HSPはデタラメ? 自分をラベリングする危うさ
HSP(Highly Sensitive Person、通称「繊細さん」)がブームだ。
noteでも、HSPは人気ジャンルの一つとなっているようだ。
しかし、自分を「HSP」とラベリングすることには危うさも感じる。
そもそも、HSPには医学的根拠がない。
HSPかどうかを決めるのは自己診断だけで、第三者の判断は存在しない。
精神疾患や発達障害であれば、医師の診断によってそれが決められる。
だが、HSPは自己診断しかないため、誰でもHSPを名乗ることができる。
少し前にも、芸能人が「自分がHSPだと分かった」と告白したニュースがあったが、それも自分でそう判断したに過ぎない。
自分をHSPだとラベリングし、その型にはめるのは、自分の可能性を狭めることにもつながる。
たとえば、「HSPだから、こういう仕事は向いていない」と挑戦する前から諦めてしまったり、人間関係がうまくいかないことをHSPだけのせいにしたりする。
また、ネット上で同じHSPの人と交流するのも心地よいかもしれないが、ただの慣れ合いであり、慰め以上の何物にもならない。
ましてや、「HSP向け」のカウンセリング、コーチングなど、HSP商法のカモになってしまったら目も当てられない。
自分を型にはめて、逆に生きづらくするという点では、最近流行りの16 Personalities診断(MBTIのマガイモノ)、あるいは血液型占いとも類似している。
たしかに繊細な人はいるだろう。
しかし、「HSPだから○○」という考え方は、「A型だから几帳面」というのと大きな違いはない。
はっきり言って、HSPだから生きづらいのではない。
聖徳太子が「世間虚仮」と言ったように、この世の中がくだらなく、嘘偽りだらけだから、生きづらいのである。
自己理解を深めることと、特定の型に自分をはめ込むこととは違う。
HSPだろうとそうでなかろうと、自分は自分でしかない。
自分のことをラベリングして、それにがんじがらめにないように気をつけたい。
↓そんな一曲