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手書きの日記の魅力(2022年3月2日~4日)

【3月2日】
日記を書かなくなって1年ぐらいたった。このnoteも日付だけ日記風なだけで、実際には思いついたことを書いているだけだ。

日記を書く習慣は、断続的に持っていた。中学生の頃は毎日書いた。それが宿題だったからだ。高校時代には書かなかった。ただしいつでも小さなメモ帳を持ち歩いて、心に浮かぶことを書いていた。

高校時代の前半は不登校、後半は通信制の生徒。アルバイトはほとんどしなかった。誰も話し相手がいなかった。話したい時はメモ帳に、ノートに、本の余白に、自分の思考や感情を書きなぐっていた。

大学に入って、また日記を再開した。20代後半からは「ライフログ」に鞍替えした。日記は1日のまとめを書くものだが、ライフログはリアルタイムで書き綴っていく。常に持ち歩いて、たとえば病院に行ったら「10時00分、病院に着いた」、電車に乗ったら「13時25分、電車に乗った」と書いていく。

ライフログに興味がある人はこれを読むといい。

30代半ばになると、出かけることが稀になったため、寝起きの時間を記すだけになってしまった。面白くないので、フェードアウトしていった。

ただ完全にやめたわけではない。時々書いている。手で書くことが楽しいからだ。

手書きは、ノッてくると思考より手のほうが先に動く感じになる。この感覚はいつも不思議だ。実際には思考が先に決まっている。脳が錯覚を起こすのだ。この錯覚はいつでも楽しい。

また手書きの字は、いろいろと遊ぶことができる。小さく書いたり、大きく書いたり、曲げて書いたり。日本語であれば、全部ひらがなやカタカナで書くといったこともできる。英語でも大文字で書いたり、筆記体で書いたりといったことで遊べる。

思いついたことを書くのは、日記とは言えないのかもしれない。ただその日に考えたことであることは紛れもない事実だ。

そして手書きであれば、文字にその時の感情が現れる。焦っている時は焦っている字になるし、落ち着いている時は落ち着いている字になる。

文字そのものが、その日の自分の記録なのだ。だから広い意味では、何かを手で記しさえすれば、それはその日の日記と言える。

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著者は1985年生まれの男性。 不登校、社会不適応、人付き合いが苦手。 内向型人間。HSP。エニアグラムタイプ4。 宗教・哲学(生き方)…

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