人は生き、働き、あるいは山を登る
日航機が墜落した群馬県の地元新聞社で、それぞれの部署のそれぞれの立場の者たちが、それぞれの思惑を持ってうごめく。思惑は衝突し合うため軍隊のような統制は取れない。ぎりぎりまでの攻防の中で折り合いをつけ、地元紙の日々の紙面が作り上げられる。
横山秀夫、『クライマーズ・ハイ』は、登山と新聞記事、二つの、いやそれ以上の "ヤマ” の話だ。
だれかが押し、だれかが引き下がり、ときにだれにとっても不満な、あるいは広く納得される紙面にもなる。どうあれ折り合いだから、『半沢直樹』のように主人公が自分を負かした敵にやり返してカタルシスがもたらされるというような物語にはならない。少年ジャンプならさらに強い敵、さらに強い敵を倒すという物語になろうが、そうはならない。
この山を登りきれるか? このミッションを果たせるか? 謎を解決できるか? そんな問いの物語なら、いくら複雑で巧みな構成がとられたところでグリム童話同様造であり、ありふれてはいるのであろう。この小説はもっと深い。人生は続く。シンデレラは結婚したあとも生き続ける。載せたい記事を載せられても載せられなくても、次の日も新聞は発行されるのである。
私も、極めて大きな社会的使命を担っている組織で働いていた。皆、なんのために職務を遂行しているのかと疑問を抱く場面がしばしばあった。そんなことを尋ねれば鼻で嗤われた。そもそも本職は…と悠長に考えるほど、暇ではない。それに、食うため・保身のため・出世のために働く、で構わないはずだ。そう思っている人のほうがよい仕事をすることも多い。
だから使命などという言葉を持ち出さなくても、会社組織は動く。そもそも社会的な使命を完全に無視する人も稀だ。声高になにかを叫ばなくても、人はどこかで人のために働く。
それでも強い使命感を抱き、その使命を思うように果たせぬことを嘆き、奮闘する人たちは、私も含め少しいた。信念があることは志の高さとも言い換えられるが、それを高尚なものだと酔いしれるのは危険でもある。それでも、そういうものを持って生きていく人は、魅力的でもある。疲れるけど。
とにかく人は働いている。とにかく組織は動きつづける。
勝ちつづけることだけが人生ではなく、人はとにかく生きつづける。たまに高いヤマが現れたりして、それを乗り越えようとする。
それでときどき、ハイになる。熱いやつが好きだ。
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