#17 時間銀行
「新しい時代のお金の教科書」が1話無料で読めるマガジン。前回は「ブロックチェーンを用いて、モノ同士をやり取りする時代がやってくる。」という話でした。
今回は、記帳主義経済をより具体的に見ていきます。編集秘話では、書籍化にあたり削除された原稿を一部ご紹介します。
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僕は、この年で子供もいないし、そうなるとFacebook をみるのが正直辛くなる。嫉妬もする。正直、ここ数ヶ月はブルーな日が続いた。
独りは自由だ。いくつかの事業をやり、本を書き、東大で学び、高校や大学で教え、最高のシーズンのフィンランドで最高のデザインスクールにいる。でもそれは責任がない独り者だからできること。社会的責任がないからだ。モラトリアムにすぎない。誰も何も言わないけどそこにはどこかいつもコンプレックスが残る。
そんな中、ここアールト大学デザインスクールでは、最終のプレゼンテーションに向けて、チームの議論はヒートアップしていた。テーマは2040年のユートピアの社会システムデザインを作ること。
2040年のフィクションストーリーを作り、同時に分析やエビデンスも添える。右脳と左脳と同時に使い、国籍多様で、プライドも実績もあるメンバーとコワークしなければならない。正直、しんどい。
僕は、いつも争いを避けてきたけれど、なぜか今日はガチンコのディベートをした。それはどうしても譲れないポイントがあったからだ。
僕が考えた物語はこうだ。少し長いがかいつまむ。
2035年。お金も教育もない若者達は、数も少なく政治でも発言力がない。八方ふさがりだ。一方、老人はお金もあり、たくさんの若者にケアされているが、その心は孤独である。
そんな中、ある勇気ある若者は、小さなビルの看板をみつける。そこには時間銀行と書いてある。そこで、若者は、未来の時間を五年後から五年間差し出す代わりに一億円を得る契約を交わす。同じ頃、孤独な老人もこの小さなビルに入ってゆく。看板には別の名前があり、幸福銀行と書いてある。老人はどうすれば幸せになれるかと相談する。幸福銀行は老人にお金をすべて預けるように諭す。ただそれだけだが、老人はやむなく承知する。
さて、若者はお金を元手に大学に行き、技術を得て新しいヘルスケアシステムを発明し、成功する。まとまったお金が彼にイノベーションをもたらしたのだ。
一方、幸福銀行にすべてのお金を預けた老人は、やむなくケアするスタッフを解雇して、自分で身の回りのことを始める。老人は元気になり、やがて村に出て行き友人を作り、交流をもつことになる。老人はいつしか幸福を手にしたことを知る。若者の発明した製品で老人は健康も維持することができるようになった。
5年後、若者は時間銀行に行き、約束どおり自分のこれから5年間を差し出すと言う。すると時間銀行は、五年間分の時間を君の今持っているお金で買い取ればよいと伝える。時間でお金を買えるとともに、この銀行はお金を時間に換えることもできたのだ。そして幸福なことに、その頃には、若者の発明によって人々は長寿となり、時間の価格は昔よりも安く買えるようになっていたのだった。そこで、若者は持っていたお金で自分が差し出すべき時間を買い取り、残ったお金を時間銀行に預けた。そしてしばらくするとまた新しい若者が時間銀行にやってくる。
こんな感じで物語は終わる。僕はこのフィクションで時間とお金を交換するシステムがうまく作用するという世界観を示した。
しかし、他のメンバーは、このフィクションに賛同しなかった。代わりにもっとリアリティのある案を出してきた。でも僕には、それらはまるでダイナミックでなくつまらなく思えたし、すでに今の社会で出ている政策としてどこかで聞いた話だと思った。でも、まぁ、それでもいいかと思った。所詮、机上のワークショップだ。
でも、彼らのストーリーの中で譲れない点がひとつだけあった。それは既存のシステムから離脱し、若者達がユートピアを別に作ろうとすることだった。僕はそれだけはダメだ、といった。それはヒッピーだ。
まったく新しい第三世界を夢想することだけはだめだ!
絶対に、システムや現実と真正面から向き合い、そのリアリティの葛藤の中でリスクをとり(例えばぼくのストーリーでは一人の若者が未来の時間を差し出さなければならない設定だ)、なんとか試行錯誤しながら新しい世界を創るべきだ。
僕は強く言い切った。まくしたてた。彼らの一人とはもう長く話してきたし、サウナで裸の付き合いもした。僕はだから軋轢を選んだ。僕には珍しいことだ。
それから自分の話をした。僕はM&Aの業界を離れて、最初の会社を作った。そこでまったく新しい角度から会社を見ようと唱えた。賛同してくれる人も多かった。でも失敗した。それはユートピアを夢見たからだ。それは逃げなのだ。僕は真正面から資本主義システムにガチンコの勝負を挑むべきだったのだ。それを迂回して新しいものを作ろうとした。現実をなめていた。結局、僕は会社を売ってケンブリッジに逃げてやがて帰ってきた。そして二年かけて売却した事業を取り戻した。また振り出しにもどって同じように戦いを挑むためにそうした。まわりはうまく売り抜けたのになぜ? と言った。なぜ? あたりまえだ。僕にはカネなんかより大事な魂と使命があるからだ。
僕はこれからも資本主義システムに挑み続けるし、英語で世界に資本主義後の世界について論文や本を書かなければならない。でもそこに正面から挑むんだ、と語った。迂回してなんかいられない。空想もヒッピーもだめだと息巻いた。言っていて自分でも驚いた。他人とは自分の写し鏡のことだ。僕は自分に言い聞かせていた。
言い終わった後で、初めてすっきりした。すべてがシンプルになった。もしたった一人になっても「お金のない経済世界。そして人々の創造の可能性を最大化する社会システムをつくる」それが自分のミッションだと思い出した。それで晴れ晴れとした。
帰りのバスで、チームメイトが、今日はひどい日だったね、と声をかけてきてくれた。僕は、いや、今日は最高の日だったよ、と答えた。ヘルシンキは今日は雨が降って気温も零度になりそうだけど、僕は傘もさすことなく意気揚々と背筋を伸ばして帰り道を走った。
(本文:山口揚平「新しい時代のお金の教科書」)
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<編集後記>
今回のメッセージは「システムや現実と真正面から向き合い、そのリアリティの葛藤の中でリスクをとり、なんとか試行錯誤しながら新しい世界を創る。」でした。
今回もここまでお読みいただきありがとうございます!
編集秘話では「山口揚平が事業を起こすまで」についてお話ししますね。
時間銀行の内容は、書籍でも話題になりました。
「お金のない経済世界。そして人々の創造の可能性を最大化する社会システムをつくる」ことをミッションに、事業や書籍を出版する山口ですが、それでは事業を立てるまでにどんなことを考えて、立てたのでしょうか?
山口の手記を公開します^
最近になってわかった。
結局、私は、起業したのだと思う。
会社(M&Aファーム)を辞めた直接のきっかけは、起業のためではない。
辞めてどうやって食べていこうか?と考えたときに出てきた答えは、投資・講師・コンサルの3つ。とても小さい。
ここは日本だ。貯金も含め、月20万ほど収入があればなんとかなるだろう、と考えていた。
しばらく休んで、会社を創った。
ブルー・マーリン・パートナーズだ。
ブルーマーリンは、「カジキマグロ」のこと。
釣魚として世界最大級の魚だ。あの松方弘樹が釣っている魚といえば知っている人も多い。
私は少年時代に読んだ「釣りキチ三平(42)」に出てくる1500ポンドの巨大ブルーマーリン、“デビルソード”に三平が挑むシーンを忘れられず、会社名をBMPにした。
(名刺作成をお願いしたオフィスサポートの店長が、偶然、大学時代の釣サークル仲間で、社名をみて即座に「三平」を指摘したのには正直驚いた。)
その後、シェアーズを起こしたのは、株式投資についてもっと多くの人に知ってもらいたいと、純粋に思ったからだ。
投機と投資は違う。
投機は、ポジションゲームであるのに対し、投資は社会価値創造のための一つの機能(ファンクション)であることを知ってもらいたかった。
そして、私は、すべての日本国民が投資を通して、多くの会社の価値創造に参画する民主主義主導型の資本主義社会を理想として活動をしてきた。
そのような理由で、シェアーズは、投資顧問もやらないし、証券会社でもない。
一体、どうやって収益を上げようか?
投資教育なんてナイーブなモデルで食えるのか?
不安を抱えながらも前に進むしかなかった。
シェアーズ設立に際し、常に聞かれたことが「なぜファンドをやらないのか?」という質問だ。
これについてはかなり考えた。何度も投資顧問免許を取ることを考えた。
でも土壇場でやらなかった。推奨銘柄のレポートも何本も書いたが、結局、出さなかった。
なぜだろう?
ただ解は案外簡単だった。
現在の株式市場で相撲をとるのでなく、株式市場という土俵を創りかえるほうが面白い、と純粋に感じたからだ。
ファンド運営(特に2次市場での株の売買)は、(いろいろな解釈はあるが)どこまでいってもゼロサムのポジションゲームである。株価という絶対目標に対し、市場参加者が知恵を絞って勝負をするというのがその本質だと思う。ゲームの目標は常に金だ。どの“会社”に投資するか、ではない。そこでは、会社は、金のための“手段”にすぎない。
シェアーズは、株価(金)を追うことや、それを薦めるのではなく、価値を創造するエンジンとなりたい。
株を売買することが投資ではない。
価値を産み出す企業を応援することが本当の投資だ、ということを広めたいと思った。
そんな思いで、ここまでやってきた。
それは、いつしか「起業」という形になった。
起業は、独立とは違う。
事業とも違う。
経営とも違う。
独立とは、自らの足で立って生きることだ。
事業とは、金を継続的に生むことだ。
経営とは、矛盾を統合しながら高みを目指すことだ。
起業とは、新しい業を興すことだ。
起業は、事業・経営・独立のすべてを含む。
起業家は、相反する概念をバランスを取って企業を運営しなければならない。
- ロマン(目的)とそろばん(経済性)のバランス
- 価値創造(開発)と価値コミュニケーション(営業)のバランス
- 自己と他者のバランス
- 欲(生存欲求)と無欲(自己実現欲求)のバランス
微妙なラインの上を、しなやかに歩むことが必要だ。
踏み外さないよう、慎重に、時には大胆に、歩むのだ。
最近は、起業論を多く読む。
失敗する起業家、成功する起業家の違い。
IPOまでのロードマップの進み方
先輩起業家から教えを請う事
それからいくつかのスキル(創造性、マネジメントスキル、資本政策、システム構築、リーダーシップ、不安のマネジメント・・・)
どれも持っていない。でも、だからこそ面白い。
この先、シェアーズがどのようになるかはわからない。
ただ、ここで高らかに宣言すべきことは、いついかなるときも、最初に決めたその志だけは放棄されないということだ。
もっとも大事なことは、キャッシュフローではない。それは魂なのである。
失敗はない。ただ経験があるだけ。
(2007/2/20)
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