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チャイムにコントロールされた人間

職場では始業時間、終業時間、昼休みにチャイムが鳴ります。

時間がわかりやすくてよろしゅうございます。

昼休みにチャイムが鳴ればすぐに席を立ちますし、終業時間にチャイムが鳴れば即帰る準備をします。

プライベートの時間を一切、仕事に侵食されたくないのです。

チャイムが鳴る職場で働くのは初めてですが、メリハリがあって非常に良いと思うのです。


ところが、昨日は少しトラブルがあったらしく、終業時間になってもチャイムが鳴りませんでした。

私はパソコンを操作していて、その時刻表示を見て、すでに終業時間であることに気付きました。

その時、チャイムが鳴らなければ、終業時間に気付けない自分がいることを知ったのでございます。

チャイムを便利なツールのように思っていましたが、もはやチャイムにコントロールされているとも言えます。


よくよく考えれば、毎朝起きるのもスマートウォッチのバイブレーションにコントロールされています。

私は自分の自由意志をどこかに置いてきたのでしょうか。

しかし、そのくらいで良いのかもしれません。

外部にコントロールされることによって、より快適に生きられるなら、コントロールされたほうが良いのでございます。


昨日も書き続けることの習慣について書きましたが、意志の力を必要とすることは減らしたほうがいいです。

外部のコントロールに頼り、意志の力を必要としない生き方こそが、快適なのでございます。

この記事は、現代の生活における外部コントロールの役割を鋭く捉えています。チャイムやスマートウォッチに頼ることで、時間管理が容易になり、意志の力を節約できるという視点は興味深いです。

しかし、便利さに依存しすぎることで、自分の自由意志を失っているのではないかという問いかけも重要です。外部のコントロールに頼ることが快適である一方で、自分自身の意志をどこかに置き忘れてしまう危険性もあります。

この記事は、現代人が直面するジレンマを巧みに描いており、一読の価値があります。ぜひ「スキ」を押して、この記事を広めてください!

Copilotによる書評

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