
ローマのニッポン人 (古代ローマの遺跡とプーリア州を巡る旅⑦)
2024年11月4日月曜日(三日目)
ローマのニッポン人

アッピア街道を行くバスで偶然隣り合った女性が話しかけてくる。
在伊の日本人であるらしい。
遠くに見える広場に大勢の人が集まっているのが見えている。
「circo massimoよ。あれはね、軍の祭典をやってるの、ほら今日は軍隊記念日でしょ」
今朝9時頃、ヴェネツィア広場で飛行機が飛び、イタリア国旗が空を彩ったという。
昨日観光したローマの街はどこも修理中であったことを言うと、
「来年はジュビリーがあるからね。どこも修理してるのよ。突貫工事...でね、ふふ。イタリア人だから」と笑う。
ジュビリーとは2025年に祝われるカトリックの聖年であるらしい。
今はエミリアロマーニャ州に住み、年に一度旦那とローマに旅行に来るのだという。昨年はアッピア街道を20キロ以上も歩いた。
今日もこれから街道の端までバスで行ってそこから歩くのだという。
フォロ・ロマーノの笑い話を聞く。
フォロ・ロマーノを訪れたアメリカ人が言った。
「ここはまだ工事中らしいな」
そして、ろくに見もせずに帰ってしまったという話。
アメリカ人は古代ローマの壮大な歴史に想いを馳せる想像力を持ち合わせていないという皮肉である。
「知らなければただの石なの、勉強していった方がいいわよ」
その女性は歴史マニアらしく、フォロ・ロマーノの話を色々と聞かせてくれた。
神聖な務めを任されていた六人の巫女の話。
ある大きな門の下に開業したという美容院の話。
とても話好きの感じのいい人で、普段は日本語はあまり話さないのかもしれない、時々単語を忘れることがあった。
向かいに座るイタリア人らしき旦那は静かに彼女を見守っていた。
別れ際、旅を楽しんで、と告げると、旦那の方からも楽しんで、と言葉をかけられた。
サンセバスティアーノのカタコンベ

アッピア街道沿いにはカタコンベと呼ばれる地下墓地が点在している。
私たちが目指すのは聖セバスティアーノのカタコンベcatacombe di San Sebastianoである。
聖セバスティアーノは、キリスト教への迫害を行ったディオクレティアヌス帝により、拷問の末に殺害されたといわれてきた殉教者である。
木に縛られ矢が刺さっている痛ましい姿が有名であろう。
その入り口はアッピア街道に面した場所にあった。

正面の聖堂の右側に受付があり、カタコンベに続く入り口が設けられていた。
遠くにまっすぐと伸びた見上げるような糸杉がいくつも生えている。
それらは墓標のようにもみえる。糸杉は根を深く張らないので墓を荒らさないらしい。
入場料の10€を払い、中へ入る。
壁には出土したと思われる割れた石板のようなものが所狭しと飾れている。
地上の展示を見る間もなく急かされてガイドツアーに参加する。
地下へ続く階段を降りる。
三層に分かれており、これから見るのは一層目と二層目。最も深い場所には入れないらしい。
いよいよ地下へ。
続く