#2 お金の始まりが物々交換だった、は嘘?
「新しい時代のお金の教科書」が全文読めるマガジン。前回は、「貨幣とはコミュニケーションのための言語であって、その価値はネットワークと信用である。」という内容でした。
今回は、お金の起源について紐解きます。編集後記では、ブロックチェーンが作り出すグローバルな”ツケ社会”「記帳主義経済」について見ていきます。
お金の起源は記帳だった
まずは、お金の起源から見ていきましょう。
お金ができる前はいったいどうしていたのでしょう?物々交換をしていた、と学校では習ったのではないでしょうか?しかし、最近の研究ではお金が物々交換から始まったのは噓だと言われています。
物々交換とは以下のような形のことです。例えば、山の民族と海の民族がいます。まず森の中にある交換所に海の民族が海産物を置いていく。
そしてその数時間後に山の民族の代表がやってきて、海の民族が置いていったものと自分が持ってきたものの価値がマッチすると思えば、自分が持ってきたものを置いて、その海の民族のものを持って帰る。そしてそのまた数時間後に海の民族がやってきて、山の民族が置いていったものを海の民族が持っていくという形です。そういう神聖な儀式でした。
私達が習ってきた貨幣の歴史は、以上のようにそもそも物々交換が元々あり、物々交換の不便さを解消するために貨幣が生まれた、という物語でした。ですがこの話とは別に「お金の始まりは、交換ができないほど巨大な石だった」という説があるのです。
お金の起源は動かせないほど巨大な石だった?
ミクロネシアのヤップ島という小さな島の中にフェイという大石があります。
このフェイが、お金の起源だと言われるのですが、とても大きくて持ち運べないほどのものでした。これをどうしたかというと、持ち運んだのではなく、実はここにナマコ三匹とかヤシ一個とか、お互いにもらったもの、あげたものを刻んでいったのです。
つまり、お金という便利なツールが最初からあったのではなく、記帳(記録)から始まっているということです。お互いの貸借の記帳がお金の起源だと言われています。
そしてこれは面白い話ですが、たとえこの大石のフェイが海の中に沈んでも、あそこの家は金持ちだったなどということがずっと言い伝えられています。だからもはや記帳しなくても、記憶されていくということが起こっていったりするのです。人々の間で行われた交換を相互に監視し合うことで信用が蓄積していく、ある種の権威や信用になっているということです。
人間とは不思議なものです。最初は数字できちんと記録する、だがやがて数字が積み上がるとそれを持っていた人や家そのものを信用するようになるのです。
さらに面白い動きがあります。それはこのヤップ島のフェイの記帳の仕組みが、今、世界規模に広がっているということです。
今、ビットコイン(Bitcoin)をはじめとした仮想通貨やその元となっているブロックチェーンが注目されています。あとで詳しく説明しますが、ブロックチェーンを簡単に説明すると、分散台帳システムと言って、暗号化された取引が各々の持つ台帳に記帳されるものです。
そして、あらゆる人がこの台帳を持つ(分散して持っている)、ということです。この仕組みによって台帳を一つ改ざんしても他を改ざんすることができないので、噓がつけない仕組みになっています。その記帳のプログラムをどんどん堅牢にしてゆく人がおり、その人たちにビットコイン(Bitcoin)が配られるわけです。
よく考えてみてください。これはフェイを使った記帳がヤップ島という小さな島を超えて、地球上に広がったとも考えられませんか? つまりお金は記帳から始まって、やがて今の円やドルのような貨幣となって共通の価値の単位となった。それがまた記帳へと戻ってきている。ぐるりと一周したという見方もできます。記録・信用から単なる数字へと、そしてまた記録・信用へと回帰しつつあるのです。
また余談ですが、フェイに書かれた記帳から楔形文字が生まれたと言われており、それが本当だとすると文字より先にお金があったということです。これもまた面白いです。いかに人間という種にとってお金というコミュニケーションツールが重要だったかを物語っているからです。
お金の正体は、信用の取引・精算のシステムだった
そもそもなぜ記帳がそんなに重要なのかというと、それは「相手を信用する」という人間本来の性質に基づいているからです。
お金の起源は人々が経済取引をするときにリアルタイムに欲しいモノ同士を物々交換するのではなく、あげたもの、もらったもの、その価値や数量を記帳してゆく、という記録のシステムです。その記録と各人の信用に基づいて、そこに今、現物の価値ある資産がなくても「信用」する、ということ。これこそがお金が大発明と言われる理由です。
伊坂幸太郎の小説、『ゴールデンスランバー』(新潮文庫)に人間の最大の特徴は、「信用と習慣」だという一節が出てきます。この相手を信用する、ということが取引と分業を中心に発展してきたゆえんなのです。映画に出てくるヤクザ同士の取引ではそうはいきません。銃を片手に港の倉庫で現物同士を交換しなければなりません。なぜならそこには「信用」がないからです。しかし賢い人間は相手を信用するのです。
この記帳の中心言語である簿記自体はメソポタミアでずっと昔に生まれています。中世ヨーロッパの商人の話はみなさん、シェイクスピアの『ヴェニスの商人』でご存知なのではないでしょうか。ヨーロッパの大商人たちは自分たちの私的なネットワークをつかって膨大な貸借を貯めていって、年に一度、リヨンに集まって精算していました。一般の市民にはいったい何が行われているのか、さっぱりわからなかったと言われています。
記帳や帳簿の偉大さを知りたい人は、ぜひ『帳簿の世界史』(ジェイコブ・ソール著、文藝春秋)を読んでみてください。さて私は、お金の始まりは「記帳」にあったといいました。
では記帳はどうやって現代のような貨幣へと変化していったのでしょうか。次回は、12/25(月)お金の発展をひもときながら、お金の本質は何なのか?というところに迫っていきましょう。
(本文: 山口揚平「新しい時代のお金の教科書」)
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編集後記
「お金とは記帳から始まっており、その正体とは信用の取引・精算のシステムだった。ブロックチェーン技術とは、分散台帳システムであり、起源と同じ仕組みを持って世界規模に広がっていると言える。」というのが今回のメッセージです。
ブロックチェーン技術と、大きな石が同じ仕組み…ってどういうこと?というと、それは一昔前の日本で行われていた”ツケ払い”を想像するとわかりやすいかもしれません。
ヤップ島のフェイ(大きな石)の時代に、もらったものとあげたものを記帳していたのと同じく、すべてのやりとりを記録していきます。そのため、誰もが騙したり嘘をついたりすることができず、やりとりを通して信用が可視化されていきます。その信用に応じて、お金を介さずにモノやサービスが交換される状態です。
日本の田舎では、ツケでやりとりが行われ「〇〇さんがこんなことをした。」などと、すべての情報が共有されて、それによって信用が決まります。
この”ツケ社会”がグローバルで展開しすべてが可視化され信用が数値化されてゆく。ちょっと生きづらそう?と思うのは私だけでしょうか…。
編集後記: 大西芽衣(ブルー・マーリン・パートナーズ広報部)
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