野ざらし
野口晴哉の「整体入門」であったか、「風邪の効用」であったか。
とにかく、野口整体というものを知ったのは、どちらかの本を読んだのがきっかけだった。
出会ったことでその後の生き方に影響を与えてきたものは、いくつかあったが、野口整体はその一つであることは確かだ。
身体や健康というものに対する捉え方について考える機会は、何の問題もないうちは、そう無いのかもしれない。
そんななか、気づきを与えてもらい、身体とは、生命とはと問えるようになれたことは、やはりラッキーなことだと思う。
身体を問うことは、生きることを問い、人間を問い、この世界を問うことだ。
そもそも、我々は何故存在しているのか。
というようなところとまで繋がっていく。
私はここ数年、野口晴哉氏の御子息である野口裕之先生の身体教育研究所の講話にも通う。
例えばそこで、「野ざらし」という古語があり、それは身体のなかのどこかを表すという。相手の身体に触れて野ざらしと言った時、自分のなかの反応を観てみる。
どんな反応があったか。
それは微妙なものでもあり、明らかにここじゃないだろうか、と感じるものでもある。
私はでも「野ざらし」と言いながら、相手の身体を観て自分の身体を観るというこのこと自体が、なかなか出来ない貴重な体験と感じる。
身体のなかに頭では知らない言葉を反応する処があるだなんて、普通では考えられないだろう。
身体というものも、人間という存在も、思ってる以上に単純なものじゃないのだ。
私はだんだんお手軽に薬を飲んで痛みを止めることなどなかなかしなくなった。
それはあまりに軽薄に感じる。
もちろん、程度にもよるとは思うのだが。
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