。このチグハグ。計画を立てたのも、緊急用道路を管理していたのも同じ「市街地整備課」なのに。なぜ、防災の観点からの動きがなかったのか。まさか係が違うから? 疑問ばかりが渦巻く。
土砂災害の前兆現象
土砂災害には「がけ崩れ」「地すべり」「土石流」の3種類があり、前兆現象として、国、県、市が例示し、前兆現象に気づいたら避難するよう呼び掛けている。当の松山市のホームページにも。その中に「地面がひび割れ、陥没する」「がけにひび割れができる」などが例示されている。
2018年に完成した緊急車両用道路は、一部を盛土して、施工されていた。盛土による災害といえば、2021年7月、静岡県熱海市で大雨に伴い盛土が崩落し、大規模な土石流が発生した災害が記憶に新しい。これを機に、2023年、盛土規制法が施行され、危険な盛土などを規制する取り組みが始まっている。
崩壊面上端は亀裂に沿い 亀裂は盛土と地山の境界
愛媛大学専門教員合同調査グループが、松山城城山の土砂災害について、斜面崩壊源頭部現地調査についての速報メモを公開している。その中には、このような記述が。
土砂災害がどのようなメカニズムで発生したのかや、緊急車両用道路の建設、その後のひび割れ、擁壁の傾き、擁壁工事の準備などとの因果関係については、研究者らが中心になって原因究明が進められるだろう。
もし、「災害」を念頭に動いていたら…
この因果関係の有無にかかわらず、松山市が「災害」を念頭に行動していたら、と考えてしまう。ひび割れや擁壁の傾きを契機に、土砂災害の危険性が想定されるエリアの調査をしていたら。定期的にひび割れなどの変化を観測していたら。それを基に対策が講じられていたら。この災害は起きなかったかもしれない。
調査によって、危険性が高まっていることを察知できていれば、前日の大雨段階で、周辺住民に避難を呼びかけることができたかもしれない。
「結果論」「たられば」と指摘されるかもしれない。しかし、被災後の「検証」とは、まさに結果論であり、たられば、なのだ。「こうしていたら、災害を防げたかもしれない」という点を洗い出し、それを教訓に、今後起きうる同様の災害や被害を防ぐこと。それが「防災」で重要なことなのだ。
災害発生後に抱いた「なぜ?」の疑問に対し、松山市の対応からは、責任回避しか感じられない。自らの過去の対応に真摯に向き合い、この災害を防ぐためにはどうすればよかったのか、何ができたのかを考えることこそ、「防災」の基本。そうしなければ、今後もまた同様の災害・被害が起きてしまう。