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【精神科講談(4)】『毒殺と毒消し』
嫁姑問題というのがございます。私に言わせると、たいていは姑が悪いと思うんですけれどね。あ、これはお客さんに合わせて言う事を変えるんですけどね。今日は、お嫁さんが悪い事にした方がよろしいですかねえ。
で、嫁がお姑さんとうまくやるにはどうしたらよいか、ということでございますが…
私が知っているあるお嫁さんっていうのは、何があっても「そうですね」としか言わないそうでございまして、決してだれともトラブルを起こさないそうでございます。誰に何を言われても「そうですね」。いや、若いころはそういうもんかも知れませんよ。もうそこそこのお年ですからね。それでも誰に対しても「そうですね」。だからお姑さんにも気に入られてまして、旅行でも買い物でもどこでも連れて行ってくれるそうでございます。「雲一つない清々しい青空ですね」「そうですね」という。「いや、あそこに雲がありますね」なんて言わないんです。「今日は寒いですね」「そうですね」「いや、今日は暖かいね」「そうですね」「去年の今頃もこんな天気でしたね」「そうですね」「いや三年前の今日だったかしら」「そうですね」「昔、兄弟でマラソンやってた双子の、あれ何兄弟だったかしら」「宗ですね」疑問とか持たない。笑っていいとものタモさんとお客さんのやりとりのように「そうですね」と受け入れる。魔法の言葉でございます。
江戸時代、おはんという町娘がおりました。商人の久兵衛の家に嫁いではや五年。二人の男の子を儲けて、姑と夫の五人暮らしをしております。ところが、この姑が大変に口うるさい人で、朝から晩まで嫁のすることなすことにいちいち文句をつけております。朝は「なんだい、家の嫁はまだ起きておらんのか」、食事をすると「なんだいその箸の持ち方は」、掃除をすれば「えー、家の嫁はまー、四角い部屋を丸く掃くとはねえ」。
そこで嫁は「婆様は一日なにもしないのに、あーでもないこうでもない。縦のものを横にもしないのに。あー、もういやいやいや。私の堪忍袋も、もーもーずたずた。家の亭主に云ってもちっとも話をきいてくれない。いやだいやだ。
これじゃあ婆様の無くなる前にこちらの身がもたない。はあ。子供を残しては離縁してもらう訳にもいかない。死ぬ訳にもいかない。どうする訳にもいかない。ババアも死なない。どうしよう……
そうだ。いっそのこと婆様を殺してしまおう」
バタバタバタと、お医者様のところへ駆け込みました。
「先生、先生。お願いでございます。起きては地獄、寝ても地獄。抜け出すこともできず、行き詰まっております。どうぞ私に(小声で)毒薬を下さいませ。
家の婆様を殺すんです。もう堪忍ならないのでございます」
「おお、これはおはんさん。親を殺すとは物騒じゃな。どうした。ふんふん、箸のあげおろしまで。ああ、そうかそうか。それはたしかにひどいのう。勘弁ができなかったか。(ため息)解りました。
だがな、
鬼の皮めくれば芯は佛なり
とも言ってな。人は皆もともと佛の性をもっているものだぞ」
「ええ、ですから早く婆様を仏様にしたいんです。
恥ずかしい事ながら親子四人が助かることでございます。どうぞ人助けだと思って毒薬を下さいませ」
「人助けで毒薬は出せませんが、まあわかりました。毒薬をさずけましょう。併しわしが言う事をようく守りなされ、よいな。
私恨を以て人を殺すと、それなりの報いを受ける。子供が死ぬとか、そなたが気狂いになるとかるとかな」
「えーーーーーーーー」
「まァ、それも気の毒だから、知恵をさずけよう。三十日の間、お前さんが修行しなければならないが良いか。婆様が死ぬまでの三十日の間は、婆様に一言も口答えすることはならん。どんな無理を言われても、一言でも口答えをしたら、そなたの命はない。婆様が死ぬか、そなたが死ぬかじゃ。ちょっとでも腹を立てることはならん。できるか」
「もう婆様さえ死んで下さる事なら」
「わしが調合する毒はな、口に入れてちょうど三十日経つと自然と死んでしまうという便利なものだ。このあんころ餅にいれておいた。
くれぐれもよいな」
そういってあんころ餅の入った重箱を渡してくれました。実はこのあんころ餅、毒など入っておりませんが、おはんはすっかり信じ込んでおります。
「ハイハイ畏まりました。ありがとうございます」
「婆様只今帰りました。これは実は妹から、婆様にあげて下さいと言われました。八幡様の有名なあんころ餅でございます。どうぞ召上がり下さいませ」と差し出します。
「なんだって?どれどれ。毒でも入っていて、食べたらコロリといってしまったりはしないだろうな」
「え、毒。いえいえ、コロリと死ぬなんてそんなことはありません。今日はまだ」
婆様はあんころ餅を食べました。
それから毎日毎日、
「婆様、今日は饅頭を買って参りました」
「婆様、今日はとらやの羊羹でございます」
手を替え品を替え土産物を持ってきます。
「ありゃ?何か調子が狂うのう……
あたしゃ佛だんにお線香を上げますからようござんす。ナンマンダブナンマンダブ……
どうもこの間から勝手が違って訳がわからん。気味が悪いのう」
そのうち
「なんか無茶なことを言っているのは、わしばっかりの様な気がするのう。うーん……?あれは世間にもよっぽど稀な佛嫁じゃ。どうしてわしはあの嫁が憎かったのかのお。ヨウ罰が当たらなんだ事じゃ。末期の水を汲んでもらうのも、あの嫁より外にはない。其の上可愛い息子につれ添う大事な嫁を、憎んだとは何事じゃ」
すると、今度は婆様の方から
「ほれ、嫁や。煎餅はいらぬか」
「嫁や、今日は千匹屋のなしだ」
「あんころ餅を一つどうだ」
「あんころ餅以外の物を頂きます」
「そうだ、簞笥の奥に腰巻きがあった。わしがこの家に嫁に来た時持ってきたものだ、これをやろう」
「え、腰巻き」
「この家に嫁いできたときに持ってきた着物もお前にやろう。
田んぼの権利書だ。土地もやろう、国債も株券もやろう」
さらには
「お前は、この家の宝じゃ。ほんとによくできた嫁だ。ありがたやありがたや。可愛い孫まで連れてきたんじゃから」
「どうもこの間から勝手が違って気味が悪いわねえ。あたしも佛壇にお線香をあげましょ。なんか悪いのは、私ばっかりの様な気がしてきた。居心地が悪いわあ。あれは世間にもよっぽど稀な佛婆ァだわ。どうしてわたしはあの婆様が憎かったのかしら。ヨク罰が当たらなかったものだわ」
往った先は例のお医者さまのところでございます。
「もし、先生、先生、お願いでございます。どうぞ婆様の死なないように、私に毒消しを下さいませ」
「どうした。なにがあった。おーおー。ああ、そーかそーか。(お醫者様は様子を得と聞き)
心配なさるな、毒などは入れておらんでよ。ハッハッハ。他人を変えることはできないが、自分を変えることならばだれにでもできる。お前が優しくしたから、婆様も優しくなったんじゃ。感謝に勝る良薬なし。よかったよかった。これからも、まずは行いを正しくせよ。そうすれば幸せになれる。らぶいずあくしょん。ハッハッハ」
その後おはんと婆様は、近所でも評判の、仲睦まじい嫁姑となったということです。
中沢道二作『道二翁道話』より『毒薬と毒消し』という一席、これを以て読み終りと致します。
Ver1.0 2020/6/27