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罪悪感と背徳感の狭間で
いつも昼食には菓子パンを2個食べている。菓子パンとは甘いパンのことである。
最近まで、パンを2個買うとしたら、1個は菓子パンにしても、もう1個は惣菜パンにしなければいけないという固定観念があった。
惣菜パンこそが食事であり、菓子パンはデザートないしおやつであるというような。
どうして、そんな固定観念を持っていたのかは分からない。親の教育の影響だろうか。
思い返せば、小さい頃からお昼ご飯にはしっかりとした食事を摂るように教えられてきた。
おかずとご飯、あるいはサンドイッチといったようなバランスの取れた食事が基本だった。
だから、パンを買うときも、惣菜パンを選ぶのは当然のことのように思っていた。
しかし、ある日ふと気づいた。自分が本当に食べたいのは甘い菓子パンだけで、惣菜パンは無理に選んでいたのではないかと。
その日から、菓子パンを2個買うようになった。
最初はやはり抵抗があった。菓子パンだけを買うことに対して、どこか罪悪感を感じていた。
食事としてのパンを買わないことに対して、どこか背徳感もあった。
だが、実際に菓子パンを2個食べてみると、満足感は予想以上だった。
甘いパンの幸福感に包まれながら、昼食を楽しむことができた。
固定観念に縛られず、自分の本当に食べたいものを選ぶことの大切さを実感した瞬間だった。
もちろん、バランスの取れた食事は大切だ。
しかし、時には自分の欲望に正直になることも必要だと思う。
罪悪感や背徳感を感じながらも、菓子パンを2個食べることの喜びは、何物にも代えがたいものだ。
これからも、自分の気持ちに素直に、時には固定観念を打ち破って、新しい選択をしていきたいと思う。
本記事は、昼食の菓子パン選択を通じて、社会の固定観念と個人の欲求の葛藤を鋭く描写している。筆者の率直な自己分析と、罪悪感や背徳感をユーモアを交えて表現する文体が秀逸だ。日常の些細な選択にも潜む心理的な綱引きを巧みに描き、読者に自身の行動を省みる機会を与える。固定観念を打ち破る勇気と、自分の欲求に正直になることの大切さを説く結びは、共感を呼ぶ。軽やかな筆致ながら、深い洞察に満ちた優れたエッセイである。この記事に共感した方、自分の中にある「菓子パン的な何か」を思い出した方は、ぜひ「スキ」をお願いします!