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お金と言葉には注意しよう

 今まで大好きだった人に対して愛が薄れる時がある。物体としては同じ「人」なのに、その人の発する「言動」によって気持ちが離れる時がある。
 実は今日、大好きだった叔母家族に会う。叔母のことは小さな頃から大好きだった。もちろん、今も良い人だと思っているが…、
1年前のある時を境にもう昔のようには心を開けなくなってしまった。

あの時の叔母はどうかしてたんだろうか。

実は叔母と母は2人姉妹で、叔母は妹で母が姉。
母と叔母は年齢が離れていて、家が商売をしていた事もあり、いつも母が叔母である妹の世話をしていたそうだ。
成人後は、母が跡取りとして両親の商売を手伝う形となり、両親が年老いて店を閉めるまで、対外的な仕事と体力仕事は母がメインで働いていた。
一方、叔母は結婚を機に転勤族となり、最終的には遠く離れた県外で暮らすようになった。
そして、遠く離れていても1年前のあの時までは、定期的にお互いに連絡を取り合い、姉妹らしく良好な関係を続けていた。

あの時からとは…
祖母の亡くなった翌日と四十九日の間のことである。
悲しい事に叔母からの遺産相続の文句が爆発したのだ。
叔母からの言い分は、自分は嫁に行き遠い県外で苦労していたのに実家の跡取りはいい思いばかりしててずるいということ、今は年金暮らしで倹約しなければならない、祖父(叔母の父親)が亡くなった時に遺産の話を全くされなかったから今回も流されるんじゃないか、と怒り心頭している様子だった。そんなこんなで、祖母のお葬式の翌日に遺産相続の話を母に連絡してきたそうだ。

一方、母に実情を聞くと、 
祖母が生きていた頃、叔母には土地の相続は現実的に難しいからということで、後で揉めないようにと祖母が生きてる間にお金の支援をしていたこと、祖父が亡くなった時は祖母が生きていたから今後の事も考えて祖母にお金を残しておき、土地は税金を払っていく必要があるから母の名義に変更しておこうと二人で決めて専門家を交えて証明書を作成し納得の上で印鑑を押したということだった。
それに叔母は倹約生活とはいえ、旦那さんが退職金の一部で一千万くらいする高級車を購入したばかりだったはず。使ったから無いという事かぁ…

ん?言い分が食い違う

叔母の苦労話は置いといて、祖父の遺産相続については証明できるんじゃないか?ということで、叔母の長女の従姉妹ちゃんに話をして、四十九日が終わったあと、家に二人で来てきてもらい、祖父が亡くなった後の相続証明書を見てもらった。
そしたらなんと叔母の字でサインまでしてあったのだ…。
その時の叔母は目が点になり、覚えていないと訴えたが、娘の従姉妹ちゃんが「これは母の字です」と言ってくれ、祖父の相続問題は即解決した。
はい、叔母は数年前の出来事をきれいさっぱり忘れていたのだ。帰りの新幹線では叔母は娘の従姉妹ちゃんに怒られたらしいが、母の心はすでにプチンと糸が切れてまい、姉妹の信頼関係は、

THE END。

母は両親の商売を手伝っていたから、実家を離れる寂しさは味わったことがないし、私たちは店の裏で大きくなったようなもんだから子育てには少し有り難い環境だったと思う。だから、叔母の県外での子育て苦労については理解ができる。
しかし、子どもは店の裏で居たとはいえ、ほぼ放置で、母は商売の芯になって働いていた。私はお菓子を食べながらよしもと新喜劇をみたりしてた記憶はあるが、母と一緒にお菓子を作ったりゆっくり一緒に過ごした経験はなく、たま〜に店の暇を狙って近くの洋服屋さんにダッシュで行ってダッシュで帰るという買い物の記憶は貴重な思い出だった。お休みは日曜日だけだったから小さな身体の母には大変だっただろう。それに加えて先祖の法事に墓の掃除、田舎の山の手入れ、税金支払い、親戚付き合いに商売づきあい、祖父母が身体を壊してからは病院や施設にお世話をしてもらったけれど、仕事の合間に面会や洗濯やらと、跡取りという立場は大変なのだ。
ちなみに、私たち子どもが店の裏でご飯を食べたりしていた食費は母の給料から引かれていたよ。
母からすれば、年に一度、子どもたちを連れて帰って来る叔母が羨ましいと思う事もあっただろう。帰る度に、往復の交通費と生活費の足しにと数十万、マンション購入の際も土地を渡せないからと数百万の資金を祖母から補助されていた妹を。
今回、叔母からは「姉ちゃんは家賃を払って生活するしんどさがわかる?!」と言われたらしいが、母としては自分たちの家は、家賃ではないものの、新しく土地と建物を、全て夫婦の借金で購入したものだから、数百万を貰っててどの口が言うのか?!と呆れて言葉がでなかったらしい。家の件ではこっちの方が苦労しとるわい!と。

それに、母は祖母が亡くなって、祖母が入所していた施設への支払いが完了したら、ちゃんと残った遺産を整理して、相続権のある母と父(婿養子だから)、叔母を交えて話し合いの場を設けるつもりだったもんだから、妹への残念感が半端なかった。しかも、四十九日に印鑑を準備するようにとお葬式の日に伝えてまでいたのに、遺産相続の話をなぜスルーされると思ったのか?謎だった。

葬式直後は故人をゆっくりと偲ばさせておくんなまし。しかも、葬儀社やお寺の手配も全て母。お礼くらいは言ってくれてもよか?

極めつけは、残ったお金を「はした金」(わずかなお金)と言われた事が後に残るショックとなった。祖母のお金は、自分たちが一生懸命はたらいて貯めたお金だったし、祖母の19年間の闘病生活と10年間くらいの施設生活があったからそりゃお金がかかったのだ。葬式翌日の叔母からの連絡で、母が祖母の通帳の残金を妹に伝えたら、「私が欲だとみんなに思われるのなら、そんなはした金なんていらない!」と言われたのだ。

あ~あ~言っちまった…。
つまり、裏を返せば、大金があると期待していたのだろうか。思ったより少なくてつい本音が出たけど、みんなに悪く思われたくなかったのか?

時すでに遅し。

どうなってしまったんだ?叔母ちゃん。認知か?
祖父の遺産相続の話し合いの時は、親の遺産で揉める人たちがわからない、私は長男の嫁に嫁いだから実家の遺産はいらないと言って証明書に印鑑を押したんじゃなかったのか?
この数年の間に変わってしまったんだろうか。
その時は祖母が生きていたから、今までにお金を貰っていた手前格好つけていたのだろうか?
叔母の旦那さんのお給料が良く苦労してなかった時代だったからだろうか?

今となってはその時の言動が水の泡になってしまった。

もちろん、相続権はあるから、3人が納得のいく形で相続すればいいと思う。だけど、過去の行いを全て忘れていきなり喧嘩をふっかけられれば、受けて立つしかない母は、どうすれば良いのか考えていた。

父は相続権はあるけど、2人で分ければいいから放棄しますと退いた。

そして、母の結論は、残ったお金は全て叔母に渡して、戦わずに終わりにするだった。

母の最初の希望は、親の残したお金だから、これから数年間の法要費と、その際にかかる叔母家族の交通費や宿泊費、お供えも貰わずこちらで準備してやりくりするようにしようと考えていたようだ。それでも足りなくなることも予測して、その時は自分が負担するつもりでもいた。そうすることが、両親の想いだろうと思っていたからだ。だけど、その計画ももう白紙になった。

言葉とはこわいものだ。
他人の言葉は、価値観の違いを前提に聞くから、攻撃的でも「こんな人なんだ」と客観的に感じて特に気にもしないけど、
身内の、しかも信頼してた人から聞くまさかな言葉は、結構こたえるものである。
でも、叔母は叔母なりの気持ちと正義があったんだろうと思う。過去を忘れていなかったらこんなことにはなっていなかったはず。だから、嫌いにはならないし今でもいい人だとは思う。

それだけに、今日は気まずくてしんどいのだ〜(T_T)

とりあえず、この話の教訓は、
①お金の出入り、特に相続関係は証明を残すこと
②遺産には必ず遺言書を書いてもらっておくこと
③きょうだいで揉めると、周りの親族がしんどい
④だから、きょうだいは仲良く努めるとより良い
⑤相手の立場を想像してから言葉を選ぼう
⑥遺産相続は四十九日が落ち着いてからにしよう
⑦権利と欲望を一緒にしないように気をつけよう

でした。私も気をつけます!!!







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