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女性の服がうらやましい男性の思い 2024年7月【2】

私は38歳の男性だ。いつの頃からか、女性の服がうらやましいと思うようになった。話は少年時代にさかのぼる。

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思春期を迎え、異性への関心が強まっていった。それをはっきりと自覚したのは小学5年の頃だ。スカートを穿いた女の子がやたらに気になる。ズボン姿の時は何も感じないのに、スカートになっただけで魅力的に見える。

その年、長野から大阪に引っ越した。大阪の女の子はスカート率が高かった。たまに穿くのも含めると、半数以上だった。

長野ではずっと少なかった。何しろ4年間も住んでいたのに、2人しか思い浮かばない。ただこれは、思い出せないだけかもしれない。思春期前のことで、女の子の服に関心がなかっただけという可能性もある。

翌年、栃木に引っ越した。スカートの女の子はクラスに数名。半年後に岩手に引っ越したら、なんとゼロ。やはり大阪のスカート率が特に高かったのだ。

スカートへの思いは募る。ある日、家に誰もいない時、家族のスカートを穿いてみた。タオルを腰に巻いて、スカートを穿いているのだと空想したりした。

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私は少年から青年になっていく。アルバイトを始め、自分でスカートを買うようになった。

自室で穿いて、姿見に自分を映す。スカートを穿いている時は自分以外の人間になれた。違う世界に生きている気持ちになれた。

本当はもっと長い時間、穿いていたい。自室で穿いて、自室を出る時は脱ぐ。なぜこんなことをしなければならないのか。スカートを穿いて外出したいという思いが強まっていった。

でも勇気が出ない。そのうちに、スカートを穿いている女性を見ると腹が立つようになった。私が着たいのに着られない服を着ているからだ。

なぜ彼女たちはスカートを穿いて生活できるのだろう。女性だからだ。スカートは女性だけに許された衣服。私は男性だから、穿くことが許されない衣服。そう思うと、どうにも悔しかった。

穿いてはいけない法律はない。だから穿きたければ穿けばいい。たしかにそうだ。しかし、スカート姿の男性を、世間はどのように評するだろう。「変態」「気持ち悪い」「オカマ」など、散々だ。せいぜいズボンの上から穿くぐらいしか受け入れてもらえない。

何なんだ、この社会は。なぜ男性たちは、こんなウンザリするような服装規範を受け入れ、従っているのか。

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今は夏。テレビを付ける。アナウンサーや気象予報士が映っている。

女性たちはカジュアルで、色とりどりの、涼しげな服を着ている。一方、男性たちは、暗い色のスーツにネクタイ。髪も黒の短髪しかいない。クールビズなどといっても、半袖ワイシャツにノーネクタイというだけ。

なぜ男性は、そろいもそろって、こんなにつまらない服装をしているのだろう。素敵な格好をした女性を見れば見るほど、ときめけばときめくほど、やるせなくなっていく。

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男性の礼服は悪夢だ。私は男性のスーツを見ると泣きたくなる。いつでも黒っぽい色の上下、そしてネクタイに革靴。このスタイル以外許されない。

真夏の男性の喪服は、もはや命を脅かすものだ。首からつま先まで、どこにもすき間がない。気温40度の日でも、ネクタイをゆるめるのはマナー違反。ジャケットを脱ぐのはマナー違反。マナーとは、命より大事なものなのか。

一方、女性の喪服の首元はあいていて、五分袖や七分袖を選べる。下はスカート(※1)。靴も足の甲が露出している。

結婚式では、なぜ花嫁だけがあんなに素敵なドレスを着られるのか。成人式では、なぜ女性だけが色とりどりの振り袖を楽しむことができるのか(※2)。

なぜ男性の礼服はモノクロのスーツしか許されないのか。燕尾服やらタキシードやらモーニングやら、あるにはあるが、スーツの変形に過ぎない。こんな服装規範、誰がつくった。なぜ人々は従う。なぜこんなつまらないしきたりが何世代も続いているのか。

この男性に課せられた、罰ゲームのような服装規範に、私は我慢がならない。女性の服装を取り入れて生きていくほかないと思っている。

もしそれができないなら、心の叫びも体の叫びも押し殺して、既存の服装規範に屈服することになる。毎日毎日、心の中でこの社会とそこに生きる人々を罵り、呪いながら生きていくことになるだろう。

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私は数年前から、女性の服を着て外出するようになった。目に映る女性をうらやみ、怒りを覚えるようでは、相当病んでいる。かくなる上は、もう打って出るしかないと思ったのだ。

ただ実家暮らしゆえ、親の目が気になり、なかなか思うように着ることができない。外出先で着替え、帰宅前に着替え直すというスタイルで妥協している。これでは簡素な装いにならざるを得ない。頻度も月に数回程度にとどまっている。

好きな時に、好きな格好を、好きなだけしたい。その理想にどうすれば近づけるか。その答えを見つけ、実行する。それが今の私のすべきことだと思っている。

(※1)女性の喪服の場合、スカートを強いられるという問題がある。パンツスーツは近年になって許容され始めた。それでも略喪服であるため、自分が喪主・遺族・近親者の場合は原則NGとのこと。こちらにも物申していきたい。私自身はスカートを穿きたいが、それしか穿けないなどという決まりは許しがたい。私は個人を苦しめるマナーやら慣習やらに抵抗する。

(※2)礼服ではないが、着物や浴衣もそう。女性だけが華やかな色を楽しんでいて悔しい。

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