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学習理論備忘録(49) きかないのがキクんです
学習理論備忘録である。「妄想」の話だ。
妄想といえば統合失調症の症状として知られており、統合失調症は一応原因不明の疾患だ。例によってまた学習理論から逸脱するのか? と思いきや、バリバリの応用行動分析の話である。
妄想は治せる。
といっても「精神療法だけで統合失調症を治す」なんて話ではない。あと「妄想の認知行動療法」はそこそこ知られているが、その話でもない。今日したいのは「行動療法」の話である。あえて「認知」をはずしている。
実は妄想そのものはどうでもいい。妄想というのは思考内容であり、行動分析では、基本的に内界の話はしない。測定できないからだ。言葉とはたぶん、思考が外に表されたものだ。言葉で表現されたものは、とたんに扱える対象になる。測定可能だからである。
詰まるところ妄想の治療とは、「妄想をしゃべらない」ことをゴールにするのである。頭の中に妄想があるかどうかは議論しない。あとそもそも妄想は統合失調症のもの治せるとか妄想性障害だったら治せないとかいったことも言わない。どの病気の妄想だとかいったことはどうでもいい。
患者自身に不都合な状況を招くのが、妄想を「口にする」ことである場合、それが標的だ。妄想そのものではなくて、その発言の現実世界での影響が問題になるのだから、発言を減らすなりなくし、替わりに他の話をするようにすればよいのだ。
妄想とはかつて「訂正不能の誤った確信」と言われていた。
違う。
「根拠が乏しいのに強く信じていること」である。
さらに測定可能なものはというと、その主張である。
このように捉えると、その対処も見えてくる。主張とは声高な訴えであり、それを支えているのはそれに反応する人だ。
これは、デモと同じだ。寂しい郊外でデモをする集団はいない。必ず街中で行われる。列をなしシュプレヒコールをあげれば、注目を浴びる。それが温かいまなざしではなく罵倒であっても注目である。注目があれば、デモ隊は声をあげつづけるであろう。
妄想の主張は、注目に強化されているのである。
実際にその観点から治療がされた報告がある。妄想をずっと話す病棟患者に対し、妄想的言辞については耳を傾けるのをいっさいやめた。精神病があろうが、患者の行動は行動の原理には従う。実際、それだけで妄想を口にしなくなったという。
これは一般臨床においてはかなり特別なことをやっているように思われる。ただ、行動分析家ならばごく自然に思いつくことである。しっかりと行動分析を学んでいる行動療法家というものは、腕がよい。極めて短い期間に、このようにだれにもはっきりとわかる成果を出す。
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