学習理論備忘録(34) 『習う前に慣れよ』
潜在制止にまつわるあれこれの話である。
小児歯科には“Tell Show Do〈TSD〉法”というものがある。歯科治療を受ける児童に、これからなにをやるか伝え(Tell)、使う道具などを見せ(Show)、じっさいにやってみせる、というものである。治療への恐怖を軽減する方法として知られている。
このTell Show Do法は、国家試験では"系統的脱感作法”の一つとして考えることになっている。
私は潜在制止をするために予備暴露(*1)しているのだろうと考えてここに記載したのであるが、恐怖は、痛みという条件刺激への「期待」だけでも起こりうる。すでに児童にそのような恐怖があると考えれば、それを軽減するテクニックとして系統的脱感作、すなわち少しずつ慣らす方法だと考えられているのであろう(*2)。
(*1)さりげなく「予備暴露」なんて言葉を使っているが、これまでは「先行呈示」という言葉を使ってきた。勉強会では予備暴露が主流であったので、とりあえず予備暴露にしておいた。後に他の箇所も改めるかもしれない。
(*2)私はそれでもまちがいではないかと思っている。"暴露法"と言うべきではないか。系統的脱感作と暴露は違うというのが私の理解である。
現場で応用される際、良く言えば厳密さに拘らず、悪く言えば専門用語を誤解して使用していることがあり、小児歯科領域の"行動変容法”と呼ばれるテクニックの一群については、そういうものがたくさんあるように思われる。
私は歯学部で教えていたこともあるが、この学問として正しいことと、国家試験として正しいことの折り合いをどうつけるかには頭を悩ませたものだ。嘘は教えたくないが、学生の関心がそこにあるとは限らない。
ただ、言葉の使いかたにかなりうるさい高名な行動分析学の先生とお話したとき、彼女も同様のことについて脱感作という言葉を使っていた。じゃ、いいのか?どっちが正しいのか原井先生に聞いてみよう。
細かいことはどうあれ、慣れることは大事だ。親が歯科に行く際は、子供も連れて行き、楽しそうにしている姿を見せると良いかもしれない。
歯医者ばかりではない。我が家では娘を初めて散髪屋につれていく際、怖がらないよう事前にYou Tubeで幼い子が髪をカットするシーンを見せて安心してもらった。今は幼いYou Tuberも多いが、こういう動画を作ってくれるのは本当にありがたい。
このように潜在制止は恐怖症を防ぐことに応用できそうであるが、はっきり「防ぐ」と言い切れるわけではない。
前回紹介した「歯科恐怖症の人は初診から歯科で初めて怖い思いをするまで2、3年以上のタイムラグがある人が多い」という結果も、後ろ向き研究によるものである。痛い思いをしばらくせずに済んだということは「腕のいい歯科医に通っていて歯科への信頼が高いだけだ」などといった別の解釈の余地も残す。
動物恐怖症の予備暴露についての研究も1つしかないという。
「ならば恐怖症について調べるために、人間に恐怖症を作り出す実験をすればいいじゃないか!」などと本当にやってしまうと、アルバート坊やをネズミ恐怖症にしたまま放置したワトソンと同じになってしまう。
そこで人間ではなく、アカゲザルを使った前向き研究なら行われている(MinekaとCook,1986)。
だがこの研究では、ヘビを怖がらないサルを観察したサルがもっともヘビを恐れず、ヘビに似たおもちゃを見たり触ったりして潜在制止したサルでは大した予防効果が出ないという結果になってしまった(条件が不適切なので失敗したのでは、という意見もあるが)。
ここまでで言えるのは、将来たとえば犬などの動物の恐怖症になるのを予防するために、犬に恐がらずに接している人の姿を子供に見せるようにすることが役に立つ可能性がある、ということである。(他にも、犬の姿に知らず知らず曝される状況を作ることなども役に立つ可能性がある)
その応用をいくつか考えてみた。
・歯医者というものをよく知らない人が『アウトレイジ』で、歯科治療のドリルで拷問するシーンを見た。
「歯医者さんって怖い!こんなところ行きたくない」
こんな風にして歯科恐怖症が生まれるかもしれない。歯医者に行ったことがない人はいるかもしれないが、歯医者というものをまったく知らない、歯医者の映像を見たこともない大人というのはいないだろう。だが歯医者を知らない小さい子供はいる。その場合潜在制止がないので、映画を観ただけで歯科恐怖になる可能性は高い。
そう考えると、暴力的な映画に対してR-15指定をするのは、学習理論の観点からも意味があると言えるかもしれない。単に残虐なシーンがショックを与えるというだけでなく、暴力的なシーンにより何かの恐怖症になることを、防いでいるかもしれないのだ。(あと、暴力シーンが暴力そのものを逆に恐れなくさせてしまう、という危険性もはらんでいるかもしれない)
次は、潜在制止で偏見を減らせないだろうか?
差別偏見の根源はおそらく恐怖であろう。それは潜在制止がないために起きているかもしれない。マイノリティーと呼ばれる人々には接する機会が少ないので、恐怖を覚えやすいのかもしれないのだ。幼いうちから多様な人々にたくさん接しておくことこそが、偏見を持たないことにつながるのではないだろうか?
たとえば海外では統合失調症者への偏見を失くすためのキャンペーンが張られたことがある。その中には、テレビCMを使うなどの試みもあったが大した効果は得られなかった。もっとも効果があったのは、近所の人を招いて患者さんとお茶会をする、というものであったという。
これは潜在制止ではなく、偏見があったところに安心が上書きされた可能性もある。どうあれ言えるのは、触れる・関わるということが偏見を減らすのに役立つということである。
恐怖とは少し違うかもしれないが、勉強や仕事を嫌がる姿を見せず、勉強や仕事を進んでやる人を見せることは、子供に良い影響を与えるかもしれない、とも考えた。親が楽しく本を読み、楽しそうに仕事に行っていれば、それは子供にとって最高のモデルになるのではないだろうか?
さらにはサブリミナル効果についても考えてみた。以前述べたがマスキングと呼ばれる手続きにより無意識に刺激に曝しても予備暴露になり、それで潜在制止が成立する。
サブリミナル効果という言葉を使う場合、厳密には閾値下、すなわち普通には捉えられない刺激による影響のことを言う。「映画に画像を忍ばせることでコーラの売りげが上がった」という実験の話がまことしやかに言われたが、そのような効果は実際にはほとんどない(実験は捏造であったらしい)。
だが「ぼんやり見ていて意識していない」と言う意味での「無意識」の刺激というものについては、あるのとないのでは違った影響が出ることになる。ただ、このマスキングによる無意識の刺激については、むしろ売り上げを下げるかもしれない。無意識にでも曝されている場合、新奇性を下げてしまうことになるからだ。
形になじんでもらうにはよいかもしれない。得体の知れないものについての恐怖は下げる。だがコマーシャルの目的は、他の商品の山からその商品を探してもらい、選んで手に取ってもらうことである。それは難しくなるのではないか。さらにはその商品を使用しても、他の商品より味なり効果なりが優れていることを学習するのが遅れるかもしれない。
このマスキングを利用したホラー映画というのも考えてみたが、やはりうまくいかない。キーとなる悪魔かなにかの顔を随所に散りばめておいて、でも注目させないようにする。一見とんでもなく怖い映画ができそうであるが、肝心のその悪魔が最後に出てきたとしても、潜在制止のせいでそれほど恐怖を与えないかもしれない。
(うーん、でもなんかうまく利用できそうだ。これは自分の課題にしよう)
さて、Learnging and Behavior Therapyに紹介されている潜在制止についての研究は、他の学習理論の話題同様に古いものばかりだ。潜在制止の動物研究のレビューは1989年のものであるし、最近の研究でも1990年代のものだ。潜在制止については、はっきりと分かっていないまま放置されていることが多い。
たとえば歯科治療についても、これから受診する子に、怖がらずに受診している子の動画を見せると良いかもしれぬ一方、通う予定の歯科クリニックと動画の映像が似てなければ効果はないかもしれない。ではどの程度似ている必要があるか?謎である。他にも、どれくらい効果が続くか、どれだけ予備暴露すれば効果が出るか、といったことについても研究結果はバラバラだ。
今のところ、恐怖を予防するにはこうすればよい、と断言できるものはできない。主張は控えめにしておこう。ただ、潜在制止の応用には可能性があり、それを考える意義は大きく、楽しそうだ。
Ver 1.0 2021/5/7
学習理論備忘録(33)はこちら。ただし本記事の前の内容ではない。
繋がりがあるのはこちらの(32)である。
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