感情ラベリング
「好き」も「嫌い」もラベリングするの下手くそなんです。
下手くそというか、なんというか。
例えばあたしはオムライスが好きなんやけど
「好きな食べ物?んー、特にないかなぁ。…よく食べたいなーって思うのはオムライスやけど。え、これが好きってことなん?あたしオムライス好きってこと??」みたいな気付き方をした、若かりし頃(今では大好きですって大声で言ってます)
みたいな。
きらい、はもっとわかんなくて
あれ、なんか、苦手だ。なんでだろ、苦手とかよくないのに
って散々苦しんでから「あ、そっか、私これ(この人)嫌いなんだ?」って気付く。特に人付き合いとかね。
感情に名前をつける、って難しくないですか?
表面上の好き嫌いじゃなくて、本質?っていうのかな、そゆとこの感情。
あたしの中に「不幸」っていう概念がなくて、だからあたし、自分を不幸って思ったこと1度もないんよね。
あたしの中に、
しあわせ と しあわせじゃない(普通) と ちょっとしんどい、とってもしんどい
くらいしかなくて、不幸って、んー、どんな時???って思う。
欧米には「肩こり」って概念がない、って学生の時教わった。日本で言う肩こりが原因で引き起こされる頭痛、とかは認識されてるけど、「肩こり」はない。だからあちらには「肩こり」は存在しない。って。
つまるところ、欧米の方は肩こりにならないし、あたしは不幸にならないんです。
不思議よね、概念があるかないかで事実って異なってくるもんやな、って。
でもこれも結局ラベリングなんじゃないかなーって、思ったりするわけですよ。
好きも嫌いも幸せも不幸も、全部、尺度って人それぞれで
誰かの好きは私の好きと=じゃないし、好きの対局は嫌いでもないし。
っていうところまでを3年前に下書きにしてたらしい。2024年に再発掘した。
けど、今でもこう思うのは変わりないかなぁ。
言葉にするから重くて
言葉にするから明確化して
だけど
言語化するから整理されること、ってありますよね。
日本語はとってもバラエティに富んでて
好き を表現する方法が何通りもあって
如何に「好き」と言わずに好きを伝えるか、みたいなとこもあって。
それってとても豊かな感性だと思う反面
言葉に頼りすぎてるから表情が乏しい。という意見もあったりして。
日本人って、話す時に海外と比べて身振り手振りがとっても少ないんですって。
海外のアクターさんたちは
例えばYES にはたくさんの意味があるから
それをどの意味で伝えるかは本人の出し方次第だから、表現が極まっていくんですって。
YES、に、愛してる、って翻訳がつくこともあるもんね。
だけど
日本の語彙の多さもすごく素敵な文化だと思うから。
ラベリングも、語彙の多さも、独自の文化で、私はこれはこれとして大切にしていきたいな、などと思う。
3年前の記事に追記してしまった2024年の私でした。
またnote再開しよ。
(フォローのお知らせが入って久しぶりにログインしました。動いてないのにフォローしてくださった方、ありがとうございました。)
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