見出し画像

子どもたちの素直な疑問にハッとする日常

こんにちは
agent-matsukuraです

最近、久しぶりに後輩の結婚式に招待され、
その華やかさに圧倒されました。
自分たちの時と比べて、何もかもが数段グレードアップ。
映像の演出ひとつ取っても、その完成度はまるで
テレビドラマのようで、時代の進化を
しみじみと感じました。
こんなふうに、時が流れるにつれて
何かが大きく変わっていくのは興味深いものです。

さて、最近、政治の話題が家庭で
ちらほらと出るようになりました。
小学5年生の長男や小学3年生の次男が、
テレビで見聞きする政治家の姿について、
素朴な疑問を投げかけてきたのです。

「なんで政治の人って、あんなに怒ってるの?」と
次男が不思議そうに聞いてきました。
確かに、街頭演説や国会中継では、
声を荒らげたり、感情をあらわにしている場面も多い。
それが子どもには「怒っている」ように
映るのも無理はありません。
「みんなで仲良く話し合えば、
もっと簡単に決められるんじゃないの?」とまで言われて、
思わず笑ってしまいました。

でも、彼の言葉にはハッとさせられる部分がありました。
子どもの目には、なぜ大人が話し合い一つでさえ、
穏やかに進められないのかが不思議に映る。
そう考えると、彼らの純粋な目線こそ、
実は本質を捉えているのかもしれないと気づかされます。

もちろん、政治というのは、
学校のクラスや家庭内の決め事とは違います。
関わる人々の数が圧倒的に多く、
それぞれに異なる利害や思惑が複雑に絡み合っている。
だからこそ、合意形成は容易ではなく、
時には激しい議論や対立も避けられない。
「関係する人たちがみんな優しくなったら、争いもなくなるの?」と
さらに聞いてくる子どもに、少し困りながらも、
「まあ、それができればいいんだけど、現実はそう簡単じゃないんだよ」と
返答せざるを得ませんでした。


SNSの話題にも自然と移っていきます。
今は誰もが意見を自由に発信できる時代。
政治家も著名人も、そして匿名の一般人も、
SNSを通じてそれぞれの意見を広めることができる。
言論の自由が保障され、誰もが自分の意見を
言えるのは素晴らしいことです。
しかし、それがかえって
無数の「声」と「意見」が飛び交い、
互いにぶつかり合う原因にもなっている現実を、
子どもたちにどう説明すればよいのか、
改めて考え込んでしまいます。

大人はよく
「相手の意見を尊重し、冷静に話し合うことが大事だ」と言います。
それを子どもたちに教え込むことも多い。
しかし、現実には、私たち大人がその理想を
実践できているとは限りません。
むしろ、感情的な反発や対立が絶えない。
まるでその言葉が、きれいごとに終わってしまっている
ような気さえしてくるのです。

子どもの意見は、確かに純粋で、聞くべき価値があります。
彼らの素直な視点にこそ、大人が忘れてしまっている
真実が隠れているのかもしれません。
しかし、実際にはそれをそのまま受け入れる
わけにもいかないのが、大人の世界の複雑さ。
子どもが抱く素朴な疑問に答えを見出せないまま、
結局、「理想と現実のギャップ」を感じてしまうのです。

このギャップこそ、大人が抱える矛盾であり、
子どもたちに真実を伝える難しさでもある。
そんなことを考えながら、
子どもたちの意見を尊重しつつも、
彼らにはまだ理解しがたい
「大人の事情」というものがあるのだと、
改めて痛感するのでした。

この不思議さと、どうしようもない現実の間で、
私たちは日々悩みながらも、
少しずつ答えを探していくしかないのでしょう。

この記事を読んでいただき、ありがとうございました!
もし少しでも共感していただけたなら、
「スキ」やフォローをお待ちしています。
皆さんの投稿もぜひ読んでみたいので、
フォローさせていただくこともあるかもしれません。
コメントも気軽にお寄せください。
今後も、さまざまなテーマで記事を投稿していきたいと思いますので、
よろしくお願いします!

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!