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家族のカチとそのカタチ

ピア経済(誰かといることに対して一番お金をかける経済社会)において、最大の贅沢品は車でも家でもなく当然「家庭」を持つことである。 2030年には、家族の平均構成人数は2.1人!となり、空き家率は25%となる。


つまり家は安くなり、家庭は高くなる。 中国のことわざに、お金で家は買えるが家庭は買えない、とあるが皮肉にも本当にそうなる(もちろんことわざの意味するところはお金で愛は買えないということだ) これからは「シングル」「カップル」「ファミリー」「コミュニティ」の4つのどれかに生活様式がカテゴライズされる。今でもそうだって?もちろんそうだ。しかし意味が全然違う。シングル(1人)とはすなわち孤独層であり、カップル(2人)はファミリー(3〜5人)より劣ると見られるだろう。シングルがカップルやファミリーへと出世することは不可能であり、残る道はコミュニティ(5〜15人)暮らしの一員となることだ。

この4つが、25%づつを占めるのがアフターコロナの世界である。 いわゆる「寮」から「シェアハウス」へと進化した共同生活は、これからはコンセプト・ハウジングとして、より分化してゆく。つまり、シングルマザーハウス、アーティスト・イン・レジデンス、ペントハウスにパトロンが住み防音設備とコンサート場が設けられた音楽家ハウス、敷金と礼金がなくカード決済で家賃が引き落とされるインターナショナルハウス、シェアオフィスに住宅機能がついて仕事に特化したオフィス・ハウジング、遠隔業務に適した書斎付き2LDK、高学歴女子高出身者が最終的に同居して生活する同級生コーポラティブハウジングでは、30代半ばくらいから独身を貫くことを前提に仲の良い同級生達が(時には学校を巻き込んで!)積み立て貯金を始めている。このようにコミュニティ生活は多様化する。 生活の幸福度で言えば、シングルは長期低迷(私のことだ!)、カップル暮らしは長期的には停滞、ファミリーは長期的に関係が成熟し幸福度向上、コミュニティはボラティリティ型(振れ幅が大きい)となる。


個人的にも社会的にもこのような生活様式に対する備えが必要だ。 コミュニティに関して言えば、これまで散々、信用社会や関係(ピア)経済、時間通貨や記帳主義について書いてきたのだけど、そろそろ皆、コミュニティの選択とそのコミットが迫られる。その選択肢におそらく「国」はないだろう。1800兆円(コロナでさらに100兆円追加?)の負債と冗長な行政システム、リーダーシップなき立法府、癒着と忖度で信用を失いつつある司法にコミットしにくい。結局、日本は都市国家型で知事か豪族を中心として各地域が5〜7つに分かれて自立・独立してゆくだろう。その連携として日本連邦(USJ: United states of Japan)として成熟する。


地域的にそのどれかには属さざるを得ないし結果的に人間の幸福度は天候でも宗教でも貧富でもなく、コミュニティへのコミット度合いとコミュニティの個人の生き方への寛容度の掛け算でしかないのだからコミュニティについてもそろそろ考えるべきだ。 コロナで自粛する中で多くの人が生き方を見直しているだろう。今の仕事でいいのか?本当に選びたかった人生は?将来、日本に住み続けたいか?と。ベネッセの調査によれば80%の親は子供をグローバルな人間に育てたいと考えている。沈没する船から逃げたいという本音だろう。日本はどうなるかわからない。でも日本人は残るし、コミュニティも残る。 今考えるべきは、日本社会と政治批判ではない。


それらは考えるに値しない、薄く滅び去る中間概念に過ぎない。コントロールできないことを考えるべき時間はない。考えるべきは、自分自身の本性と本質に基づいた生き方の勇気ある選択であり、自分がコミットし守り抜く覚悟を持てるコミュニティはなにかということである。その答えの中心に家族がある人はすでに新時代の勝ち組である。

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