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#16 物々交換の経済はブロックチェーンによってもたらされる

「新しい時代のお金の教科書」が1話無料で読めるマガジン。前回は「時間はこれから、ヨコ社会の通貨になる」という話でした。

今回は、記帳主義経済をより具体的に見ていきます。編集秘話では、書籍化にあたり削除された原稿を一部ご紹介します。

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 時間主義経済と並行して記帳主義経済も浸透してゆきます。生活必需品の費用の逓減が記帳主義経済へと移行させる経済の変化でも述べましたが、衣(医)食住を中心とした生活必需品の費用は下がり続けます。費用逓減が続いた先にあるのが、モノ同士をお金を介さずに交換してゆく記帳主義経済です。

 モノが直接やりとりされ、ブロックチェーンなどの技術によってやりとりされた物品がそのまま個人の台帳に記帳されます。そこでお金は使われません。

 ヤップ島のフェイの話を思い出してみてください。フェイではお互いにあげたもの、もらったものを記帳していったのです。それが全世界的に広がっているのが記帳主義経済です。ミクロネシアの小さな島から始まった原初的なお金のしくみが世界全体を覆い尽くした姿が記帳主義経済の世界です。

全員がバランスシートに記載する分散型台帳型になる

記帳主義経済では一人一人の取引がすべてデジタル台帳に記帳され、それがすべての人に共有されるため、改ざんが不可能になります。騙したり隠したりができなくなり、一人一人の与えたもの貰ったものが明確になるため、価値を生み出し信用を構築していくことが必要になってきます。

 近年、アダム・グラントが書いた『GIVE&TAKE 「与える人」こそ成功する時代』(三笠書店)はとても面白い現象を示唆しています。グラントは、まず世の中には、「ギバー」「テイカー」「マッチャー」の三種類がいると述べています。

 ギバーは、Give & Take の関係を、相手の利益になるようにもっていき、受けとる以上に与えようとするタイプです。他人中心にものごとを考えて、相手がなにを求めているかに注意を払います。相手と価値を交換することではなく、関係性全体の価値を増やすことを目指します。

 テイカーは、Give & Take の関係を、自分の有利になるようにもっていき、より多くを受けとろうとするタイプです。自分中心にものごとを考えていて、相手の必要性よりも、自分の利益を優先します。テイカーにとって、世の中は、食うか食われるかの競争社会であり、用心深く、自己防衛的です。

 マッチャーは、与えることと、受けとることのバランスを取ろうとするタイプです。公平という観点にもとづいて行動していて、人を助ける時は、見返りを求めることで、自己防衛し、相手の出方に合わせて、助けたり、しっぺ返ししたりします。著者の調査によると、職場では、ほとんどの人がマッチャーのタイプになります。

 どのタイプが成功するかということですが、最初の段階ではテイカーが富を得ます、しかし最終的にはギバーが成功するということです。マッチャーの人生はそこそこで終わります。面白いのはテイカーは富を失うか、成功するか両極端にわかれるという点です。しかしこれは過去の話です。これから到来する本格的な記帳主義時代には誰がギバーで誰がテイカーなのか一目瞭然となり、そうなれば他者に価値を提供し続けるギバーが成功に一番近くなるのは当然の帰結でしょう。

バランスシートにモノが記載され価値が均一ではなくなる


 記帳主義時代のもう一つの大きな特徴はお金を使わず記帳し続けるということです。面白いのはその個人台帳(バランスシート=総勘定元帳)を誰が見るかによって価値の見え方が変化するという点です。バランスシートに金額が記載されている資本主義経済では誰の目から見ても富の多寡は明らかです。ですが、物品が記載されているバランスシートはそれを見た人の価値観や趣味・嗜好、今欲しいものによって相手の価値が変化するのです。価値が伸縮する点は時間通貨に似ています。

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 例えばAさんが「パイナップルを貰い、ヤシの実を与えた」ということが、バランスシートに書いてあるとします。パイナップルが欲しいBさんがこのバランスシートを見たとすると、パイナップルを持つAさんのバランスシートは価値が高いです。しかし、ここをヤシの実が欲しいCさんが見ると何の価値もありません。このように、人への評価が今よりもずっと多様化してゆくのです

〈第四章のまとめ〉
 この章では、資本主義経済からどのように経済が進化していくのかを見ていきました。欲求と仕組みの二軸で見ると、社会的な欲求を時間というお金で満たすのが時間主義経済、衣(医)食住など生存欲求を信用という直接的な方法で満たすのが記帳主義経済です。

 20世紀まではある意味不思議な世界でした。それは人々が欲しがるものがお金であり、それをやり取りするツールがお金だったということです。就職ランキングの上位が金融であり、お金が世界の王様でした。お金は古代は価値交換・貯蔵の手段であったにもかかわらず、それ自身が目的と化していたのです。しかし、二一世紀の半ばから終わりには今度は求めるものが信用でありそれを求める手段も信用という統一が起こるのです。そこにきてお金もなくなります。

 人々が求めているものが承認やつながりへとシフトしてゆき、そしてしかもそれは中間物であるお金などが少ないほど〝純度〞が高くなります。つまりお金という中間物と社会的な欲求はどちらかを増やすとどちらかが減ってしまうトレードオフの関係にあります。その中で人々は、より社会的欲求への純度を高めてゆくでしょう。その結果としてお金を使わなくなるのです。このカラクリによってお金はなくなってゆくのです。

 今の子どもたちはその未来を見据えながら生きてゆかなければなりません。

 しかし、今の10代から30代の人は、完全な信用主義時代の前にやってくる時間主義経済と記帳主義経済の生き方をまずは学ばなければなりません。

 私達は時空間のある三次元に住んでいますが、空間についてはインターネットが世界を一つにつなげ、またLCC(格安航空会社)の台頭によって物理的にも移動のコストが減りました。民間の宇宙開発も進んでいます。つまり空間については制覇しつつあります。

 しかし時空間の次元のもう一つの要素である時間についてはまだあまり意識が追いついていない状態です。ですからまずこれからはより自らの時間単価価値を意識して生きてゆく必要があるでしょう。また記帳主義経済の中では、みずからのすべてが記録されてゆくことにも気を配る必要があります。人は人を「外見」「主張」「行動」の三点で評価します。この外見・主張・行動に一貫性を持たせることが普通の人にも求められるでしょう。

(本文: 山口揚平「新しい時代のお金の教科書」)

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<編集後記>


今回のメッセージは「ブロックチェーンを用いて、モノ同士をやり取りする時代がやってくる。」でした。

 今回もここまでお読みいただきありがとうございます!

 編集秘話では「記帳主義経済について本で語りきれなかったこと」についてお話ししますね。

この書籍は、山口揚平が2015年に執筆した修士学位論文「時間通貨とネット―ワーク贈与経済の可能性に関する研究」に基づいて執筆されており、山口が膨大な時間をかけて執筆した修士論文やその他の原稿を1/10に削って作られています。

その量たるや、読み切れないほどだったのですが(!)そのうち今回は、記帳主義経済に関する”ボツ原稿”を公開します。

※今回はかなり難解な内容なので、より深く考えてみたいというかたにオススメです!

山口揚平がM&A などの金融経済の中心で格闘した体験から抽出された強い使命感が垣間見れる内容です。

今の経済の主軸は、give & take、つまり与えた価値の対価を直接受け取るというもので、その媒体として貨幣が通常使われている。
しかし、文脈を保全した有機経済が進むにつれて、誰かに与えた価値が、別の角度でから帰ってくる、give & givenというしくみが増えてくるのではないだろうか。

目の前の誰かに価値を提供し、その本人から直接価値(貨幣)を得る、というものではなく、目の前の誰かに与えた価値が、その与えた人の信用残高となって蓄積され、それを使って別の価値に交換してゆく、という関係ができてくる。

3者間以上の価値提供関係がいくえにも重なった世界、だれかに与え、別の角度から与えられる関係がこれからの新しい経済システムになってゆくのではないか。
そして、その経済は、長い目で見たら「まぁ、いつか帰ってくるだろう」という程度の曖昧なものではない。与えた価値が別の角度から帰ってくる、ということが、短期間に、確実に、明確な形を伴って起こる。そして、信用を土台とした価値の直接交換を実践する人が増えれば増えるほど、その価値還元速度は速まる。

年間200以上のNPO団体の支援やアドバイザリーをしているいわゆるカリスマ・ブロガーのイケダハヤト氏はある講演でこう言っている。「自分の貢献を覚えている人がいるかぎり、それが今貨幣とならなくても、セーフティ・ネットになって、自分を食わして食わせてくれることになるだろう」と。彼は、与えた価値は、巡り巡って帰って返ってくることを確信している。貨幣化されていない信用の総量も含めて考えるべきであり、その目にみえない信用残高が自分達を支えるという新しい経済システムがきれいごとではなく、確固たる存在としてなりたち始めていることを同時に感じているのだ。

プログラマのpha氏は、ブログを書き、さまざまなソフトを自分で開発するなどで周りに価値提供しているが、その一方で、amazonのウィッシュリストを使って自分の欲しいものをウェブ上に表示している。そうすると、pha氏の賛同者やブログやソフトを楽しむ読者の中に、そのウィッシュリストを見て、商品を買って送ってくれる人がいるという。氏は米などの生活必需品もそのしくみによって調達しているという。

このように、与えた物が、別の形で返ってくる、貨幣を介在させずとも直接、価値を享受しうる世界に適合しようとする人が増えている。

この「見えない信用の蓄積」や「予測不可能な確度からのフィードバック」に人々は最初、戸惑うかもしれない。だが徐々に、この信用経済・有機経済(オーガニック・エコノミー)が広がるにつれ、人々はこの流れを許容し、それに順応してゆくだろう。有機経済は、童話「ちびくろさんぼ」に出てくる「虎がバターに、バターが虎に、」という流れの風ように、物事が切れ目なく、ただし、少しずつ変化してゆく、連続性を持ったシステムである。

そこでは、流れが滞ることや、価値の一極集中は許されない。流れ続けることこそが安定を生む。そこで伝えられているのは意味や文脈、言語化できない価値であり、それは生もののようにうつろうものであるため、貨幣のように貯めてゆくこともできない。とてもデリケートである。

有機経済の例として挙げられるのは上野動物園のトレードである。上野動物園では、歴史的に貨幣で動物を買うのではなく、動物たちを他の動物園と交換することによって発展してきた。例えば、虎をヒグマに、タンチョウをゾウとに、交換しながら拡大した。面倒ながらも動物の一体一体に貨幣というラベルをつけないことで、その個体としての価値、個々の存在の必然性を意識的に担保してきた。

自らの生活における非貨幣経済比率を10%くらいまでもっていくこと。そのために何かを無償で提供してみる、逆に、ただで何かを受け取ってみる、あるいは貨幣以上のものを払ってみる、こういったことを法や倫理に触れない形で少しずつ実験してゆく。それによって、どう自分の身体感覚や他者との関係が変わるかぜひ感じてみて欲しい。心地よい感覚と平穏さ、安定を感じることになるだろう。

(山口揚平 修士論文(2015)より引用)

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