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パンクロック

10
アメリカ留学時代にやっていたパンクロックバンドのお話です。
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#バンド活動

パンクロック 10

パンクロック 10

結局ドラマーを見つけるまでレコーディングは延期になった。

僕はすでにOPTビザという、アメリカで1年間就労出来るビザが下りていたので、LAに引っ越すことも特に問題はない。

LAに行けばいくらでもミュージシャンはいるだろう。アメリカ西海岸最大の都市だ。アルバムを作った後の活動もきっとやりやすい。

ダレルはドラマー不在で練習もライブもないので次第に会う事が減っていった。しかも大学を卒業して、引っ

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パンクロック 9

パンクロック 9

アルバムのリリースが決まり、レーベルのホームページに僕たちのCDが発売されると告知が出た。13カ国でリリースされるとのことで、アメリカ・カナダだけかと思っていた僕の想像を超えたスケールに興奮した。

エリックやダレルの人脈を通じて、コロラドにスタジオを持つレコーディングエンジニアの人と打ち合わせをかねて食事をすることになった。

場所は某アメリカンダイナー。

エンジニアの人はポールという、ぽちゃ

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パンクロック 8

パンクロック 8

キャンパスでのイベントが終わると、僕たちのことを知る人が一気に増えた。

ライブをすれば人口3万人にも満たない街で100-150人が集まる。

ここから一気にのっていく。

ダレルの友達が週一回カレッジTV局でトークショーの司会をしていて、それに出演。ローカルテレビ局で放映される。

そこで知り合ったカメラマンがビデオクリップを制作。これは一年以上ローカルテレビ局で流され続けた。

Warped

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パンクロック 7

パンクロック 7

5人編成になった僕らは、大学でギターを教えていた教授の自宅スタジオでデモ音源を録ることになった。

出来上がったラフミックスをメンバー全員分CD-Rにコピーして毎日聴いた。自分達で作った曲が形になるというのは、嬉しいもので、何度聞いても飽きることがない。これは、バンドをやっている者の特権だろう。ヒット曲や好きな曲を聴くのとはまったく違う楽しさがある。

そのデモが出来上がる前に、大学主催の野外パー

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パンクロック 6

パンクロック 6

カレッジ・ジャーナルに掲載された日には、次のライブがすでに決まっていた。キャンパスのスチューデントセンター2階にあるBall Roomという、大学のイベントをやる広い部屋だ。

入場料を3ドル取ったのに150人くらい集まった。

このときは臨時収入ということで、ライブの後はメンバー全員と、すでにグルーピーのようになっていた高校生を10人くらい連れてアメリカンダイナーに打ち上げに行った。

その中に

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パンクロック 5

パンクロック 5

ザックは彼女との時間をいつでも優先してたから、僕はなんとなく、そのうち辞めちゃいそうだなぁ、とは感じていた。

今までのドラマーも同じ。彼女がバンド練習に理解がないと長続きしない。

何故か僕の関わるドラマーは 「彼女 > バンド」のパターンが多かった。

速い曲になるとリズムキープが不安定になりがちだったザックのドラムをエリックは気に入らなかったのは知っていた。だから一度辞めると言った彼をエリッ

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