短編小説「青」
マガジンを抜き、残弾を確認する。既に自らの腕は床に転がり、眼球も片方抉られている。しかし、まだ正気は保てている。故郷に残した妹を思いながら。妹は世にも稀有な天然の青髪であった。いつ思い出しても綺麗な青だ。そう呟いた。四方を索敵し、緻密なストラテジーを朦朧とした脳内で構築していく。思考が渾然一体となれば後は実行するのみ。銃の撃針を血塗られた片方の腕で握り、ストックを胸に押し当ててスライドする。五感を集中させ、一切の邪念を消し去る。死神すらも立ち入る隙がない様に。片目から流れ出る血の涙を口内に招待する。自律神経は悲鳴を上げ、全身の肉と骨が軋み、脈拍が光速を上回った。震えが止まらない。そうだ、これは武者震いだ、きっとそうに違いない。私は恐れてなどいないのだ。この混沌とした瞬間に歓天喜地としているのだ。呼吸を整え、塹壕から身を出す。防衛が戦の基本とは良く言ったものだ。右斜め前方の敵が銃を構えた。鼓膜が物怖じするほどの銃声が鳴り響き、火薬の匂いがする流星群が目の前に流れた。右肩、左太腿に被弾。血液が間欠泉の如く溢れ、地面は群褐色に染まる。青い空とは裏腹に。幼い頃に良く空を眺めては、色の違いに好奇心を募らせたものだ。あれはレイリー散乱と呼ばれるもので、短い波長の青い光が赤や黄色等よりも多く散乱されるという理由からくるそうだ。そうか、青は散乱されやすく、血塗れで赤く染まった私は比較的散乱されにくいのだ。その様な事を考えながら、兵士は眠りに付こうとした。その時、近くで女性の風貌をした若き影が見えた。瞬きをする度に敵が一人、また一人と細切れになる。手当するから動かないで!包帯で止血をし、痛み止めのモルヒネを注射された。誰だあんたは?視覚も聴覚も最早使い物にはならない。私は人として生きた人ならざる者。そう微笑み語った。そうか、私も人を辞めたのか?そうだよ。でもね、人は所詮猿の進化系がハリボテの賛美を着こなしているに過ぎないの。そう言い放った。あんたは敵か味方かどっちだ。それはあなた次第。その瞬間女性は大きな犬歯を覗かせた。手榴弾が飛んできたとも知らずに。傭兵さん!ではなくて、兄さん!あぁ〜!せっかく会えたのに!女性と思わしき者が私を思い切り投げた、私の事を兄さんと言った女性はマジシャンの如くその場から消えた。幾ばくかの臓物を残して。兄さん?何を言ってるんだ、それに私は傭兵ではない、兵士だ。だが、今更どうでも良い。これからは目の前の花が踏まれない様に生きるのだ。そして妹が待つ故郷に帰るのだ。ふと目の前に落ちていた名前の書かれた手記があった。ヴィクトリア。奇しくも私の妹と同じ名前だ。胸騒ぎがする。それは妹か?妹の声が思い出せないが、そんな筈はない、妹は珍しい青髪な上に、ここにいる理由が皆目見当も付かない。あの女性は黒髪だった筈だ。嵐の前の静けさと言わんばかりの戦場の真ん中で、その手記を読む。私は人ではなくなった。それが唯一の願いだった。そう書かれていた。次の一文で文字通り青ざめた。青髪を黒に染め、兄さんに会いに行く。私はあの頃の弱いままではなく、変わったという事を証明する為に。バカな妹だ。青は散乱されやすいのに。そう傭兵は泣き、笑った。酒でも飲んで忘れよう。髪はなんとなく青に染めたい気分だ。そうだ、そうしよう。綺麗な青に。そう呟き、傭兵はその場を這いずり後にした。