呼び起こされる風景 2023年12月【4】
私の一番古い記憶は、鷺ノ宮駅(東京都中野区)近くの景色だ。5歳か6歳の頃、姉とふたりで妙正寺川沿いを歩いている時、遠くに稲光が見えた。その光は紫色だった。絵では黄色いのに、本物はこういう色なのかと驚いた。
小学校に上がるタイミングで、長野県松本市に引っ越した。3月末のことだった。初めて降り立った時、なんて日差しの強いところなんだろうと思った。
小学5年に上がる時、大阪府岸和田市に引っ越した。しとしと雨が降ると、この街を思い出す。空が灰色の雲で覆われて薄暗い日、小雨がサワサワと音を立て、湿った土のにおいがする日、ふと心が連れ去られる。
小学6年の頃、岩手県盛岡市に住んでいた。9月の末に引っ越してきて、翌3月に去った。そのせいか、私の記憶にある盛岡は寒くて、曇っていて、薄暗い。
小学校の校舎は木造で、昭和初期に建てられたものだった。外観は淡い色だったが、中は全体に焦げ茶色。太陽の光より、電気の光に頼っていた。その校舎は20年以上前に取り壊され、今はもうない。
雪がしんしん降る日、私は盛岡での日々を思い出す。
***
生まれた時に住んでいたのは東京都中野区だが、生まれた場所は群馬県桐生市だ。母の故郷であり、祖父母が住んでいた。
私が住んだことはない。生後1ヶ月で離れている。それでも、私はここで初めて息を吸い、日を浴び、人と出会った。
父の転勤に伴って、大人になるまでに何度も引っ越した。東京、長野、大阪、栃木、岩手、埼玉と転々としている。
だから思い出が分散している。4年生の思い出、5年生の思い出、6年生の思い出、中学時代の思い出。すべて違う土地なのだ。
その間、桐生には折りに触れて滞在してきた。夏休みや冬休みなど、日数は限られているが、子供の頃から継続して訪れている街は、ここだけなのだ。
5歳、10歳、15歳、20歳……。私は桐生を訪れ、街の移り変わりを見てきた。この街には、いつでも郷愁を覚える。
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30代実家暮らし、働かず家にいる男の日記(あぎるnote)
著者は1985年生まれの男性。 不登校、社会不適応、人付き合いが苦手。 内向型人間。HSP。エニアグラムタイプ4。 宗教・哲学(生き方)…
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