東海学生AWARDに参加して
オープニング
〈ああいう仲間や環境に入ってみたい〉
これは、改めて参加したイベントについて振り返ったときに出てきた感想。
ということで今回は、少し前に名古屋で行われた「東海学生AWARD」のオーディエンスとして参加して、いろいろ気づかされたから、それを言語化していく。
プレゼンでの気づき
今回の記事の下書きがプレゼンを聞きながらメモをとった形になるので、結構雑な雰囲気を感じられると思うが、そこはご愛嬌でお願いします笑
①:変人が社会をちょっとだけよくするという考え方をテーマにしたプレゼンがあった。内容を聞いていると、TEDのデレク・シヴァーズ「社会運動はどうやって起こすか」に出てきた事例に近いようなことを創っているように感じられた。
そして、このテーマの登壇者が考える”変人”=『シン・ニホン』の〈異人〉と解釈できた。
②:保育に関するテーマのプレゼンを聞いた。【保育の課題は「立派な社会課題」】という認識にはかなり刺激を受けた。母親が保育士だったこともあって、すごく聞いたことのある内容だった。
このプレゼンの根本部分にある「ほいくるっと」というサービスは、保育業界で頑張っている友人に強く勧めてあげようと思った。
③:岐阜県の高山に面白いカフェを作るというプレゼンを聞いた。高校生を巻き込んだローカルなカフェを創るイベントにはすごく心惹かれた。高山が観光地として海外の人を中心に人気であることと、高校生の英会話を実践できる場所を提供することとの融合という、非常に興味深い内容だったから、めちゃ応援したい。
「個人の夢を応援できる場所」の必要性を考えていた時もあったから、特に刺さった。このプレゼンを聞いて、他者の夢を応援できるマインドやスタンスを持っている人が増えれば増えるほど、社会に主体的な行動を取りやすくなるのでは?という仮説も生まれた。
④:和菓子の一つである”あんこ”をテーマにしためちゃ面白いプレゼンを聞いた。
【あんこが心の余白を作ってくれる】という視点は面白いし、【あんこでメンタルの切り替えをする】という認識や感覚は、『ハイキュー!』に出てくる山口忠のレジ袋の件を思い出させてくれた。そして、お母さんの言葉をきっかけに行動に移しているのは一種の親孝行で、とても格好いい行動のきっかけだと感じた。そのお母さんと同じような状況を持っている地域の人を巻き込むのは、ある意味郊外、田園地域だからできる取り組みなのかもしれない。そうなると神戸でどういった取り組みをするのか、どういう方法で集客するのかが気になる。
また、東海地方でのあんこ関連のお話なので、赤福とコラボすれば面白そうだな、と感じた。
⑤:高校生2人が登壇しているプレゼンを聞いた。このイベントが、高校生でも参加できるという敷居の低さ、チャレンジする人たちの受け皿の広さにまず驚かされた。あと、参加している高校生たちの将来に対する希望の大きさや自己への解像度の高さにも驚かされた。
⑥:「けれけれ」というフィジー語が由来の面白いネーミングのコミュニティ形成に取り組んでいる方のプレゼンを聞いた。その中で、「けれけれ」のコミュニティは、サードプレイスに近いし、「けれけれ」するために対話が重要であるのは、哲学的アプローチに近いということを強く感じた。
どのプレゼンの中で登場したのか忘れてしまって申し訳ないが、非常に印象的な要素をここに記しておく。それは、「生きがい」を〈「つながる」と「やること」を通して生まれる感覚〉と、定義していたことだ。我々は、共同体や社会といった集団の中で生まれるから、他者という存在に意義がある、生まれるということを、再確認させられた。そして、アレントの『責任と判断』における【「孤立」「孤独」「孤絶」】の概念について改めて考えさせられた。
プレゼンを一通り聞かせてもらって、自身の体験や知見を共有する場としての「東海学生AWARD」は、もっと色んな人に認知されて広まってほしいし、似たような取り組みが東海地方以外でもあってほしいという気持ちを抱いた。そして、些細なきっかけが、他の人やチャレンジしていることと繋がるきっかけにもなるので、参加した人たちが参加していない人たちをもっと巻き込めると、認知やイベントのスケールを広げられると感じた。
また、このイベントは「Why」を大切にしている取り組み・環境だから、深掘りによって新しいエネルギーが生まれている、エネルギーを使える余白が生まれている、とも解釈できる。そして「直観」にどのような理由づけをするのか、ということが大事な点であることも教えてもらった。さらに、そういった直観は、たまたま生まれたものではなく、セレンディピティや色々な体験・知見によって「必然的」に生まれたものだと考えさせられた。
さらには、このイベントに登壇・携わった方々は、「Why」に徹底的に向き合ったから、「自分が大切にしている、したい意志」を積極的にかつ主体的に共有・主張することができていると色々な言動から強く感じられた。
総評に出てきた【「生命の使い方」としての取り組みや挑戦】という言葉には強い衝撃を受けた。自分はこの言葉を、【生命を「善く」使う形として挑戦】と解釈してみた。そして閉会式では、このイベントは、対話の場を創る取り組み、意識的に対話の姿勢を持てる環境、といった「対話」に注力してできたイベントである、ということが語られていて、「対話が必要」=【社会において、哲学的なアプローチに意義がある】ということを示しているのではないか?という仮説が生まれた。
交流会での気づき
交流会に参加するまでにちょっとドタバタしたけど、なんやかんやで参加することができて、そこで本当にたくさんの熱意を全身に浴びることができた。そのうえ、実際に登壇されている方々やその登壇者を支えてくれていたメンバーの人たちとも意見交流や情報共有ができたのはとてもよかった。
交流会に参加できるか微妙な雰囲気だったけど、思い切って参加してみて本当によかった。『THIRD DOOR』に出てくる【THIRD DOORを開ける】感覚は、おそらくこんな感じなんだろうな、と今思っている。
自分は【哲学を研究している人】というアイデンティティを確立したほうが、より多くの人と繋がれるのでは?という仮説が生まれた。その背景には、こういうイベントで「単なる学生」で終わってしまうのはモヤモヤするというか、自分の弱点にもなっているように思われてきたことがある。ただなかには、経緯やきっかけが特殊で面白いという風に言ってくれる人はいて、それがあるだけマシかもしれない。色んな人とコミュニケーションをする中で【哲学は色んなジャンルや分野において、課題や長所を見つける・その領域をより深く掘っていく学問】であるという認識がふと出てきた。哲学の魅力として、【哲学は社会の役に立たない】という考えが出てきた中で、このような認識があっても面白いと思って共有させてもらった。役に立つ学問=実学は、課題を解決するための手段を見つけていく学問であり、哲学のような学問は虚学であることから、【役に立たない】という考えに至った。ただ、この場合における【役に立たない】ということは、「価値がない」「意味がない」ということに直結しないことは、ここで断っておく。
エンディング
気づいたら、もうこのイベントから1ヶ月が経っている。あのイベントから特別何かを始めているわけではないけど、記事の作成ペースを戻したり、金曜日の夜中にゴミ拾いをしたり、AlphaDrive 関西のイベントに参加してみたり、と小さな一歩を踏んでいる、少しずつ行動のペースを上げている段階に到達している。
もう12月も終盤にさしかかる頃合いになってきた。
最近は、自分の興味のある学問分野に今まで以上に熱中している。めちゃめちゃ面白い書籍も手に入れて読み進めているし、今まで進めてきたまとめや考察のギアが一段と増した。
2023年の残りは、今年中にできることで後悔のないように駆け抜けていきたい!
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